「型紙と糊が織りなす紅型の物語」

紅型〈びんがた〉という言葉を耳にすると、多くの方はまず華やかな赤や藍の色合いを思い浮かべるでしょう。けれども、琉球語の「びん」は本来“色そのもの”を指し、特定の色に限定されない幅広い彩りを含んでいます。そして「かた」は“型染め”を意味し、木綿や絹の上に手彫りの型紙を重ね、糊で文様を写し取る技法を示します。この二語が結び付いて「びんがた」という呼び名が生まれ、やがて漢字の〈紅型〉が当てられました。紅型の心臓部とされる「型置き」は、この“かた”の精神を現在に伝える工程です。


 型置きは、まず糊づくりから始まります。もち米粉と米ぬかに塩を加え、鍋の底をすくう木べらの抵抗が「耳たぶより少し柔らかい」と感じる粘度へ導く──それが一日の最初の仕事です。梅雨の蒸し暑さが迫る朝は糊がゆるみやすく、冬の乾いた風が吹き込む午後は早く固まりやすい。わずかな湿度と温度の揺らぎを読むために、職人は糊の立ち方や鍋肌に残る糊の筋まで目を凝らします。塩の分量をひとつまみ変えるだけで乾燥速度が調えられるのは、長年の経験が生んだ勘の賜物です。


 糊が仕上がると、型紙を白布に重ね、ヘラを滑らせて糊を置いていきます。指先で布の張りを確かめ、呼吸に合わせてヘラを動かすたび、糊の柔らかな稜線が布の上に静かに盛り上がる。型紙をわずかにずらしながら二十回、三十回と繰り返しても、最初の線と最後の線がきっちりつながるように──それが繰り返し模様〈リピート〉を美しくつなぐ秘訣です。工房の空気が澄む早朝を選んで作業するのは、風の揺らぎや気温の上昇がズレの大敵だから。若手は木枠を支え、道具を手渡しながら、ベテランの指のわずかな角度を目で盗みます。


 糊は地染めが終わるまで布の上に残るため、硬すぎても柔らかすぎても後工程で割れやにじみの原因になります。沖縄特有の高温多湿と対話するように、扇風機の角度と除湿器のスイッチを微調整しながら乾きを見守る時間は、派手さはなくとも紅型制作の肝です。こうして生まれた無色の輪郭は、のちに挿す色を受け止める骨格となります。
 琉球王朝の時代、紅型は王族・士族の礼装として“一点物”で染められました。南国の花鳥や波頭が踊る図案に、黄色は最高位、藍は知性、紅は慶びといった色の序列が託され、布には着る人の身分と祈りが織り込まれました。嫁入り道具として大切に桐箱へ収められ、孫の代まで受け継がれることもしばしば。天然繊維と植物・鉱物顔料の組み合わせは退色が遅く、百年前の布が今もみずみずしい理由は、そもそも長期使用を見込んだ設計にあります。


 やがて近代化と戦争の荒波が沖縄を襲い、多くの型紙が灰となりました。それでも職人は染めを途切れさせませんでした。米軍のパラシュートを解いて木綿布を得、軍地図に文様を彫り、銃弾の薬莢を磨いて糊筒の口金に替えました。資源が乏しい中で工夫を凝らし、廃材に新しい命を与えた物語は、現代のアップサイクルやSDGsの思想を半世紀以上先取りしていたと言えるでしょう。
 型置きの後には隈取りや糊伏せ、地染め、水洗いなど多層的な作業が控えています。顔料を豆汁で溶き、刷毛でぼかし、指で境目をなじませると、朝までは白と糊だけだった布が息づき始めます。地染めを終えた布を水洗いし、乾かしている布が夕陽に照らされた文様の輪郭が鮮やかに浮かび上がり、職人は「今日も染められてよかった」と静かに胸を撫で下ろします。


