「祖父の教えと父の設計図――清潔が守る三百年の色」


おはようございます。いつも紅型に目を留め、温かい応援を寄せてくださる皆さまに心より感謝いたします。
皆さまの好奇心こそが、私たち城間びんがた工房の挑戦を支える何よりの力です。

朝の工房は、箒(ほうき)の音から始まります。私は 16 代目当主であり、一人の作家としても制作に携わっていますが、「代表」という立場から見ても、毎朝の掃除が工房の文化として定着していることは本当にありがたい――そう感じずにはいられません。

工房の朝は掃除から始まります

祖父・栄喜が刻んだ “清潔第一” の教え

祖父・栄喜(14代目)は 38歳で終戦を迎えました。焼け跡に残ったわずかな廃材をかき集め、掘っ立て小屋のような家を建て、そこを染色工房として再出発させます。床板の隙間から冬の風が吹き上がり、室内のほうが外より冷えることさえあったといいます。それでも祖父は弟子に向かって「毎日掃除をし、清潔を保ちなさい」と言い続けました。
沖縄では拝所(うがんじゅ)を清めて祈る風習がありますが、祖父にとっては“特別な拝み”より“日々の掃除”。過酷な環境であればこそ、まず場所を整えることが心を整える――その知恵が、いまも工房の背骨になっています。

振り返れば、琉球王朝の時代に王族の染めに携わった職人たちは、朝一番に身を水で清めてから作業場へ向かったと伝えられます。近代芭蕉布の第一人者、平良敏子(たいら としこ)先生も、生前「鏡に向かって“今日も嘘のない仕事をさせてください”と祈ってから機に向かった」と語っていました。

こうした“清め”の所作は、仕事に向かう前のけじめの儀式とも言えるでしょう。顔を洗い、机を拭き、道具を所定の位置に戻す――それだけで視界は開け、心は一点に静まります。職人にとっては、仕事を終えた後に机を片づけ、翌朝また周囲を清めて仕事を始めることが、そのまま“集中できる現場”をつくる最短の方法なのです。祖父が繰り返し説いた教えも、結局はそこへ行き着くのだと感じます。

思えば祖父の晩年の暮らしは驚くほどシンプルでした。必要最小限の道具しか周囲に置かず、質素な部屋で静かに一日を始める。その背中を幼いころに見上げながら、私は「清潔に整えた場所こそが、良い色を生む」と知らず知らず学んでいたのかもしれません。

戦後約10年目の制作風景
戦後約10年目の制作風景

父・栄順が整えた “沖縄随一の染色設備”

戦後復興が進み、沖縄が日本復帰へ向かう頃、父(15 代目)は京都・金沢・新潟など全国の染色産地を巡りました。
「紅型を次代へ残すには、工房の環境も磨かねばならない」
そう考えた父は研究を重ね、44 年前に現在の工房を新築。縦 13 メートルの反物を張れる明るい作業場、風通しの良い干し場、顔料が飛び散っても掃除しやすい床――同業の仲間から「染色工房らしくないほど清潔だね」と驚かれるほどの設備を整えました。祖父の“清潔第一”と父の“環境整備”が重なり、私たちは今日も気持ちの良い空気の中で筆を握っています。


今日も箒と筆で、色を未来へ

掃き清められた床に朝日の縞模様が伸びるころ、型紙を並べ、刷毛を湿らせ、色が布に息づき始めます。
祖父が掲げた「清潔」、父が築いた「設備」、そこに私たちの「挑戦」を重ねて――。
紅型は王族の衣装として生まれましたが、Instagram やサイトで工程を発信し続けるのは、工房を開放できないぶん、手仕事の息づかいを少しでも身近に感じてほしいからです。
どうぞ引き続き温かく見守っていただければ幸いです。

皆さまの好奇心が、わたしたちの筆先を動かすエネルギーです。いつも本当にありがとうございます。

朝の工房2025年2月26日

公式ホームページでは、紅型の歴史や伝統、私自身の制作にかける思いなどを、やや丁寧に、文化的な視点も交えながら発信しています。一方でInstagramでは、職人の日常や工房のちょっとした風景、沖縄の光や緑の中に息づく“暮らしに根ざした紅型”の表情を気軽に紹介しています。たとえば、朝の染料作りの様子や、工房の裏庭で揺れる福木の葉っぱ、時には染めたての布を空にかざした一瞬の写真など、ものづくりの空気感を身近に感じていただける内容を心がけています。

