守り神の微笑み 〜工房に息づくシーサーの物語〜【工房時間】
2025.01.27
シーサーとともに生きる工房の歴史──紅型と首里の物語
沖縄の街を歩けば、いたるところで目にする「シーサー」。赤瓦の上や門柱のそばなど、家々を見守る守り神として、その存在感は独特です。ですが、シーサーは単なる置物ではありません。特に、私たちが営む城間びんがた工房の敷地内にいるシーサーたちには、戦後復興の激動の時代を生き抜いた職人たちの思いが込められています。本記事では、紅型とシーサーがどのように共存し、どのように首里という街の歴史と交わっているのかを、文化的視点を交えながらたっぷりとご紹介します。
1. シーサーとの暮らし──工房に宿る“守り神”たち
1-1. 日常的な見学を行わない理由
まず初めに、私たち城間びんがた工房は普段、観光客向けの見学を常時受け入れていません。これは、制作の環境を最優先に守っているためです。紅型は一つひとつの工程が職人の集中力に大きく左右されるため、多数の見学者が出入りする状況は本来の仕事に支障をきたす可能性があります。
加えて、首里という観光地にあるがゆえ、もし見学にいらっしゃる方が必ずしも伝統工芸に興味を持っていない場合、Win-Winの関係にならないという背景もあります。しかしながら「紅型の魅力を知ってもらいたい」「工房の雰囲気を感じてほしい」という想いは常にあるのです。そこで今回は、紅型作品とは直接関係がないようで深く繋がる、工房の敷地内で静かに見守るシーサーたちにスポットを当てたいと思います。
1-2. シーサーが象徴する“心の拠り所”
沖縄でシーサーといえば、家の屋根や門柱などに配置され、邪気を払う守り神として馴染み深い存在です。私たちの工房でも、シーサーたちが敷地のあちこちに佇み、職人や来訪者を優しく見守っています。その姿には、どこか愛嬌があり、近寄ってみると少しずつ表情が異なることに気づくでしょう。これは戦後の激動期を生きた職人たちが、ユーモアや前向きな思いを込めながら作り上げたからこそ生まれる“個性”なのです。

2. 首里の歴史と紅型──戦前と戦後の激動
2-1. 戦前、当蔵にあった工房
沖縄の伝統工芸、紅型(びんがた)は長らく琉球王国時代の王族や士族の衣装を染めるために発展しました。私たち城間びんがた工房のルーツも、もちろん首里の中心部に近い場所にありました。なかでも**「当蔵(とうのくら)」というエリアは、首里公民館がある区画として知られ、戦前から紅型職人が集まっていた地域の一つです。しかし、太平洋戦争の末期には首里一帯が戦火に包まれ、私たちの家や工房も消失**してしまったのです。
2-2. 戦後に移転した首里山川町
戦後の復興期、祖父の代となる職人たちは、家族とともに途方に暮れながらも首里山川町へ工房を再建しました。戦争による物資不足の中、まずは住む場所を確保し、工房を立ち上げるために石を積み、井戸を掘り、木材を確保するといった自給自足的な作業に取り組む毎日。紅型を染めるどころではない過酷な環境下で、彼らは**「シーサーを作ろう」**という祖父の言葉を胸に、漆喰や余った材料を使ってオリジナルのシーサーを作り始めたのです。
3. 職人たちが作ったシーサー──戦後復興期のユーモアと創意工夫
3-1. 「漆喰シーサー」の由来
昔の沖縄では、大工が家を建て終わった後に、**余った漆喰(しっくい)**や木材でシーサーを作り、屋根に載せる風習が一般的でした。漆喰は屋根の隙間を埋めるための素材であり、あまった分を利用して作られるシーサーを「漆喰シーサー」と呼ぶことがあります。
祖父はこれを応用し、工房にいる職人達にシーサーを作らせたのです。当時の職人たちは染色の技術こそ持っていましたが、粘土や漆喰での造形には不慣れ。困り果てた末に、己の顔や周りの人の表情を観察しながら、試行錯誤してシーサーを形にしていったといいます。
3-2. シーサー作りのの真意??
戦後の沖縄がまだ焼け野原の状態から立ち上がる中、人々が見知らぬ職種や作業に挑戦せざるを得なかった状況を思えば、このシーサー作りに象徴される“創意工夫”と“ユーモア”は、人々の心を支える大きな力だったのだと感じます。