 現代にはシルクスクリーンという効率的な型染め法がありますが、紅型が守るのは“人の手の時間”そのものです。同じ型紙を使っても、色の濃淡や刷毛の走らせ方で仕上がりは千差万別。大量生産では生まれないゆらぎこそ、人が布と向き合った証であり、見る者の心を揺さぶる温もりです。
 沖縄のゆったりした時間感覚は、紅型の継承にも大きく寄与してきました。早さや効率を優先しすぎない島の気質が、手間を惜しまない文化を育てたのです。だからこそ紅型は、時代の波に押されず今も“一点物”であり続けます。そこには祖先が築いた文化を未来へ手渡す意志、変えるべきところと守るべきところを見極める柔軟さ、そして布に触れるすべての人を包み込む沖縄ならではのやさしさが宿っています。


 もし工房を訪ねる機会があれば、絢爛な完成品の隣で静かに行われる型置きの現場に目を凝らしてみてください。布を張る音、糊を置くヘラのかすかな擦過音、乾きを読むための深い呼吸――地味に見えるその光景こそが紅型の胎動であり、琉球王国の精神が現在に脈打つ証です。職人の指先に宿る誇りと祈りが、今日もヘラを通して布へと移り、過去と未来を結ぶ色彩の橋を架けています。紅型の型置きは、沖縄の風土とともに生き、世代を越えて呼吸をつなぐ“見えない技”。その一線一線に込められた想いが、遠く離れたあなたの暮らしにも、きっと静かな温もりを届けてくれるはずです。

城間栄市 (しろま・えいいち) プロフィール

生年・出身

昭和52年(1977年)、沖縄県生まれ。
城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育ち、幼少期より琉球びんがたに親しむ。

学歴・海外研修

  • 平成15年(2003年)から2年間、インドネシア・ジョグジャカルタ特別州に滞在し、バティック(ろうけつ染)を学ぶ。
  • 帰国後は城間びんがた工房にて琉球びんがたの制作・指導に専念。

経歴・受賞・展覧会歴

沖展(沖縄タイムス社主催公募展)

  • 2000年(第52回):初入選
  • 2003年(第55回):奨励賞
  • 2008年(第60回):奨励賞(「ゴマアイゴ紋様」)
  • 2010年(第62回):奨励賞(「上昇波(ジョウショウハ)」)
  • 2011年(第63回):沖展賞(「イナズマ ガンガゼ」)、準会員推挙
  • 2012年(第64回):準会員賞(「すくゆい」)
  • 2013年(第65回):準会員賞(「紅型着物『雲を読む』」)、会員推挙

西部工芸展

  • 平成24年(2012年):第47回 西部伝統工芸展 福岡市長賞
  • 平成26年(2014年):第49回 西部伝統工芸展 奨励賞
  • 令和3年(2021年):沖縄タイムス社賞
  • 令和5年(2023年):西部支部長賞

日本伝統工芸会

  • 平成25年(2013年):沖展 正会員に推挙
  • 平成27年(2015年):日本伝統工芸展 新人賞受賞、日本工芸会 正会員に推挙

その他の活動・受賞

  • 令和4年(2022年):MOA美術館 岡田茂吉賞 大賞
  • 「ポケモン工芸展」に出展
  • 文化庁主催「日中韓芸術祭」に出展
  • 令和6年(2024年):文化庁「技を極める」展に出展
  • 2014年:城間びんがた工房 十六代継承

現在の役職・活動

  • 城間びんがた工房 十六代 代表
  • 日本工芸会 正会員
  • 沖展(沖縄タイムス社主催公募展)染色部門 審査員
  • 沖縄県立芸術大学 非常勤講師

プロフィール概要

城間 栄市(しろま・えいいち)は、昭和52年(1977年)生まれの琉球びんがた作家。城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として生まれ育ち、幼少期から伝統工芸の世界に馴染む。
平成15年(2003年)から2年間、インドネシアでバティック(ろうけつ染)を学び、帰国後は琉球びんがたの技法を継承しながら、海外の経験を活かした新しい表現を追求し続けている。

数々の受賞歴を有し、日本工芸会 正会員や沖展染色部門の審査員など、多方面で活躍。文化庁やMOA美術館主催の展覧会にも出展を重ね、琉球びんがたの魅力を国内外へ発信している。現在は城間びんがた工房の十六代代表として制作・指導にあたりつつ、沖縄県立芸術大学の非常勤講師として後進の育成にも努めている。