「静かに集まって、なぜか笑う。」
2025.12.14
「紅型 × 落語 ― 出会いが色と物語を連れてくる」
こんにちは。いつも紅型を通して琉球文化に関心を寄せてくださり、心より感謝申し上げます。
今日は、来年1月17日に開催を予定している「紅型 × 落語」という新しい試みについて、少し長めにお話を綴ってみたいと思います。

紅型と落語。
一見するとまったく異なる世界のようですが、どちらも “人の営みを色や言葉に乗せて伝える” という深い共通点を持っています。
そして今回、このふたつをゆるやかに掛け合わせてみる企画が、ありがたいことに大変多くの反響をいただき、開催前にもかかわらず予約はほぼ満席に近づいています。
紅型の愛好家、落語を支えてきたファンの方々、そして「この組み合わせってどんな世界になるんだろう?」という好奇心で申し込んでくださった皆さまが、同じ場所へ向かって集まろうとしている——その静かな高まりを、今ひしひしと感じています。
そもそも私が文化イベントを始めたのは、2024年からのことです。会場として選んだのは、祖父・城間栄喜(14代)が亡くなるまで暮らしていた家。
この家は、戦後の焼け野原から紅型をよみがえらせた祖父の思いが、今も静かにとどまる場所です。



38歳で敗戦を迎え、生きること自体が不安定だった時代。
祖父は多くの職人や学識者と交流しながら、
「紅型は必ず沖縄の未来を照らす文化になる」
という願いを胸に抱き、歩みを続けていました。
私はその場所でイベントを行うたび、部屋の光や風の流れ、庭に落ちる影の形に、当時の対話や祈りの気配が重なって見える時があります。
言葉として残らなくとも、この家そのものが「文化を未来へ渡すための磁場」のように働いているのでしょう。
今回の紅型 × 落語も、その“磁場”の中で生まれた企画のひとつです。
落語には、人の日常の喜怒哀楽が凝縮されています。
紅型もまた、人の心の揺らぎを色や構図に溶かし込みながら表現する工芸です。
その二つが同じ空間で響き合うとどうなるのか——
開催前でありながら、すでに多くのイメージが心の中に立ち上がっています。
落語家の語りの“間”と、紅型の図案に残る“余白”。
噺の流れに寄り添う登場人物の情感と、色が少しずつ重なり合っていく紅型の時間。
それらが互いにほんの少し視線を交わすことで、作品にはまた違う物語が生まれるのかもしれません。
このイベントが面白いのは、紅型の世界から来る方と落語のファンの方が、同じ場の中で混ざり合う点にあります。
互いに知らなかった文化を、同じ温度で体験する。
そこには “新しい文化の入口” のような空気が生まれます。
沖縄という島は、古くから多文化が出会い、ぶつかることなく静かに溶け合ってきた場所。
中国、東南アジア、日本、海を越えて流れ着くものが、風のようにこの島に触れ、独自の美意識を形づくってきました。
紅型がその影響の結晶であるように、今回の落語との出会いも、
「異なるものを柔らかく受け入れる島の感性」
が後押ししてくれているのだと感じています。
イベントを準備する中で、私は「場をつくる」ということの大切さをあらためて思います。
一つひとつの企画には試行錯誤があり、改善すべき点も当然あります。
しかし、それでも文化は「人が集まり、同じ時間を共有する」ことで静かに熟していくものです。
祖父の家には、かつて多くの人が出入りしていました。
琉球文化への思いを語り合い、時に酒を酌み交わし、
未来を見据えるための小さな火をそれぞれ心に持ち帰ったのでしょう。
その営みの延長線上に、今の私たちがあります。
文化とは、ひとつの時代が守るものではなく、
世代と世代の間でゆっくりと手渡されていくものだと、最近よく感じるのです。
2025年の沖縄は、戦後80年を迎えます。
私の父は終戦時10歳。被災し、母を失い、疎開先の熊本から命がけで戻ってきました。
それでも父は手を止めず、92歳になろうとしている今も紅型の仕事を続けています。
その姿を見て育ちながら私は思うのです。
文化は「強い意志」で残るのではなく、
「続けるしかなかった人の暮らし」の中で静かに育つものなのだ、と。
だからこそ私は、イベントを行うときに
“ただ形としての文化を提示する” のではなく、
“人の営みが積み重なってできた文化” を感じられる場にしたいと思っています。
これから、4月・7月・10月・翌1月と、季節ごとに新しい企画を準備しています。
4月は琴と紅型を掛け合わせた会を予定しています。
琴の透明な響きと、紅型の柔らかな色彩が交差するとき、きっとまた違う景色が立ち上がるでしょう。
文化は固定されたものではなく、出会いによって形を変えます。
だからこそ、こうした試みが未来へ向けた小さな一歩になればと願っています。
最後に。
今回の紅型 × 落語の企画が、まだ開催前であるにもかかわらず、
多くの反応と期待をいただいていることに、心から感謝しております。
この道がどこへ続くのかは、私にもまだ分かりません。
けれど、祖父の家で風が通り抜け、
職人とお客さまが同じ空気を吸い、
落語家の声と紅型の色が重なる瞬間——
そこに生まれる“静かな灯り”を信じたいと思っています。