4. シーサーが語りかけるメッセージ──優しさと力強さの象徴
4-1. 工房を見守る静かな存在
現在、城間びんがた工房の敷地内には、当時職人たちが作ったシーサーが点在しています。形や大きさ、表情はそれぞれ異なりますが、どれも戦後を生き抜いた人々の粘り強さを投影しているかのようです。一見無骨なフォルムでありながら、どこか愛らしい雰囲気が漂うのは、職人たちが想いを込めて作ったからこそでしょう。
4-2. 戦後復興のシンボル
シーサーは、沖縄の家々を守る存在として昔から親しまれてきましたが、私たちの工房にいるシーサーたちは、その役割以上に**“希望の灯”のような意味合いを持っていると感じます。戦火で失われた街を再建し、伝統工芸を再び軌道に乗せようとした祖父や職人たちの試行錯誤、そしてその苦労を少しでも和らげるようなユーモアや温かな心**が、シーサーの表情に刻まれているのです。
5. 紅型とシーサーが織りなす首里の物語
5-1. 観光地としての首里と工房の在り方
首里は、沖縄観光の中心地の一つですが、私たち工房は冒頭でも述べたように、日常的な見学を積極的には行っていません。これは、紅型づくりに集中できる環境を守ると同時に、本来の目的を共有できる方々に深く紅型や工房の文化を感じていただくための選択です。とはいえ、「紅型の魅力をより多くの人に知ってもらいたい」という気持ちは強く持ち続けています。
6. これからの紅型──“守り神”とともに歩む未来
6-1. 過去を知り、新しい価値を創造する
城間びんがた工房の歴史は、戦前から続く紅型の技術だけでなく、戦後の復興期に刻まれた人々の努力や工夫によって築かれたものです。シーサー作りのエピソードは、その一例にすぎませんが、過去を振り返ることで得られるヒントや価値観が、今の世代に新しい風を吹き込んでくれることを実感しています。紅型もまた、伝統を守りながら現代の感性を取り入れることで、未来に向けて進化し続けるでしょう。
6-2. 紅型を通じた“沖縄らしさ”の発信
沖縄が世界と繋がっていくうえで、紅型は地域の文化的アイデンティティを表現する強力なツールとなり得ます。私たちが作る紅型には、首里の土地に根付いた歴史や、家族と職人たちが紡いできた物語が宿っています。そしてシーサーたちは、その背景を静かに語りかけてくれる存在です。今後も、紅型の技術とシーサーが見守る工房の環境を大切にしつつ、海外や新たな分野への展開を目指していきたいと考えています。
まとめ──シーサーが見つめる先にある、紅型と首里の物語
シーサー、シーサー!
嬉しさぁ〜 楽しいさぁ〜 優しいさぁ〜 と唱えるような軽やかさで、私たちを見守る工房のシーサーたち。彼らの存在は、戦後の厳しい状況で祖父や職人たちが力を合わせ、ユーモアと創意工夫で生み出した“生きた証”のように感じられます。一見、紅型とは直接結びつかないように思えるシーサーですが、実は、紅型の制作環境と首里という土地の歴史を深く物語るキーパーソンなのです。
沖縄を訪れた際、あるいは首里の街を散策されるときに、こうしたシーサーの背景を思い浮かべてみてください。きっと彼らの表情に、今まで気づかなかった優しさや力強さを見出せることでしょう。そして、それは人と文化が織りなす“ものづくり”の温かさを感じる一歩となるはずです。紅型と首里の物語は、シーサーたちの視線を辿っていくことで、さらに奥深い世界へと広がっていきます












