十年後、この話をして笑い合えたら【職人募集】
2026.08.06

― 城間びんがた工房から、未来の職人へ ―
皆さま、こんにちは。いつも城間びんがた工房を見守ってくださり、本当にありがとうございます。作品を手に取ってくださる方、工房を訪れてくださる方、遠くから応援してくださる方。その一つひとつのご縁によって、私たちは今日も琉球びんがたという文化を未来へつないでいます。
今回は、少し特別なお知らせです。城間びんがた工房で、新しく一緒に働いてくれる職人を探しています。
担っていただきたいのは、水洗い(みずもと)という工程です。募集は一名。できれば二十代前半の男性を希望していますが、これは性別そのものが理由ではありません。想像以上に体力を使う仕事だからです。もちろん、体力に自信のある女性であれば、それも嬉しいことです。
正直に言うと、「働き手を探している」というより、「これから十年、二十年と、一緒に文化を背負ってくれる人に出会いたい」という気持ちの方が、ずっと近いです。
私は三歳の頃、この工房が建ちました。気づけば工房が遊び場であり、生活の一部でした。職人と親戚の境目も分からないまま育ち、父の膝の上で図案を眺めていた景色が、今でも一番古い記憶として残っています。だから私にとって、ものづくりは特別な世界ではありませんでした。暮らしの中に、当たり前にある風景だったのです。
しかし、それと職人になることは、また別の話でした。
十代の頃、私が最初に任されたのは、水洗いでした。染め上がった布を何度も水で洗い、余分な染料を落とし、美しく仕上げていく最後の工程です。華やかな仕事ではありません。むしろ、人目につかない仕事です。それでも、完成を目前にした作品を預かる仕事でもあります。一つの判断、一つの動作が、作品全体を左右します。何かを足すことはできません。ただ、失敗をしないこと。丁寧に、美しく、作品を送り出すこと。それが、この仕事の役割です。
正直に言えば、とても過酷でした。当時の工房には、今ほど設備も整っていませんでした。地下にある約二トンの貯水槽から水を汲み上げ、染め上がった布を洗い続ける毎日。蒸し工程では百度近い蒸気が立ち上り、石油ボイラーの熱気が小屋を包みます。一日の終わりには、体重が三キロ近く減ることも珍しくありませんでした。汗で全身が濡れ、水しぶきで服が重くなる。体力だけを考えれば、決して楽な仕事ではありません。
それでも、私はその時間が好きでした。小学生の頃から琉球空手を学び、中学生ではテニス部に所属していました。二年生で部長になり、「誰よりも練習すること」が自分の答えだと信じていました。休み時間もコートへ向かい、夏休みには炎天下で八時間以上ラケットを振り続ける。朝五時、まだボールがぼんやり見える時間から練習を始めたこともあります。今思えば、あの時間は勝つためだけではありませんでした。自分を鍛えることが、少しずつ好きになっていたのだと思います。だから十代の私にとって、水洗いという仕事は、苦しさよりも、「今日も全力で生き切った」と感じられる時間でした。
不思議なもので、あの頃、体を追い込みながら身につけた粘り強さは、今も自分のどこかに残っています。仕事でも、私生活でも、簡単には諦めない自分がいるとしたら、その土台はきっと、水洗いの日々の中で少しずつ作られていったのだと思います。
そしてこの仕事には、体力以上に心を動かす瞬間があります。水の中で見る色です。
染料が水と光を受けて揺れる瞬間。顔料がゆっくりと布になじんでいく様子。藍の深さ。紅の透明感。黄色が光を受けてやわらかく輝く景色。その美しさは、水の中でしか見ることのできない色でした。風が吹けば表情が変わり、光が差せばまったく違う色になる。一瞬しか存在しない美しさです。私は十代の頃、その景色を毎日のように見ていました。そしていつしか、思うようになりました。「この水の中の美しさを、布の上にも表現できないだろうか」。今の作品づくりにつながる感覚は、もしかすると、あの水の中で育ててもらったのかもしれません。
大変な仕事の中に、そういう瞬間があります。誰にも気づかれない、地味な作業の途中で、自分にしか見えない美しさに出会う。それはきっと、この工程を実際に担った人だけが受け取れる、静かなご褒美のようなものだと思います。
職人というと、一日中同じ仕事を繰り返すイメージがあるかもしれません。しかし、水洗いは毎日ではなく、多い週でも二日ほどです。それ以外の日は、染めや準備、工房のさまざまな工程にも関わっていただきます。だからこそ、水洗いだけを覚える仕事ではなく、琉球びんがたという文化全体を、時間をかけて学んでいける入口でもあります。
私たちが本当に大事にしたいのは、「仕事がほしい」という気持ちよりも、「十年後、自分の手で文化をつないでいたい」という気持ちです。体力があること。素直に学べること。仲間を大切にできること。そして、沖縄の文化が好きであること。この四つさえあれば、技術は、私たちが時間をかけてお伝えしていきます。技術は、教えることができます。けれど、文化を愛する心だけは、自分自身の中で育てていくしかないものだと思っています。
募集期間は、二〇二六年八月から二〇二七年四月頃までを予定しています。採用は一名です。急いで決めるつもりはありません。一緒に働く人というより、一緒に未来をつくっていける人に出会いたいと思っているからです。
もしこの文章を読んで、「大変そうだ」と思われたなら、その気持ちは、きっと正しいと思います。もし同時に、「それでも挑戦してみたい」と、心が少し動いたのなら、その感覚も大切にしてください。文化は、楽だから受け継がれてきたのではありません。誰かが、その価値を信じて手を動かし続けたから、今日まで残ってきました。私たちは、そのバトンを次の世代へ渡したいと思っています。そのバトンを受け取る人が、いつかまた次の世代へ渡してくれることを願いながら。
十年後、この工房で笑いながら、「最初は水洗いが一番大変でしたね」と語り合える日を、心から楽しみにしています。
あなたが職人になるということは、仕事を選ぶことではありません。沖縄の風、光、水、そして三百年以上受け継がれてきた時間を、自分の人生に迎え入れるということです。
もし、その未来に心が重なるなら、一度工房へお越しください。作品ではなく、働く人たちの表情を見てください。その空気に、自分の十年後が少しでも重なったなら、私たちはその出会いを、心から歓迎します。





