やわらかな冬の光の中で

冬のひかり、静かな気づき

おはようございます。
最近の朝、工房の窓を開けると、
ひんやりとした空気と一緒に、やわらかな光がすっと入り込んできます。

作業台の上に落ちるその光を見ながら、
ああ、もう冬なんだな、と
少し遅れて季節を受け取るような感覚になります。

沖縄の冬は、本土のような厳しい寒さはありません。
けれど、確かに空気の質は変わります。
夏の湿り気を含んだ南風が遠のき、
秋の名残が薄れていくと、
風向きが変わり、音が変わり、
暮らしのリズムが、静かに内側へ向かっていきます。

海の朝日

自分は夏生まれということもあって、
どちらかというと、昔から夏の方に心を引かれてきました。
南風が吹く日の海は、釣りをしていても穏やかで、
潮の匂いや、肌に残る陽射しの感覚が、
どこか懐かしくて、安心するのです。

指先に伝わる糸の感触や、
波の音、遠くの空の色。
そういったものが重なって、
自分の原点に触れているような気持ちになります。

そのせいか、冬の海にはあまり足が向きません。
自然と、外へ出るよりも、
内にこもる時間が増えていきます。

静かに、ただ静かに。
暮らしの輪郭が、少しずつ研ぎ澄まされていく。
冬は、そんな季節だと思っていました。

けれど、ここ最近、
ふとした瞬間に、これまでとは違う感覚を覚えるようになりました。

沖縄の冬は「うるおいがある」とよく言われますが、
それでも夏に比べると湿度は下がり、
空気はずっと澄んできます。
その澄んだ空気の中で見る光が、
思っていた以上に、美しかったのです。

