風と時間が形づくる色

沖縄では、冬の風が吹き始めています。
島では昔から、季節の変わり目を“風の名前”で呼んできました。
北から吹きおろす冷たい風を「みぃーにし」と言い、
この風が届くと、島の空気はきゅっと引き締まり、
冬が本当に来たのだと実感します。

私の父も、よく風をめぐって話をしていました。

「今、北風に変わった。そろそろ寒くなるね。」
「南風が吹いたら、海の色が変わるよ。」

島国である沖縄では、風は単なる気象ではなく、
暮らしの流れを告げ、心の動きを映す“ひとつの言葉”のようなものでした。

夏の気配が近づくと、
島では最初に南からの風が強く吹き始めます。
この風のことを、沖縄では 「カーチーベー」 と呼びました。

カーチーベーが吹くと、ハーリーの鐘が鳴り、
「いよいよ夏が来るね」と島の空気がざわめき始めます。

梅雨の前、季節が静かに切り替わるこの時期。
南風の匂いの中に、夏の足音がやわらかく紛れているのです。
港にはハーリーの鐘が響きます。
風は、季節と時間を運び、
同時に私たちの心をどこか遠くまで連れていく働きをしていました。

12月の今の時期、夜明け前の工房に立つと、
空気はひんやりと澄み、
薄暗い中に植物の輪郭だけが静かに浮かび上がります。
蝙蝠の羽音や、どこかで動く小さな生き物の気配。
そのすべてが、制作前の心をそっと整えてくれるように感じるのです。

沖縄の花々が見せる四季もまた、
色の勉強というより、
“心の姿勢”を思い出させてくれる存在でした。

花を見て何かを学び取ろうというのではなく、
ただ流れる時間に身を置き、
植物のそばで心を静かに澄ませていると、
言葉にならない気づきや感情が
ふと色や図案となって立ち上がる瞬間があります。

それは、「理解」よりも「受け取る」に近い感覚。
沖縄の人々は昔から、そうやって自然に耳を澄ませ、
自然そのものを先生として、その美しさを心に映してきたのだと思います。

工芸という“手の技”とは、
その見えないものを、ほんの少しだけ形にする試みなのかもしれません。

この島には、長い歴史の中で
中国、東南アジア、日本…
さまざまな文化が波のように寄せては返してきました。
しかし、影響を受けながらも、
そのまま真似るのではなく、
沖縄の自然と暮らしのリズムの中で、
“琉球の美意識”として再び生まれ変わってきた。

その過程には、
対立でも、優劣でも、比較でもなく、
ただ“受け取り、混ざり合い、育つ”という生き方がありました。

かつて私がインドネシアで暮らした時、
彼らの文化にも似た感覚が流れていました。
海を越えて文化が交わり、
言葉が重なり、歌になり、布になり、物語になる。
その姿にどこか懐かしさを覚えたのは、
沖縄と同じ“海に囲まれた場所”の気質が
深く関わっていたのかもしれません。

14代栄喜 芭蕉布に両面藍染め デイゴにトンボ
琉球紅型訪問着「藍空」  部分
琉球紅型訪問着「藍空」  部分
藍に入れて 乾かしている様子
藍に入れる前  糊を乾かしています

島の周囲には海があり、
車でほんの三十分も走れば、
どの方向にも海に行き着く。
海があるという自然の事実が、
人の心の開き方や、受け取り方に影響を与えるのでしょう。

沖縄の伝統工芸・紅型もまた、
技法だけで理解できるものではなく、
こうした自然観、祈りの感覚、
そして“受け取りながら育てる”という島の風土が
深く織り込まれていると感じます。

それは決して声高に語られるものではありません。
むしろ、静かに内側に沈んでいて、
作品を見た人の心に、
ゆっくりと、じんわりと伝わる種類の美しさです。

紅型の色には、ただの色以上の“気配”が宿っている。
図案の間(ま)には、祈りの余白がある。
物語のないように見える柄の中に、
海の湿度や風の流れ、
島の人々が守り続けた時間が滲んでいる。

それらは技法書には書けないもの。
説明ではなく、体感で受け継がれてきたもの。
そして今もなお、紅型を通して
静かに息をしているものなのです。

そんな豊かな自然の懐に抱かれながら、
私たちは育ち、暮らし、ものづくりを続けています。

朝の風、移りゆく光、雨上がりの匂い。
それらの気配に触れるたび、
ふと、父や祖父、そして琉球の人々が
どのような想いで文化をつないできたのかを考える瞬間があります。

過去も現在も未来も、
まるで島の風景の中にそのまま写し出されているように感じるのです。

オオゴチョウ
オオゴチョウ
小さいガジュマルと朝日

今でも琉球の魂は、
生き生きと、のびやかに息づいているのだろうか。
そして、私の中にはいま、
どれほどの火が静かに燃え続けているのだろうか。

時折、心細さに似た感覚が訪れることがあります。
ですがその揺らぎこそ、
ものづくりに向き合う人間の自然な状態なのかもしれません。

日本のどの地域にも、それぞれの文化があり、
その土地ならではの美意識、技法、表現があります。
その一つひとつが尊く、
その多様さこそが豊かな文化の土壌をつくっている。