城間栄市プロフィール
紅型に、時間と祈りを宿す
私は紅型を、単なる染色技法ではなく、
沖縄という土地で積み重ねられてきた時間や祈り、
そして暮らしの感覚を受け止める「文化の器」だと捉えています。
布に色を置くという行為の奥には、
自然へのまなざし、人への想い、
そして生き方そのものが静かに重なっています。
その感覚を、できるだけ正直に、今の時代の言葉と形で手渡していくこと。
それが、私が紅型と向き合い続ける理由です。

生い立ちと紅型との距離
1977年、沖縄県生まれ。
城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育ちました。
幼い頃から、工房は日常の延長線上にありました。
染料の匂い、布を干す風景、
職人たちの背中や交わされる何気ない会話。
それらは特別なものというより、生活の一部として、自然に身の回りにありました。
本格的に工房に入り、父のもとで修行を始めたのは、
沖縄県芸術祭「沖展」への初入選をきっかけとしています。
紅型を「受け継ぐもの」としてではなく、
自分自身の人生として引き受ける覚悟が、
そのとき初めて定まったように思います。
外の世界で学んだこと
2003年からの約2年間、
インドネシア・ジョグジャカルタに滞在し、
バティック(ろうけつ染)を学びました。
異なる気候、異なる宗教観、異なる生活のリズム。
その中で工芸がどのように根づき、人々の暮らしと結びついているのかを、
現地での生活を通して体感しました。
この経験は、
「伝統を守ること」と「変化を受け入れること」は、
決して相反するものではない、
という確信を私にもたらしました。
受賞・出展についての考え方
これまで、沖展、日本工芸会、西部伝統工芸展、
MOA美術館岡田茂吉賞など、
いくつかの評価や賞をいただいてきました。
また、文化庁主催の展覧会や、
「ポケモン工芸展」など、国内外に向けた企画展にも参加する機会を得ています。
こうした節目を迎えるたびに、
私自身の評価以上に、
紅型という存在を知ってもらう機会が広がっていくことに、
大きな喜びを感じています。
一つの作品が、
「沖縄にはこういう染め物があるのですね」
という小さな気づきにつながる。
その積み重ねこそが、紅型の未来を静かに支えていくのだと感じています。
制作について
制作では、伝統的な技法を大切にしながらも、
その時代、その感覚にしか生まれない表現を探り続けています。
代表作の一つである紅型着物《波の歌》では、
沖縄の海を泳ぐ生き物たちの姿を、
藍色を基調に、リズムと奥行きを意識して表現しました。
新しさを声高に主張するのではなく、
布に触れた人が、
どこか懐かしさや安心感を覚えるような仕事を目指しています。
今、そしてこれから
現在は、
城間びんがた工房十六代代表として制作を行いながら、
日本工芸会正会員、沖展染色部門審査員、
沖縄県立芸術大学非常勤講師としても活動しています。
これらの役割もまた、
紅型を「閉じた世界」に留めず、
次の世代や、まだ出会っていない人たちへと
静かにつないでいくための一つの手段だと考えています。
これからも、
展覧会やさまざまな協働を通して、
紅型という文化に触れる“入り口”を、少しずつ増やしていきたい。
それは広げるためというより、
必要な場所に、必要なかたちで、そっと灯りを置いていく
そんな感覚に近いものです。
おわりに
公式ホームページでは、
紅型の歴史や背景、制作に込めた考えを、
少し丁寧に言葉にして残しています。
Instagramでは、
職人の日常や工房の空気、
沖縄の光や緑の中で息づく紅型の表情を、
より身近な距離感でお伝えしています。
どちらも、紅型を「特別なもの」にするためではなく、
今を生きる私たちの暮らしと、
静かにつながる存在として感じていただくためのものです。
この場所を訪れてくださったことが、
紅型との、ささやかな出会いとなれば幸いです。

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