「ものづくりを通して、琉球の思いを守る」【工房時間】

ものづくりを通して、琉球の思いを守る
工房を引き継いでから、そしてコロナという大きな出来事を経験してから、
私は何度も立ち止まり、考える時間を持ちました。
自分は何のために、この仕事をしているのか。
どこに向かって、何を大切にしながら進んでいくのか。
日々の仕事に追われていると、つい目の前のことに意識が向きますが、
大きな困難に直面したときほど、
その根本にある「方向」を見失わないことの大切さを感じました。

祖父の時代は、とても明確でした。
戦争によって多くのものが失われた中で、
紅型という文化をもう一度立ち上げる。
それは迷いのない選択だったと思います。
失われたものを取り戻すこと、そしてそれを次の世代に渡すこと。
琉球という土地の中で育まれてきた誇りや美意識を、
絶やしてはいけないという想いが、自然とそこにあったはずです。
何もないところから、もう一度つくる。
その状況の中で、それでも手を動かし続けた先人たちの姿勢は、
今の私たちにとっても、静かに基準として残っています。

終戦後レコード 薬莢など 手に入る廃品から染色道具を作りました
1960年頃 工房風景
1960年代の紅型をしている工房の様子
首里城の図案をする 城間栄順(15代)1940年代


では、今の時代において、
「ものづくりを通して、琉球の思いを守る」とは何なのか。
この言葉は、大きく、そしてどこか捉えどころのないものでもあります。
人によって解釈は違うかもしれませんし、
立場や経験によって見え方も変わるはずです。
そして、この言葉を掲げること自体に、
ある種の緊張や怖さを感じたこともありました。
沖縄には、文化に対して強い誇りを持っている方々が多くいます。
その中で、自分たちがこの言葉を使うことの意味を、
どこまで引き受けられているのか。
まだ十分にできていないのではないか、
そんな感覚に揺れることもありました。

それでも、この言葉を選んだのは、
完璧にできているからではなく、
そこに向かい続けるための軸が必要だったからです。
琉球は、小さな島です。
けれど、その歴史の中では、
大きな国々に囲まれながら、独自の文化を育ててきました。
外からの影響を受け入れながらも、
それを自分たちなりに咀嚼し、形にしていく。
その繰り返しの中で、今の文化が残っています。

型紙と型置き後の着尺です
糊をふやかすために 水の中につけておきます

そう考えたとき、
「守る」という言葉の意味も、少し変わって見えてきます。
ただそのまま残すことではなく、
変化の中で失わないものを見極めながら、
次につないでいくこと。
あるいは、現代の言葉で言えば、
多様性を受け入れることに近いのかもしれません。

沖縄には、本当に多くの文化があります。
染織、陶芸、音楽、舞踊、食文化。
それぞれが強い個性を持ちながら、今も残っています。
これほど多様な表現が共存している場所は、
決して多くはないように感じます。
その背景には、一人ひとりの個性が発揮される土壌があったのではないか。
私はそう考えています。

工房の中にも、同じようなことが起きています。
現在、私たちの工房には、
沖縄出身の人だけでなく、
茨城、熊本、神奈川、そして北海道など、
さまざまな場所から人が集まっています。
それぞれが違う背景を持ち、違う感覚を持ちながら、
同じ仕事に向き合っています。
当然、考え方も、仕事の進め方も違います。
けれど、その違いがあるからこそ、
仕事の中に広がりが生まれているようにも感じます。

そして、その違いは、日々の小さな場面にも表れています。

例えば、
「今日整えたことが、明日の安心につながる」と考えて、
丁寧に準備や段取りを整える人がいます。

また、
周りの様子をよく見ながら、
さりげなく声をかけたり、手を差し伸べたりして、
場の空気をやわらかくしてくれる人もいます。

ある人は、
静かに自分の持ち場に向き合い、
誰にも気づかれないところで精度を積み重ねていきます。

また別の人は、
全体の流れを見ながら、
「今どこに力をかけるべきか」を判断し、
場を前に進める役割を担っています。

そして、
「もっと良くできるのではないか」と問い続けながら、
細部の違和感に気づき、
仕事の質を一段引き上げてくれる人もいます。

こうした一つひとつの関わり方は、
どれかが正解というものではなく、
それぞれが自然に持っている感覚や大切にしている価値観から生まれているものだと思います。

それぞれの一日が、
誰かの仕事を支え、
次の工程を整え、
全体の流れをつくっていく。

そうした重なりの中で、
工房の仕事は成り立っています。


琉球の思いとは、
沖縄の人だけのものではないのかもしれません。
むしろ、違いを受け入れながら、
それぞれが自分の役割を見つけていく中で、
自然と立ち上がってくるもの。
そう考えると、
この言葉も少し現実に近づいてくるように思います。




昔、芭蕉布の人間国宝である故平良敏子先生が、
毎朝、鏡に向かって祈りを捧げていたという話を聞きました。
「今日も嘘のない仕事をさせてください」
その言葉を、先生ご本人から直接伺ったとき、
とても印象に残りました。
仕事とは、自分自身がそのまま表れるもの。
だからこそ、まず自分を整え、正直な状態で向き合う。
その姿勢を、毎日繰り返していたのだと思います。