その中で、沖縄に生きる私たちは、
この島からどのような美しさを育てていけるのか。
どんな祈りを込め、
どんな風土を次の世代へ手渡していけるのか。

その問いは日々の制作の中で
静かに、しかし途切れず、私の心に立ち上がってきます。

そして同時に、
この問いを抱き続けられる環境があることにも
深い感謝を覚えます。

作品を届けられること、
工房へ関心を寄せてくださる方がいること、
この小さな島の営みに好奇心を向けてくださるすべての人の存在が、
私たちの挑戦の大切な土台になっているのだと
改めて思わされるのです。

「一隅を照らす」
そんな言葉がありますが、
私たちの仕事はまさに、
その小さな明かりのような営みのひとつかもしれません。

琉球の土地が育ててくれた感性と、
支えてくださる皆さまの思いが、
工房の背中をそっと押し続けてくれている。

その力に導かれながら、
今日もまた、静かに色を置き、
未来へ向けて小さな火を守り続けているのです。

LINE公式 https://line.me/R/ti/p/@275zrjgg

Instagram https://www.instagram.com/shiromabingata16/

公式ホームページでは、紅型の歴史や伝統、私自身の制作にかける思いなどを、やや丁寧に、文化的な視点も交えながら発信しています。一方でInstagramでは、職人の日常や工房のちょっとした風景、沖縄の光や緑の中に息づく“暮らしに根ざした紅型”の表情を気軽に紹介しています。たとえば、朝の染料作りの様子や、工房の裏庭で揺れる福木の葉っぱ、時には染めたての布を空にかざした一瞬の写真など、ものづくりの空気感を身近に感じていただける内容を心がけています。

紅型は決して遠い伝統ではなく、今を生きる私たちの日々とともにあるものです。これからも新しい挑戦と日々の積み重ねを大切にしながら、沖縄の染め物文化の魅力を発信し続けていきたいと思います。ぜひInstagramものぞいていただき、工房の日常や沖縄の彩りを一緒に楽しんでいただけたら嬉しいです。

城間栄市 プロフィール昭和52年(1977年)、沖縄県生まれ。

城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育つ。

学歴・海外研修

  • 平成15年(2003年)より2年間、インドネシア・ジョグジャカルタ特別州に滞在し、バティック(ろうけつ染)を学ぶ。
  • 帰国後は城間びんがた工房にて、琉球びんがたの制作・指導に専念。

受賞・展覧会歴

  • 平成24年:西部工芸展 福岡市長賞 受賞
  • 平成25年:沖展 正会員に推挙
  • 平成26年:西部工芸展 奨励賞 受賞
  • 平成27年:日本工芸会 新人賞を受賞し、正会員に推挙
  • 令和3年:西部工芸展 沖縄タイムス社賞 受賞
  • 令和4年:MOA美術館 岡田茂吉賞 大賞 受賞
  • 令和5年:西部工芸展 西部支部長賞 受賞

主な出展

  • 「ポケモン工芸展」に出展
  • 文化庁主催「日中韓芸術祭」に出展
  • 令和6年:文化庁「技を極める」展に出展

現在の役職・活動

  • 城間びんがた工房 十六代 代表
  • 日本工芸会 正会員
  • 沖展(沖縄タイムス社主催公募展)染色部門 審査員
  • 沖縄県立芸術大学 非常勤講師

プロフィール概要

はじめまして。城間びんがた工房16代目の城間栄市です。私は1977年、十五代・城間栄順の長男として沖縄に生まれ、幼いころから紅型の仕事に親しみながら育ちました。工房に入った後は父のもとで修行を重ねつつ、沖縄県芸術祭「沖展」に初入選したことをきっかけに本格的に紅型作家として歩み始めました。

これまでの道のりの中で、沖展賞や日本工芸会の新人賞、西部伝統工芸展での沖縄タイムス社賞・西部支部長賞、そしてMOA美術館の岡田茂吉賞大賞など、さまざまな賞をいただくことができました。また、沖展の正会員や日本工芸会の正会員として活動しながら、審査員として後進の作品にも向き合う立場も経験しています。

私自身の制作で特に印象に残っているのは、「波の歌」という紅型着物の作品です。これは沖縄の海を泳ぐ生き物たちの姿を、藍型を基調とした布に躍動感をもって表現したものです。伝統の技法を守りつつ、そこに自分なりの視点や工夫を重ねることで、新しい紅型の可能性を切り拓きたいという思いが込められています。こうした活動を通して、紅型が沖縄の誇る伝統工芸であるだけでなく、日本、そして世界に発信できるアートであると感じています。

20代の頃にはアジア各地を巡り、2003年から2年間はインドネシア・ジョグジャカルタでバティック(ろうけつ染)を学びました。現地での生活や工芸の現場を通して、異文化の技術や感性にふれ、自分自身の紅型への向き合い方にも大きな影響を受けました。伝統を守るだけでなく、常に新しい刺激や発見を大切にしています。

最近では、「ポケモン×工芸展―美とわざの大発見―」など、世界を巡回する企画展にも参加する機会が増えてきました。紅型の技法でポケモンを表現するというチャレンジは、私自身にとっても大きな刺激となりましたし、沖縄の紅型が海外のお客様にも響く可能性を感じています。

メディアにも多く取り上げていただくようになりました。テレビや新聞、ウェブメディアで工房の日常や制作現場が紹介されるたびに、「300年前と変わらない手仕事」に込めた想いを、多くの方に伝えたいと強く思います。