「送り星のリズムで描く未来――紅型・型置きというはじまり」

型置きというはじまり──紅型の文様が生まれる瞬間

おはようございます。
いつも紅型工房の公式コラムをお読みいただき、心より感謝申し上げます。皆さまの関心や応援が、私たちの仕事の大きな励みになっています。
本日のコラムでは、紅型制作に欠かせない「型置き(かたおき)」という工程について、季節の移ろいと職人の工夫、そして沖縄の自然と歴史に触れながら、少し長めにお話をしてみたいと思います。


紅型の本質は「型」に宿る

紅型(びんがた)は、沖縄で生まれた伝統の型染め技法です。「紅の型」と書くように、文様を生地に写し取り、その上から手染めで顔料を重ねていくこの技法は、300年以上にわたり途切れることなく受け継がれてきました。
紅型の制作はさまざまな工程から成り立ちますが、最も重要な仕事のひとつが「型置き」です。ここから全てが始まる──といっても過言ではありません。

型置きとは、あらかじめ彫られた型紙を生地の上にのせ、糊(のり)を使って文様を生地に写し取る作業です。この糊が顔料の浸透を防ぎ、文様の輪郭を守ります。
紅型の型紙は、花や鳥、魚、波、雲、沖縄の自然や歴史に根ざした数多くのモチーフが織り込まれています。一枚一枚の型紙が、それぞれ異なる時代や職人の感性を映し出しているのです。


沖縄の季節が仕事に与える影響

現在、沖縄はちょうど梅雨明けの時期を迎えています。
長く続いた雨がようやく止み、強い日差しとともに夏が訪れる――。この季節の移り変わりは、紅型制作にも大きな影響を与えます。

特に「型置き」に使う糊の調合は、気温や湿度に大きく左右されるデリケートな作業です。
糊は、もち米の粉・米ぬか・塩という、きわめてシンプルな材料から作られます。しかし、シンプルであるがゆえに、調合の微妙な違いが仕上がりに大きな影響をもたらします。

塩は乾燥を調整するために不可欠ですが、入れすぎると乾きが遅くなり、入れなさすぎると、逆に糊がパリパリに割れてしまう。その加減は、まさに“職人の勘”です。
毎朝、工房では天気や気温、湿度を肌で感じながら、「今日の糊はどうしようか」と相談し、慎重に材料を計量します。同じ分量、同じ手順で作ったつもりでも、季節や天気が違えば全く違う表情の糊になります。そこが、ものづくりの面白さであり、難しさでもあるのです。


文様の“リピート”と送り星の知恵

紅型の美しさの一つは、布の上に繰り返し現れる「リピート柄」にあります。
型紙は一枚で終わることはありません。横へ、縦へと柄を送り、広い布を一つの世界に染め上げていく――このときに使われるのが「送り星」という目印です。

送り星は、型紙の隅や縁に小さく付けられた印で、前の柄と次の柄をぴったりと合わせるためのガイドラインの役割を果たします。この印を頼りに型紙をずらし、布の端から端まで美しいリズムで文様が広がっていきます。

目標を合わせることで 紋様が繋がっていきます

このリピート柄は、ただの装飾ではありません。沖縄の自然や暮らしの営み、祈りや願いが、布の隅々にまで染み込む仕掛けとなっているのです。
たとえば、波模様には平穏な暮らしへの願いが、花鳥には豊かさと生命力の祈りが込められています。
「型置き」の工程は、そんな“物語”を布に刻み込む、大切な儀式でもあります。

300年を超えて続く「手」の記憶

私たち城間びんがた工房は、琉球王国時代から16代続く染め物工房です。
王族や貴族の衣装をつくるための技術として発達した紅型は、戦後の混乱を経て、今もなお沖縄の大地と人々の中に息づいています。

型置きの工程は、一見地味で単調に見えるかもしれません。しかし、この工程をおろそかにすれば、後の染色もうまくいきません。
何百年も前から、先人たちはそのことを体に染み込ませ、口伝えで技術を受け継いできました。

型置きたての 帯

送り星を合わせながら、糊を練り、型紙を置き、布の上に文様を「置いていく」。


“型置き”という仕事の奥深さ

型置きは、いわば「舞台の設営」です。どんなに素晴らしい役者(色や文様)がそろっていても、舞台が整っていなければ、その美しさは発揮できません。
この仕事は、慎重さと大胆さの両方が求められます。

糊をのせすぎれば文様がにじみ、薄すぎれば色が漏れ出てしまう。
ひとつの布を仕上げるまでに、何度も何度も型を置き直し、やり直すこともあります。
しかし、その積み重ねが、一枚の布に命を吹き込んでいくのです。


変わらないもの、変えていくもの

今の時代、染色技法や道具もどんどん進化しています。
それでも、型置きの工程だけは300年前から大きく変わっていません。
手間のかかる仕事ですが、ここにこそ紅型の本質があり、ものづくりの根っこがあるのだと感じています。