文化はいつも、そんな小さな灯りから始まるのです。
当日、皆さまとその灯りを分かち合えることを、心より楽しみにしております。
イベントの前に、場所のことを少しだけ。↓↓↓

LINE公式 https://line.me/R/ti/p/@275zrjgg

Instagram https://www.instagram.com/shiromabingata16/
公式ホームページでは、紅型の歴史や伝統、私自身の制作にかける思いなどを、やや丁寧に、文化的な視点も交えながら発信しています。一方でInstagramでは、職人の日常や工房のちょっとした風景、沖縄の光や緑の中に息づく“暮らしに根ざした紅型”の表情を気軽に紹介しています。たとえば、朝の染料作りの様子や、工房の裏庭で揺れる福木の葉っぱ、時には染めたての布を空にかざした一瞬の写真など、ものづくりの空気感を身近に感じていただける内容を心がけています。
紅型は決して遠い伝統ではなく、今を生きる私たちの日々とともにあるものです。これからも新しい挑戦と日々の積み重ねを大切にしながら、沖縄の染め物文化の魅力を発信し続けていきたいと思います。ぜひInstagramものぞいていただき、工房の日常や沖縄の彩りを一緒に楽しんでいただけたら嬉しいです。

城間栄市 プロフィール昭和52年(1977年)、沖縄県生まれ。
城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育つ。
学歴・海外研修
- 平成15年(2003年)より2年間、インドネシア・ジョグジャカルタ特別州に滞在し、バティック(ろうけつ染)を学ぶ。
- 帰国後は城間びんがた工房にて、琉球びんがたの制作・指導に専念。
受賞・展覧会歴
- 平成24年:西部工芸展 福岡市長賞 受賞
- 平成25年:沖展 正会員に推挙
- 平成26年:西部工芸展 奨励賞 受賞
- 平成27年:日本工芸会 新人賞を受賞し、正会員に推挙
- 令和3年:西部工芸展 沖縄タイムス社賞 受賞
- 令和4年:MOA美術館 岡田茂吉賞 大賞 受賞
- 令和5年:西部工芸展 西部支部長賞 受賞
主な出展
- 「ポケモン工芸展」に出展
- 文化庁主催「日中韓芸術祭」に出展
- 令和6年:文化庁「技を極める」展に出展
現在の役職・活動
- 城間びんがた工房 十六代 代表
- 日本工芸会 正会員
- 沖展(沖縄タイムス社主催公募展)染色部門 審査員
- 沖縄県立芸術大学 非常勤講師
プロフィール概要
はじめまして。城間びんがた工房16代目の城間栄市です。私は1977年、十五代・城間栄順の長男として沖縄に生まれ、幼いころから紅型の仕事に親しみながら育ちました。工房に入った後は父のもとで修行を重ねつつ、沖縄県芸術祭「沖展」に初入選したことをきっかけに本格的に紅型作家として歩み始めました。
これまでの道のりの中で、沖展賞や日本工芸会の新人賞、西部伝統工芸展での沖縄タイムス社賞・西部支部長賞、そしてMOA美術館の岡田茂吉賞大賞など、さまざまな賞をいただくことができました。また、沖展の正会員や日本工芸会の正会員として活動しながら、審査員として後進の作品にも向き合う立場も経験しています。
私自身の制作で特に印象に残っているのは、「波の歌」という紅型着物の作品です。これは沖縄の海を泳ぐ生き物たちの姿を、藍型を基調とした布に躍動感をもって表現したものです。伝統の技法を守りつつ、そこに自分なりの視点や工夫を重ねることで、新しい紅型の可能性を切り拓きたいという思いが込められています。こうした活動を通して、紅型が沖縄の誇る伝統工芸であるだけでなく、日本、そして世界に発信できるアートであると感じています。
20代の頃にはアジア各地を巡り、2003年から2年間はインドネシア・ジョグジャカルタでバティック(ろうけつ染)を学びました。現地での生活や工芸の現場を通して、異文化の技術や感性にふれ、自分自身の紅型への向き合い方にも大きな影響を受けました。伝統を守るだけでなく、常に新しい刺激や発見を大切にしています。
最近では、「ポケモン×工芸展―美とわざの大発見―」など、世界を巡回する企画展にも参加する機会が増えてきました。紅型の技法でポケモンを表現するというチャレンジは、私自身にとっても大きな刺激となりましたし、沖縄の紅型が海外のお客様にも響く可能性を感じています。
メディアにも多く取り上げていただくようになりました。テレビや新聞、ウェブメディアで工房の日常や制作現場が紹介されるたびに、「300年前と変わらない手仕事」に込めた想いを、多くの方に伝えたいと強く思います。