紅型は決して遠い伝統ではなく、今を生きる私たちの日々とともにあるものです。これからも新しい挑戦と日々の積み重ねを大切にしながら、沖縄の染め物文化の魅力を発信し続けていきたいと思います。ぜひInstagramものぞいていただき、工房の日常や沖縄の彩りを一緒に楽しんでいただけたら嬉しいです。

城間栄市 プロフィール昭和52年(1977年)、沖縄県生まれ。

城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育つ。

学歴・海外研修

  • 平成15年(2003年)より2年間、インドネシア・ジョグジャカルタ特別州に滞在し、バティック(ろうけつ染)を学ぶ。
  • 帰国後は城間びんがた工房にて、琉球びんがたの制作・指導に専念。

受賞・展覧会歴

  • 平成24年:西部工芸展 福岡市長賞 受賞
  • 平成25年:沖展 正会員に推挙
  • 平成26年:西部工芸展 奨励賞 受賞
  • 平成27年:日本工芸会 新人賞を受賞し、正会員に推挙
  • 令和3年:西部工芸展 沖縄タイムス社賞 受賞
  • 令和4年:MOA美術館 岡田茂吉賞 大賞 受賞
  • 令和5年:西部工芸展 西部支部長賞 受賞

主な出展

  • 「ポケモン工芸展」に出展
  • 文化庁主催「日中韓芸術祭」に出展
  • 令和6年:文化庁「技を極める」展に出展

現在の役職・活動

  • 城間びんがた工房 十六代 代表
  • 日本工芸会 正会員
  • 沖展(沖縄タイムス社主催公募展)染色部門 審査員
  • 沖縄県立芸術大学 非常勤講師

プロフィール概要

はじめまして。城間びんがた工房16代目の城間栄市です。私は1977年、十五代・城間栄順の長男として沖縄に生まれ、幼いころから紅型の仕事に親しみながら育ちました。工房に入った後は父のもとで修行を重ねつつ、沖縄県芸術祭「沖展」に初入選したことをきっかけに本格的に紅型作家として歩み始めました。

これまでの道のりの中で、沖展賞や日本工芸会の新人賞、西部伝統工芸展での沖縄タイムス社賞・西部支部長賞、そしてMOA美術館の岡田茂吉賞大賞など、さまざまな賞をいただくことができました。また、沖展の正会員や日本工芸会の正会員として活動しながら、審査員として後進の作品にも向き合う立場も経験しています。

私自身の制作で特に印象に残っているのは、「波の歌」という紅型着物の作品です。これは沖縄の海を泳ぐ生き物たちの姿を、藍型を基調とした布に躍動感をもって表現したものです。伝統の技法を守りつつ、そこに自分なりの視点や工夫を重ねることで、新しい紅型の可能性を切り拓きたいという思いが込められています。こうした活動を通して、紅型が沖縄の誇る伝統工芸であるだけでなく、日本、そして世界に発信できるアートであると感じています。

20代の頃にはアジア各地を巡り、2003年から2年間はインドネシア・ジョグジャカルタでバティック(ろうけつ染)を学びました。現地での生活や工芸の現場を通して、異文化の技術や感性にふれ、自分自身の紅型への向き合い方にも大きな影響を受けました。伝統を守るだけでなく、常に新しい刺激や発見を大切にしています。

最近では、「ポケモン×工芸展―美とわざの大発見―」など、世界を巡回する企画展にも参加する機会が増えてきました。紅型の技法でポケモンを表現するというチャレンジは、私自身にとっても大きな刺激となりましたし、沖縄の紅型が海外のお客様にも響く可能性を感じています。

メディアにも多く取り上げていただくようになりました。テレビや新聞、ウェブメディアで工房の日常や制作現場が紹介されるたびに、「300年前と変わらない手仕事」に込めた想いを、多くの方に伝えたいと強く思います。