色に込められた祈り~紅型がつなぐ過去と未来~

戦後80年、祖父が見た沖縄と私が感じる平和の奇跡

戦後80年と聞いても、1977年生まれの私には正直なところ実感が湧きません。私は戦争を知らない世代であり、当事者ではないからです。

しかし、私の父・栄順は昭和9年生まれで、戦後を迎えたのは10歳前後。祖父・栄喜は38歳で終戦を迎えています。そう考えると、戦争の記憶を鮮明に持つ「完全なる当事者」は祖父の世代なのだろうと思います。

私自身、戦時中の沖縄の様子を知る機会は資料の中でしかありません。それでも、ふとした日常の中で戦争の爪痕と沖縄の復興の奇跡を強く感じる瞬間があります。

夕日が沈むとき、穏やかに輝く首里の街並みを見て、「本当にここで、あれほど恐ろしい出来事があったのか?」と不思議に思うことがあります。そして、この美しい沖縄が、かつて戦火の厳しい地であったことを考えると、ここに平和が戻ったことは奇跡ではないかとさえ思うのです。


戦後の苦境と工芸の再生

今回添付している画像の中には、戦後の苦しい時代に家業を守るために作られた葉書があります。この葉書は、祖父・栄喜交流のあった阿部栄四郎先生(島根県で和紙を作る人間国宝)からいただいた和紙を使って制作されたものです。

当時、沖縄は戦争による甚大な被害を受け、物資もなく、人々は生活することさえ困難でした。そんな中、唯一お金を持っていたのは駐留していたアメリカ人でした。祖父は彼ら向けにポストカードを作り、沖縄にかつてあった文化をデザインとして取り入れ、それを紅型の技術で染めて販売しました。写真には、当時のポストカードと、その制作に使われた型紙が残されています。

また、もう一つの写真には「筒描き」と呼ばれる技法で使用された道具が写っています。これは型紙を使わずに直接糊を描くための道具で、先端には鉄砲の弾が使われています。戦後、何もない時代に工夫しながら制作を続けた証です。80年前に実際に使用されていたものが今も残っているという事実に、祖父たちの努力と情熱が感じられます。


戦後の暮らしと父の記憶

そんな祖父のもとで育った父は、戦争の話をほとんどしませんでした。しかし、私が工房を継ぐことになり、家族の歴史や祖先の想いを知ろうとする中で、少しずつ過去の話をするようになりました。

父の記憶によると、戦後すぐに家族は首里に戻ることができず、アメリカ軍の管理下にあったため、巨大な野営用のテントの中で4世帯が共同生活をしていたそうです。そしてようやく故郷に戻ったとき、住まいは台風が来るたびに屋根が飛んでいくような簡素なものでした。

台風の知らせがあると、家族は急いで衣類をドラム缶に詰め、それをひっくり返して大きな石を置いて飛ばないように固定し、その上にしがみついて耐えたそうです。そして、祖父は紅型の復興に全てを捧げていたため、生活の厳しさにもかかわらず、「紅型以外の仕事をするな」と家族に厳しく言い聞かせていたといいます。

そんな中、高校2年生だった父は、家族のためにどうにかして温かい毛布を手に入れたいと考えました。祖父に隠れて近くの本屋でアルバイトをし、ようやく自分の力で毛布を買うことができたとき、それは本当に幸せな瞬間だったと語っていました。

しかし、しばらくして、その毛布は祖父の寝タバコによって燃えてしまったそうです。父は「やっと手に入れたものが一瞬で灰になった」と、そのときの悔しさを笑い話のように話していましたが、当時の厳しい暮らしがどれほど過酷だったのかを物語るエピソードです。


受け継がれる想いと未来へ

祖父は、戦争で妻を亡くし、男手ひとつで子どもを育てながら、工芸を守り続けました。その時代の厳しさを想像すると、私たちが今こうして平和な沖縄で紅型を作り続けられることがどれほど幸運なことかを実感します。

祖父の世代が命をかけて復興を果たし、父の世代がその道を守り続け、そして今、私の世代が伝統を受け継いでいます。

そして今、首里の街を見渡すと、かつての戦禍の爪痕を感じさせないほど、美しく穏やかな風景が広がっています。祖父はよく「紅型を手に取る人に、背景の苦しさは関係ない」と言っていたそうです。だからこそ、戦争の傷跡ではなく、紅型の色彩や模様に豊かさと優しさを込めることを大切にしていました。

