過去と未来を結ぶ声──幼少期から見つめた紅型の真実
2024.11.07
笑い声があった場所
――城間びんがた工房という「帰る場所」の記憶
城間びんがた工房が、いまの三階建てのかたちになったのは、
私がまだ幼い頃のことでした。
正確な年数を数えれば四十年以上前になりますが、
子どもだった私にとっては、
「時間」というよりも「出来事」として記憶されています。
コンクリートを流し込む音。
鉄骨の響き。
建材のにおい。
そして、「自分の部屋ができるらしい」という、
少し誇らしく、少し落ち着かない気持ち。
工房が建つ、ということは、
単に仕事場が大きくなるという話ではありませんでした。
そこには、家族の暮らしがあり、
職人たちの時間があり、
紅型という仕事が、これからも続いていくための“場所”を
新しくつくる、という意思があったのだと思います。
もちろん、当時の私は、
そんなことを理解していたわけではありません。
ただ、
「ここから、何かが始まる」
そんな空気だけは、はっきりと覚えています。
首里の工房と、城間びんがた工房
首里の町には、昔からさまざまな工芸の工房が点在しています。
通学路の途中にも、いくつかの工房がありました。
子ども心に感じていたのは、
どの工房にも共通する、
張り詰めた静けさでした。
中をのぞけば、
職人たちが黙々と作業をしている。
集中の空気が濃く、
少し近寄りがたい。
それは、
伝統工芸という仕事の厳しさであり、
尊敬すべき姿でもありました。
ただ、幼い私にとっては、
どこか「緊張する場所」でもあったのです。
ところが、
城間びんがた工房の近くまで来ると、
空気が変わりました。
笑い声が聞こえる。
冗談が飛び交う。
誰かの声に、誰かが応える。
紅型は、決して楽な仕事ではありません。
糊置きも、染色も、
集中力と体力を要する工程の連続です。
それでも、工房の中には、
不思議と柔らかい空気が流れていました。
その笑い声を聞くたびに、
私は「帰ってきた」と感じていたのだと思います。
仕事は、厳しいだけのものではなかった
中学、高校と成長するにつれ、
私は漠然と
「仕事とは、つらく、厳しいものだ」
というイメージを持つようになりました。
競争。
評価。
我慢。
そうした言葉が、
働くことと結びついて語られる場面が多かったからです。
けれど、
城間びんがた工房にいると、
そのイメージは、少しずつ崩れていきました。
確かに仕事は厳しい。
簡単ではない。
けれど、
一人で抱え込むものではない。
隣で作業する人がいる。
困ったら、声をかける。
うまくいかないときは、
誰かが冗談を言って場を緩める。
「厳しさ」と「笑い」が、
同じ場所に同時に存在している。
その光景は、
当時の私にとって、とても新鮮でした。
四十七歳になって、思い出すこと
いま、私は工房を預かる立場にいます。
日々の制作だけでなく、
人のこと、環境のこと、
これから先のことを考える時間も増えました。
正直に言えば、
気持ちが重くなる日もあります。
思い通りにいかないことも、
迷うこともあります。
そんなとき、
ふと、あの頃の工房の空気を思い出すのです。
笑い声があったこと。
張り詰めすぎていなかったこと。
仕事が、
人をすり減らすだけの場所ではなかったこと。
あの感覚が、
いまの私を、
少しだけ立ち止まらせ、
少しだけ呼吸を整えさせてくれます。
技術の前に、場がある
紅型は、
琉球王国時代から続く、
歴史と格式をもった染め物です。
技術の継承は、
もちろん欠かすことができません。
けれど、
技術だけでは、仕事は続かない。
そう感じています。
人が集まり、
人が居続けられる場であること。
失敗しても、
また手を動かせる空気があること。
工房というのは、
単なる生産の場ではなく、
人の感情や関係性が、
自然と交わる場所なのだと思います。
笑い声がある、ということは、
気を抜いている、ということではありません。
むしろ、
続けるための“余白”がある、ということです。
笑い声という、見えない継承
幼い頃に耳にした笑い声は、
いま思えば、
城間びんがた工房が長く続いてきた理由の一つだったのかもしれません。
厳しさだけでは、人は残らない。
優しさだけでも、仕事は続かない。
その間にある、
何とも言えない温度。
その温度を保つために、
自然と生まれていたのが、
あの笑い声だったのだと思います。
私は、
その空気に守られて育ちました。
おわりに
城間びんがた工房は、
私にとって、
技術を学んだ場所である以前に、
「安心して戻れる場所」でした。
これから先、
時代はさらに変わっていくでしょう。
働き方も、価値観も、
今とは違うかたちになるかもしれません。
それでも、
仕事の中に、
人の温度が残っていること。
笑い声が消えないこと。
そのことだけは、
大切に守っていきたいと思っています。
紅型という仕事が、
これからも人の暮らしとともに、
静かに続いていくために。