祖父栄喜もまた、似たようなことを話していました。
祈るように仕事をしていると、
自分の力を超えたものが現れることがある。
それを「生まれる」と表現していました。
当時の職人たちは、
同じような感覚を持っていたとも聞いています。
目の前の仕事に、まっすぐ向き合う。
余計なものを持ち込まず、ただ手を動かす。
その積み重ねの中で、
時折、自分でも驚くような表現が現れる。

それもまた、
ものづくりの中にあるひとつの「琉球の心」なのかもしれません。


私自身は、まだその途中にいます。

20名を超える職人とともに仕事をする中で、
責任の重さを少しずつ実感している段階です。

日々の仕事の中で、
どうすればより良い環境をつくれるのか。
どうすれば、それぞれの力が自然に発揮されるのか。

試行錯誤を繰り返しながら、少しずつ整えているところです。


そして、その仕事は、
工房の中だけで完結するものではありません。

作品を手に取ってくださる方、
この文章を読んでくださっている方、
関わってくださるすべての方によって、
この流れは支えられています。


沖縄という小さな島の、
さらにその中のひとつの工房。

そこから生まれるものに、
目を向けていただいていること。

そのこと自体が、すでに大きな意味を持っていると感じています。


今日もまた、
ひとつひとつの仕事を重ねながら、
この流れを途切れさせないように続けていきます。

それが、結果として、
何かを守り、何かをつないでいくことにつながっていれば、
それで十分なのかもしれません。

水洗いしたての 帯 着物
小さいガジュマルと朝日

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城間栄市プロフィール 

紅型に、時間と祈りを宿す

私は紅型を、単なる染色技法ではなく、
沖縄という土地で積み重ねられてきた時間や祈り、
そして暮らしの感覚を受け止める「文化の器」だと捉えています。

布に色を置くという行為の奥には、
自然へのまなざし、人への想い、
そして生き方そのものが静かに重なっています。
その感覚を、できるだけ正直に、今の時代の言葉と形で手渡していくこと。
それが、私が紅型と向き合い続ける理由です。


生い立ちと紅型との距離

1977年、沖縄県生まれ。
城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育ちました。

幼い頃から、工房は日常の延長線上にありました。
染料の匂い、布を干す風景、
職人たちの背中や交わされる何気ない会話。
それらは特別なものというより、生活の一部として、自然に身の回りにありました。

本格的に工房に入り、父のもとで修行を始めたのは、
沖縄県芸術祭「沖展」への初入選をきっかけとしています。
紅型を「受け継ぐもの」としてではなく、
自分自身の人生として引き受ける覚悟が、
そのとき初めて定まったように思います。


外の世界で学んだこと

2003年からの約2年間、
インドネシア・ジョグジャカルタに滞在し、
バティック(ろうけつ染)を学びました。

異なる気候、異なる宗教観、異なる生活のリズム。
その中で工芸がどのように根づき、人々の暮らしと結びついているのかを、
現地での生活を通して体感しました。

この経験は、
「伝統を守ること」と「変化を受け入れること」は、
決して相反するものではない、
という確信を私にもたらしました。


受賞・出展についての考え方

これまで、沖展、日本工芸会、西部伝統工芸展、
MOA美術館岡田茂吉賞など、
いくつかの評価や賞をいただいてきました。
また、文化庁主催の展覧会や、
「ポケモン工芸展」など、国内外に向けた企画展にも参加する機会を得ています。

こうした節目を迎えるたびに、
私自身の評価以上に、
紅型という存在を知ってもらう機会が広がっていくことに、
大きな喜びを感じています。

一つの作品が、
「沖縄にはこういう染め物があるのですね」
という小さな気づきにつながる。
その積み重ねこそが、紅型の未来を静かに支えていくのだと感じています。


制作について

制作では、伝統的な技法を大切にしながらも、
その時代、その感覚にしか生まれない表現を探り続けています。

代表作の一つである紅型着物《波の歌》では、
沖縄の海を泳ぐ生き物たちの姿を、
藍色を基調に、リズムと奥行きを意識して表現しました。

新しさを声高に主張するのではなく、
布に触れた人が、
どこか懐かしさや安心感を覚えるような仕事を目指しています。


今、そしてこれから

現在は、
城間びんがた工房十六代代表として制作を行いながら、
日本工芸会正会員、沖展染色部門審査員、
沖縄県立芸術大学非常勤講師としても活動しています。

これらの役割もまた、
紅型を「閉じた世界」に留めず、
次の世代や、まだ出会っていない人たちへと
静かにつないでいくための一つの手段だと考えています。

これからも、
展覧会やさまざまな協働を通して、
紅型という文化に触れる“入り口”を、少しずつ増やしていきたい。
それは広げるためというより、
必要な場所に、必要なかたちで、そっと灯りを置いていく
そんな感覚に近いものです。


おわりに

公式ホームページでは、
紅型の歴史や背景、制作に込めた考えを、
少し丁寧に言葉にして残しています。

Instagramでは、
職人の日常や工房の空気、
沖縄の光や緑の中で息づく紅型の表情を、
より身近な距離感でお伝えしています。

どちらも、紅型を「特別なもの」にするためではなく、
今を生きる私たちの暮らしと、
静かにつながる存在として感じていただくためのものです。

この場所を訪れてくださったことが、
紅型との、ささやかな出会いとなれば幸いです。

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