私自身、この土地に根付く紅型という伝統を受け継ぐなかで、祖父や父が何を守ろうとしていたのかを考えるようになりました。それは単なる技術ではなく、沖縄が長い歴史の中で育んできた「認め合う心」や「多様性を受け入れる文化」そのものだったのではないかと思うのです。

沖縄は、さまざまな文化が交わり、新しいものを受け入れながらも、自分たちのアイデンティティを大切にしてきた島国です。祖父や父が大切にした紅型もまた、時代とともに変化しながらも、受け継がれることで新たな価値を生み出してきました。

私も今、その流れの中にいます。紅型を通じて、沖縄の持つ寛容さや、自然と共に生きる感性を表現し、未来へとつなげていきたい。そうすることで、祖父や父が大切にしてきた沖縄の価値観を、これからの時代に生きる人々へと届けられるのではないかと思うのです。

祖父が残した紅型とその技術が、ただの工芸ではなく、沖縄の精神そのものとして未来へと続いていくことを願っています。

(今年1月17日は母の誕生日でした。手前にいるのは父 栄順で、15代目を務めた人です。苦楽を共にしてきた二人の、温かく穏やかなひとときです)

城間栄市 (しろま・えいいち) プロフィール

生年・出身

昭和52年(1977年)、沖縄県生まれ。
城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育ち、幼少期より琉球びんがたに親しむ。

学歴・海外研修

  • 平成15年(2003年)から2年間、インドネシア・ジョグジャカルタ特別州に滞在し、バティック(ろうけつ染)を学ぶ。
  • 帰国後は城間びんがた工房にて琉球びんがたの制作・指導に専念。

経歴・受賞・展覧会歴

沖展(沖縄タイムス社主催公募展)

  • 2000年(第52回):初入選
  • 2003年(第55回):奨励賞
  • 2008年(第60回):奨励賞(「ゴマアイゴ紋様」)
  • 2010年(第62回):奨励賞(「上昇波(ジョウショウハ)」)
  • 2011年(第63回):沖展賞(「イナズマ ガンガゼ」)、準会員推挙
  • 2012年(第64回):準会員賞(「すくゆい」)
  • 2013年(第65回):準会員賞(「紅型着物『雲を読む』」)、会員推挙

西部工芸展

  • 平成24年(2012年):第47回 西部伝統工芸展 福岡市長賞
  • 平成26年(2014年):第49回 西部伝統工芸展 奨励賞
  • 令和3年(2021年):沖縄タイムス社賞
  • 令和5年(2023年):西部支部長賞

日本伝統工芸会

  • 平成25年(2013年):沖展 正会員に推挙
  • 平成27年(2015年):日本伝統工芸展 新人賞受賞、日本工芸会 正会員に推挙

その他の活動・受賞

  • 令和4年(2022年):MOA美術館 岡田茂吉賞 大賞
  • 「ポケモン工芸展」に出展
  • 文化庁主催「日中韓芸術祭」に出展
  • 令和6年(2024年):文化庁「技を極める」展に出展
  • 2014年:城間びんがた工房 十六代継承

現在の役職・活動

  • 城間びんがた工房 十六代 代表
  • 日本工芸会 正会員
  • 沖展(沖縄タイムス社主催公募展)染色部門 審査員
  • 沖縄県立芸術大学 非常勤講師

プロフィール概要

城間 栄市(しろま・えいいち)は、昭和52年(1977年)生まれの琉球びんがた作家。城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として生まれ育ち、幼少期から伝統工芸の世界に馴染む。
平成15年(2003年)から2年間、インドネシアでバティック(ろうけつ染)を学び、帰国後は琉球びんがたの技法を継承しながら、海外の経験を活かした新しい表現を追求し続けている。

数々の受賞歴を有し、日本工芸会 正会員や沖展染色部門の審査員など、多方面で活躍。文化庁やMOA美術館主催の展覧会にも出展を重ね、琉球びんがたの魅力を国内外へ発信している。現在は城間びんがた工房の十六代代表として制作・指導にあたりつつ、沖縄県立芸術大学の非常勤講師として後進の育成にも努めている。