紅型に、時間と祈りを宿す
私は紅型を、単なる染色技法ではなく、
沖縄という土地で積み重ねられてきた時間や祈り、
そして暮らしの感覚を受け止める「文化の器」だと捉えています。
布に色を置くという行為の奥には、
自然へのまなざし、人への想い、
そして生き方そのものが静かに重なっています。
その感覚を、できるだけ正直に、今の時代の言葉と形で手渡していくこと。
それが、私が紅型と向き合い続ける理由です。

城間栄市プロフィール 生い立ちと紅型との距離
1977年、沖縄県生まれ。
城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育ちました。
幼い頃から、工房は日常の延長線上にありました。
染料の匂い、布を干す風景、
職人たちの背中や交わされる何気ない会話。
それらは特別なものというより、生活の一部として、自然に身の回りにありました。
本格的に工房に入り、父のもとで修行を始めたのは、
沖縄県芸術祭「沖展」への初入選をきっかけとしています。
紅型を「受け継ぐもの」としてではなく、
自分自身の人生として引き受ける覚悟が、
そのとき初めて定まったように思います。
外の世界で学んだこと
2003年からの約2年間、
インドネシア・ジョグジャカルタに滞在し、
バティック(ろうけつ染)を学びました。
異なる気候、異なる宗教観、異なる生活のリズム。
その中で工芸がどのように根づき、人々の暮らしと結びついているのかを、
現地での生活を通して体感しました。
この経験は、
「伝統を守ること」と「変化を受け入れること」は、
決して相反するものではない、
という確信を私にもたらしました。
受賞・出展についての考え方
これまで、沖展、日本工芸会、西部伝統工芸展、
MOA美術館岡田茂吉賞など、
いくつかの評価や賞をいただいてきました。
また、文化庁主催の展覧会や、
「ポケモン工芸展」など、国内外に向けた企画展にも参加する機会を得ています。
こうした節目を迎えるたびに、
私自身の評価以上に、
紅型という存在を知ってもらう機会が広がっていくことに、
大きな喜びを感じています。
一つの作品が、
「沖縄にはこういう染め物があるのですね」
という小さな気づきにつながる。
その積み重ねこそが、紅型の未来を静かに支えていくのだと感じています。
制作について
制作では、伝統的な技法を大切にしながらも、
その時代、その感覚にしか生まれない表現を探り続けています。
代表作の一つである紅型着物《波の歌》では、
沖縄の海を泳ぐ生き物たちの姿を、
藍色を基調に、リズムと奥行きを意識して表現しました。
新しさを声高に主張するのではなく、
布に触れた人が、
どこか懐かしさや安心感を覚えるような仕事を目指しています。
今、そしてこれから
現在は、
城間びんがた工房十六代代表として制作を行いながら、
日本工芸会正会員、沖展染色部門審査員、
沖縄県立芸術大学非常勤講師としても活動しています。
これらの役割もまた、
紅型を「閉じた世界」に留めず、
次の世代や、まだ出会っていない人たちへと
静かにつないでいくための一つの手段だと考えています。
これからも、
展覧会やさまざまな協働を通して、
紅型という文化に触れる“入り口”を、少しずつ増やしていきたい。
それは広げるためというより、
必要な場所に、必要なかたちで、そっと灯りを置いていく
そんな感覚に近いものです。
おわりに
公式ホームページでは、
紅型の歴史や背景、制作に込めた考えを、
少し丁寧に言葉にして残しています。
Instagramでは、
職人の日常や工房の空気、
沖縄の光や緑の中で息づく紅型の表情を、
より身近な距離感でお伝えしています。
どちらも、紅型を「特別なもの」にするためではなく、
今を生きる私たちの暮らしと、
静かにつながる存在として感じていただくためのものです。
この場所を訪れてくださったことが、
紅型との、ささやかな出会いとなれば幸いです。

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