プロフィール|城間栄市
紅型に、時間と祈りを宿す
私は紅型を、単なる染色技法ではなく、
沖縄という土地で積み重ねられてきた時間や祈り、
そして暮らしの感覚を受け止める「文化の器」だと捉えています。
布に色を置くという行為の奥には、
自然へのまなざし、人への想い、
そして生き方そのものが静かに重なっています。
その感覚を、できるだけ正直に、今の時代の言葉と形で手渡していくこと。
それが、私が紅型と向き合い続ける理由です。

生い立ちと紅型との距離
1977年、沖縄県生まれ。
城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育ちました。
幼い頃から、工房は日常の延長線上にありました。
染料の匂い、布を干す風景、
職人たちの背中や交わされる何気ない会話。
それらは特別なものというより、生活の一部として、自然に身の回りにありました。
本格的に工房に入り、父のもとで修行を始めたのは、
沖縄県芸術祭「沖展」への初入選をきっかけとしています。
紅型を「受け継ぐもの」としてではなく、
自分自身の人生として引き受ける覚悟が、
そのとき初めて定まったように思います。
外の世界で学んだこと
2003年からの約2年間、
インドネシア・ジョグジャカルタに滞在し、
バティック(ろうけつ染)を学びました。
異なる気候、異なる宗教観、異なる生活のリズム。
その中で工芸がどのように根づき、人々の暮らしと結びついているのかを、
現地での生活を通して体感しました。
この経験は、
「伝統を守ること」と「変化を受け入れること」は、
決して相反するものではない、
という確信を私にもたらしました。
受賞・出展についての考え方
これまで、沖展、日本工芸会、西部伝統工芸展、
MOA美術館岡田茂吉賞など、
いくつかの評価や賞をいただいてきました。
また、文化庁主催の展覧会や、
「ポケモン工芸展」など、国内外に向けた企画展にも参加する機会を得ています。
こうした節目を迎えるたびに、
私自身の評価以上に、
紅型という存在を知ってもらう機会が広がっていくことに、
大きな喜びを感じています。
一つの作品が、
「沖縄にはこういう染め物があるのですね」
という小さな気づきにつながる。
その積み重ねこそが、紅型の未来を静かに支えていくのだと感じています。
制作について
制作では、伝統的な技法を大切にしながらも、
その時代、その感覚にしか生まれない表現を探り続けています。
代表作の一つである紅型着物《波の歌》では、
沖縄の海を泳ぐ生き物たちの姿を、
藍色を基調に、リズムと奥行きを意識して表現しました。
新しさを声高に主張するのではなく、
布に触れた人が、
どこか懐かしさや安心感を覚えるような仕事を目指しています。
今、そしてこれから
現在は、
城間びんがた工房十六代代表として制作を行いながら、
日本工芸会正会員、沖展染色部門審査員、
沖縄県立芸術大学非常勤講師としても活動しています。
これらの役割もまた、
紅型を「閉じた世界」に留めず、
次の世代や、まだ出会っていない人たちへと
静かにつないでいくための一つの手段だと考えています。
これからも、
展覧会やさまざまな協働を通して、
紅型という文化に触れる“入り口”を、少しずつ増やしていきたい。
それは広げるためというより、
必要な場所に、必要なかたちで、そっと灯りを置いていく
そんな感覚に近いものです。
おわりに
公式ホームページでは、
紅型の歴史や背景、制作に込めた考えを、
少し丁寧に言葉にして残しています。
Instagramでは、
職人の日常や工房の空気、
沖縄の光や緑の中で息づく紅型の表情を、
より身近な距離感でお伝えしています。
どちらも、紅型を「特別なもの」にするためではなく、
今を生きる私たちの暮らしと、
静かにつながる存在として感じていただくためのものです。
この場所を訪れてくださったことが、
紅型との、ささやかな出会いとなれば幸いです。

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