「首里城風景」
2024.10.18
琉球の思いを染める 〜 城間びんがた工房の歴史と使命 〜
私たち城間びんがた工房は、琉球王国時代から続く沖縄の伝統工芸「紅型(びんがた)」を今に受け継ぐ工房です。
琉球の王族や士族に庇護され、長い年月をかけて磨かれたこの染色技術は、沖縄の豊かな自然、風土、そして人々の暮らしとともに発展してきました。かつては王族の衣装を彩るために染められ、色鮮やかでありながらも格式のある模様が特徴でした。
私はその歴史の中で、16代目としてこの技を受け継いでいます。幼い頃から工房の中で育ち、職人たちの姿を見ながら「紅型があるのは当たり前」と思って生きてきました。しかし、歳を重ね、歴史を知るにつれ、紅型がただの染物ではなく、幾多の困難を乗り越えて生き続けてきた文化の証であることに気づきました。
その中でも、私の祖父・**城間栄喜(第14代)**が経験した戦争は、工房の歴史において最も過酷な試練のひとつでした。
すべてを失った日 —— 祖父が見た焼け野原の首里
戦争が始まる前まで、祖父は紅型職人として日々の仕事に打ち込んでいました。しかし、戦争の炎は、彼が生きてきた世界を一瞬にして焼き尽くしました。
紅型を染めるための道具や工房はすべて灰になり、誇り高くそびえ立っていた首里城も、わずかに土台を残すのみでした。祖父は、戦争で何もかもを失い、故郷が焦土と化した景色を目の当たりにしました。その時の無力感は、計り知れないものだったと思います。
終戦を迎えたとき、祖父は38歳でした。生き残ったものの、これからどうやって生きていけばいいのか、家族をどうやって養えばいいのか、沖縄の文化をどうやって守っていけばいいのか——その答えを見つけるには、途方もない時間が必要だったでしょう。
しかし、祖父は諦めませんでした。何もかもを失った中でも、紅型を再び染めることを決意したのです。
「わんがさんねぇ たぁがすが!!(私がやらずに誰がするというのか)」
そう信じ、わずかに残った布や手作りの道具で紅型を染め始めました。
その中で祖父が「失われた故郷を記憶に刻みたい」との思いで生み出したのが、この画像にもある作品、**「首里城風景」**です。
焼け野原からの再生 —— 紅型とともに歩んだ復興
祖父の時代、紅型はただの「芸術作品」ではなく、生きるための手段でもありました。
焼け野原となった沖縄で、職人たちは手を動かし、布に模様を刻み、染めることで生計を立てていました。
祖父は、米軍キャンプのテントの片隅で、ポストカードサイズの紅型を染め、それをアメリカ兵に売って生計を立てたと言います。
「沖縄の伝統を守るために紅型を染める」という高尚な理想の前に、まずは生きるための手段として紅型を再開する必要があったのです。
しかし、その中でも祖父は「本物の紅型を残す」ことにこだわりました。
やがて、工房が再建されると、祖父は少しずつ規模を大きくし、紅型の技術を次世代へと受け継ぐ環境を整えていきました。
この「首里城風景」は、そんな祖父が「沖縄の誇り」を布に刻もうとした作品でした。戦争で破壊された景色を、紅型の技法で再び蘇らせること。それは単なる「復興の象徴」ではなく、沖縄の文化を未来へと繋ぐための大きな一歩だったのです。
「ものづくりを通して琉球の思いを守る」—— 私が受け継いだ使命
私は、祖父や父、そしてその前の世代が懸命に守り続けてきた紅型の伝統を引き継ぎながら、時代とともに進化させる責任を感じています。
だからこそ、工房の経営理念として**「ものづくりを通して琉球の思いを守る。」**という言葉を掲げました。
この言葉には、単なる技術の継承にとどまらず、時代を超えて沖縄の文化や歴史を未来へと繋ぐという決意が込められています。
紅型は、単なる「染め物」ではありません。それは、沖縄の人々が歩んできた歴史そのものであり、職人たちの魂が刻まれた布でもあります。
紅型には、沖縄の海や風、そして人々の思いが宿っています。琉球王国時代の格式ある美しさ、戦後の混乱の中でも決して途絶えなかった誇り、そして未来に向かう新しい挑戦——すべてが込められているのです。
未来へ続く紅型の物語
祖父が首里城を思いながら染めた「首里城風景」。それは単なる風景画ではなく、紅型という手法を通じて沖縄の誇りと精神を守り、次の世代へと受け継ぐための作品です。
そして、私が今作っている紅型も、未来の誰かにとって「沖縄の思い」を感じてもらえる作品でありたいと願っています。
私たちは、琉球の思いを染め続ける工房として、今も、そしてこれからも、紅型の物語を紡いでいきます。
この工房で染められる一枚一枚の布には、琉球の思いが込められています。それを感じ取っていただけたら、これ以上の喜びはありません。
このように、祖父の時代から続く紅型の物語を知ってもらうことで、ただの染め物ではなく「沖縄の歴史」「文化の継承」「人々の思い」が込められた芸術であることを感じていただければ幸いです。
紅型に宿る物語を、これからも一緒に見守っていただければ嬉しく思います。