これは、夏にはない光です。
強く照りつけるというより、
どこか芯のある冷たさの中に、
細かな粒が浮かんでいるような光。

輪郭を持って、
空間そのものを静かに照らしているような、
そんな印象があります。

それは、紅型の色を見るときにも、
はっきりと感じられます。

工房の片隅で試し染めを広げてみると、
冬の光は、ときに色の奥行きを深めてくれる。
にじみや重なりが、
ほんの少し、いつもと違って見えるのです。

同じ顔料、同じ布、同じ工程。
それでも、光が変わるだけで、
見えてくるものが変わる。

職人の目にとって、
この変化はとても静かですが、
同時に、とても大きな示唆でもあります。

沖縄の光、と聞くと、
どうしても強い陽射しや、青い海、
いわゆる「夏の象徴」が語られがちです。

もちろん、それもこの島の豊かさであり、
誇るべき美しさだと思います。

けれど、冬の沖縄には、
言葉にならない静けさがあります。
色も、音も、香りも、
少しずつ主張を弱めて、
輪郭だけを残していくような時間。

その静けさの中で、
自分はいつもより、
物事を深く感じ取っている気がします。

たとえば、
生地を染めるときの、手の動き。
布を干すときに耳に入ってくる風の音。
作業の合間に淹れたお茶から立ちのぼる湯気。

どれも特別なことではありません。
けれど、その一つひとつに、
今までは気づかなかった重みが宿っているように感じるのです。

冬という季節が、
私たちに与えてくれるものがあるとすれば、
それは「止まることの肯定」なのかもしれません。

速く進まなくていい。
答えをすぐに出さなくてもいい。
立ち止まり、耳を澄まし、
心をほどく時間の中にこそ、
次の一歩が、自然に育っていく。

ものづくりをしていると、
季節の移ろいは、
道具にも、手のひらにも、
染料の性質にも、確かに現れます。

それらを、
効率や均一さだけで整えてしまえば、
大事な「揺らぎ」は失われてしまう。

この揺らぎこそが、
紅型における表現の余白であり、
祈りの入り口なのだと、
自分は思っています。

紅型は、
技術だけでつくるものではありません。
時間と、祈りと、迷いと、
そういったものが、
手を通して布に宿っていく。

だからこそ、
冬のこの季節にあらためて向き合いたいのは、
派手さや装飾ではなく、
一つひとつの工程の奥にある「問い」です。

なぜ、この色なのか。
なぜ、この文様が、今、必要なのか。
誰に向けて、何を手渡そうとしているのか。

糊を落とし 洗い立ての布を干している様子

日々の制作の中で、
これらの問いに、すぐ答えが出ることはありません。
むしろ、答えが出ないまま、
手を動かし続けていることの方が多い。

けれど、冬の透明な光の中で、
これらの問いが、
じんわりと浮かび上がってくる瞬間があります。

「今はまだ、はっきりとは見えないけれど、
 確かに、自分の中で何かが動き始めている」

そんな感覚が、
静かに芽を出すように。

自分は、それを「気づき」と呼んでいます。
派手でも、劇的でもないけれど、
確かな気づき。

それを受け取ったとき、
人はもう、変わる準備ができているのかもしれません。

今年の冬も、
そんな小さな気づきを、
手のひらにそっと包みながら、
紅型の染めに向き合っていきたいと思います。

工房では、
春に向けた準備が、少しずつ始まっています。
けれど、それは決して、
前へ急ぐための準備ではありません。

足元を深めるための、
静かな営みです。

この冬の光の中で感じたことを、
また紅型という形に変えて、
いつか皆さんの手元に、
そっと届けられたら。

そんなことを思いながら、
今日も工房で、染めの時間を迎えています。

城間栄市プロフィール

紅型に、時間と祈りを宿す

私は紅型を、単なる染色技法ではなく、
沖縄という土地で積み重ねられてきた時間や祈り、
そして暮らしの感覚を受け止める「文化の器」だと捉えています。

布に色を置くという行為の奥には、
自然へのまなざし、人への想い、
そして生き方そのものが静かに重なっています。
その感覚を、できるだけ正直に、今の時代の言葉と形で手渡していくこと。
それが、私が紅型と向き合い続ける理由です。


 生い立ちと紅型との距離

1977年、沖縄県生まれ。
城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育ちました。

幼い頃から、工房は日常の延長線上にありました。
染料の匂い、布を干す風景、
職人たちの背中や交わされる何気ない会話。
それらは特別なものというより、生活の一部として、自然に身の回りにありました。

本格的に工房に入り、父のもとで修行を始めたのは、
沖縄県芸術祭「沖展」への初入選をきっかけとしています。
紅型を「受け継ぐもの」としてではなく、
自分自身の人生として引き受ける覚悟が、
そのとき初めて定まったように思います。


外の世界で学んだこと

2003年からの約2年間、
インドネシア・ジョグジャカルタに滞在し、
バティック(ろうけつ染)を学びました。

異なる気候、異なる宗教観、異なる生活のリズム。
その中で工芸がどのように根づき、人々の暮らしと結びついているのかを、
現地での生活を通して体感しました。

この経験は、
「伝統を守ること」と「変化を受け入れること」は、
決して相反するものではない、
という確信を私にもたらしました。


受賞・出展についての考え方

これまで、沖展、日本工芸会、西部伝統工芸展、
MOA美術館岡田茂吉賞など、
いくつかの評価や賞をいただいてきました。
また、文化庁主催の展覧会や、
「ポケモン工芸展」など、国内外に向けた企画展にも参加する機会を得ています。

こうした節目を迎えるたびに、
私自身の評価以上に、
紅型という存在を知ってもらう機会が広がっていくことに、
大きな喜びを感じています。

一つの作品が、
「沖縄にはこういう染め物があるのですね」
という小さな気づきにつながる。
その積み重ねこそが、紅型の未来を静かに支えていくのだと感じています。


制作について

制作では、伝統的な技法を大切にしながらも、
その時代、その感覚にしか生まれない表現を探り続けています。

代表作の一つである紅型着物《波の歌》では、
沖縄の海を泳ぐ生き物たちの姿を、
藍色を基調に、リズムと奥行きを意識して表現しました。

新しさを声高に主張するのではなく、
布に触れた人が、
どこか懐かしさや安心感を覚えるような仕事を目指しています。


今、そしてこれから

現在は、
城間びんがた工房十六代代表として制作を行いながら、
日本工芸会正会員、沖展染色部門審査員、
沖縄県立芸術大学非常勤講師としても活動しています。

これらの役割もまた、
紅型を「閉じた世界」に留めず、
次の世代や、まだ出会っていない人たちへと
静かにつないでいくための一つの手段だと考えています。

これからも、
展覧会やさまざまな協働を通して、
紅型という文化に触れる“入り口”を、少しずつ増やしていきたい。
それは広げるためというより、
必要な場所に、必要なかたちで、そっと灯りを置いていく
そんな感覚に近いものです。


おわりに

公式ホームページでは、
紅型の歴史や背景、制作に込めた考えを、
少し丁寧に言葉にして残しています。

Instagramでは、
職人の日常や工房の空気、
沖縄の光や緑の中で息づく紅型の表情を、
より身近な距離感でお伝えしています。

どちらも、紅型を「特別なもの」にするためではなく、
今を生きる私たちの暮らしと、
静かにつながる存在として感じていただくためのものです。

この場所を訪れてくださったことが、
紅型との、ささやかな出会いとなれば幸いです。

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