昔からのやり方に固執するだけでなく、新しい感性や技術も取り入れながら、私たちは日々試行錯誤を続けています。
けれども「手で型を置く」という作業は、これからも決して失われてはいけない、大切な文化だと思うのです。


最後に――日々の積み重ねが生む美


梅雨明けの強い日差しの中、今日もまた工房では糊の加減を見極め、文様を送り、布の上に命を吹き込んでいます。

もしこのコラムを通して、紅型という工芸の奥深さや、職人の静かな情熱に少しでも触れていただけたなら、これほど嬉しいことはありません。

私たちの「型置き」は、これからも沖縄の光と風とともに、次の世代へと受け継がれていくことでしょう。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

型置きをした後 干している様子

公式ホームページでは、紅型の歴史や伝統、私自身の制作にかける思いなどを、やや丁寧に、文化的な視点も交えながら発信しています。一方でInstagramでは、職人の日常や工房のちょっとした風景、沖縄の光や緑の中に息づく“暮らしに根ざした紅型”の表情を気軽に紹介しています。たとえば、朝の染料作りの様子や、工房の裏庭で揺れる福木の葉っぱ、時には染めたての布を空にかざした一瞬の写真など、ものづくりの空気感を身近に感じていただける内容を心がけています。

紅型は決して遠い伝統ではなく、今を生きる私たちの日々とともにあるものです。これからも新しい挑戦と日々の積み重ねを大切にしながら、沖縄の染め物文化の魅力を発信し続けていきたいと思います。ぜひInstagramものぞいていただき、工房の日常や沖縄の彩りを一緒に楽しんでいただけたら嬉しいです。

城間栄市 プロフィール昭和52年(1977年)、沖縄県生まれ。

城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育つ。

学歴・海外研修

  • 平成15年(2003年)より2年間、インドネシア・ジョグジャカルタ特別州に滞在し、バティック(ろうけつ染)を学ぶ。
  • 帰国後は城間びんがた工房にて、琉球びんがたの制作・指導に専念。

受賞・展覧会歴

  • 平成24年:西部工芸展 福岡市長賞 受賞
  • 平成25年:沖展 正会員に推挙
  • 平成26年:西部工芸展 奨励賞 受賞
  • 平成27年:日本工芸会 新人賞を受賞し、正会員に推挙
  • 令和3年:西部工芸展 沖縄タイムス社賞 受賞
  • 令和4年:MOA美術館 岡田茂吉賞 大賞 受賞
  • 令和5年:西部工芸展 西部支部長賞 受賞

主な出展

  • 「ポケモン工芸展」に出展
  • 文化庁主催「日中韓芸術祭」に出展
  • 令和6年:文化庁「技を極める」展に出展

現在の役職・活動

  • 城間びんがた工房 十六代 代表
  • 日本工芸会 正会員
  • 沖展(沖縄タイムス社主催公募展)染色部門 審査員
  • 沖縄県立芸術大学 非常勤講師

プロフィール概要

はじめまして。城間びんがた工房16代目の城間栄市です。私は1977年、十五代・城間栄順の長男として沖縄に生まれ、幼いころから紅型の仕事に親しみながら育ちました。工房に入った後は父のもとで修行を重ねつつ、沖縄県芸術祭「沖展」に初入選したことをきっかけに本格的に紅型作家として歩み始めました。

これまでの道のりの中で、沖展賞や日本工芸会の新人賞、西部伝統工芸展での沖縄タイムス社賞・西部支部長賞、そしてMOA美術館の岡田茂吉賞大賞など、さまざまな賞をいただくことができました。また、沖展の正会員や日本工芸会の正会員として活動しながら、審査員として後進の作品にも向き合う立場も経験しています。

私自身の制作で特に印象に残っているのは、「波の歌」という紅型着物の作品です。これは沖縄の海を泳ぐ生き物たちの姿を、藍型を基調とした布に躍動感をもって表現したものです。伝統の技法を守りつつ、そこに自分なりの視点や工夫を重ねることで、新しい紅型の可能性を切り拓きたいという思いが込められています。こうした活動を通して、紅型が沖縄の誇る伝統工芸であるだけでなく、日本、そして世界に発信できるアートであると感じています。

20代の頃にはアジア各地を巡り、2003年から2年間はインドネシア・ジョグジャカルタでバティック(ろうけつ染)を学びました。現地での生活や工芸の現場を通して、異文化の技術や感性にふれ、自分自身の紅型への向き合い方にも大きな影響を受けました。伝統を守るだけでなく、常に新しい刺激や発見を大切にしています。

最近では、「ポケモン×工芸展―美とわざの大発見―」など、世界を巡回する企画展にも参加する機会が増えてきました。紅型の技法でポケモンを表現するというチャレンジは、私自身にとっても大きな刺激となりましたし、沖縄の紅型が海外のお客様にも響く可能性を感じています。

メディアにも多く取り上げていただくようになりました。テレビや新聞、ウェブメディアで工房の日常や制作現場が紹介されるたびに、「300年前と変わらない手仕事」に込めた想いを、多くの方に伝えたいと強く思います。