プロフィール|城間栄市
紅型に、時間と祈りを宿す
私は紅型を、単なる染色技法ではなく、
沖縄という土地で積み重ねられてきた時間や祈り、
そして暮らしの感覚を受け止める「文化の器」だと捉えています。
布に色を置くという行為の奥には、
自然へのまなざし、人への想い、
そして生き方そのものが静かに重なっています。
その感覚を、できるだけ正直に、今の時代の言葉と形で手渡していくこと。
それが、私が紅型と向き合い続ける理由です。

生い立ちと紅型との距離
1977年、沖縄県生まれ。
城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育ちました。
幼い頃から、工房は日常の延長線上にありました。
染料の匂い、布を干す風景、
職人たちの背中や交わされる何気ない会話。
それらは特別なものというより、生活の一部として、自然に身の回りにありました。
本格的に工房に入り、父のもとで修行を始めたのは、
沖縄県芸術祭「沖展」への初入選をきっかけとしています。
紅型を「受け継ぐもの」としてではなく、
自分自身の人生として引き受ける覚悟が、
そのとき初めて定まったように思います。
外の世界で学んだこと
2003年からの約2年間、
インドネシア・ジョグジャカルタに滞在し、
バティック(ろうけつ染)を学びました。
異なる気候、異なる宗教観、異なる生活のリズム。
その中で工芸がどのように根づき、人々の暮らしと結びついているのかを、
現地での生活を通して体感しました。
この経験は、
「伝統を守ること」と「変化を受け入れること」は、
決して相反するものではない、
という確信を私にもたらしました。
受賞・出展についての考え方
これまで、沖展、日本工芸会、西部伝統工芸展、
MOA美術館岡田茂吉賞など、
いくつかの評価や賞をいただいてきました。
また、文化庁主催の展覧会や、
「ポケモン工芸展」など、国内外に向けた企画展にも参加する機会を得ています。
こうした節目を迎えるたびに、
私自身の評価以上に、
紅型という存在を知ってもらう機会が広がっていくことに、
大きな喜びを感じています。
一つの作品が、
「沖縄にはこういう染め物があるのですね」
という小さな気づきにつながる。
その積み重ねこそが、紅型の未来を静かに支えていくのだと感じています。
制作について
制作では、伝統的な技法を大切にしながらも、
その時代、その感覚にしか生まれない表現を探り続けています。
代表作の一つである紅型着物《波の歌》では、
沖縄の海を泳ぐ生き物たちの姿を、
藍色を基調に、リズムと奥行きを意識して表現しました。
新しさを声高に主張するのではなく、
布に触れた人が、
どこか懐かしさや安心感を覚えるような仕事を目指しています。
今、そしてこれから
現在は、
城間びんがた工房十六代代表として制作を行いながら、
日本工芸会正会員、沖展染色部門審査員、
沖縄県立芸術大学非常勤講師としても活動しています。
これらの役割もまた、
紅型を「閉じた世界」に留めず、
次の世代や、まだ出会っていない人たちへと
静かにつないでいくための一つの手段だと考えています。
これからも、
展覧会やさまざまな協働を通して、
紅型という文化に触れる“入り口”を、少しずつ増やしていきたい。
それは広げるためというより、
必要な場所に、必要なかたちで、そっと灯りを置いていく
そんな感覚に近いものです。
おわりに
公式ホームページでは、
紅型の歴史や背景、制作に込めた考えを、
少し丁寧に言葉にして残しています。
Instagramでは、
職人の日常や工房の空気、
沖縄の光や緑の中で息づく紅型の表情を、
より身近な距離感でお伝えしています。
どちらも、紅型を「特別なもの」にするためではなく、
今を生きる私たちの暮らしと、
静かにつながる存在として感じていただくためのものです。
この場所を訪れてくださったことが、
紅型との、ささやかな出会いとなれば幸いです。

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