はじまりの水が流れる場所【工房時間】

若水(ワカミジ)とは

「若水(ワカミジ)」とは、旧暦の元日(旧正月の朝)にその年で最初に汲む水のことを言います。
この水は「生命の水」「若返りの水」と考えられ、清め・再生・健康・一年の幸せを願う象徴とされてきました。
それは単なる習わしではなく、「新しい年のはじまりを、まっさらな心で受け取る」という祈りの行為です。


💧 さくの川ヒィージャーへ

昨日、私たちは工房のすぐ近くにある「さくの川ヒィージャー」へ水を汲みに行きました。
きっかけは、妻の何気ない一言でした。

「若水、汲みに行こうか。」

ちょうど時間も合い、ペットボトルを手に歩きました。
特別な装いもなく、特別な構えもなく、ただ静かな気持ちで。

その水を、工房の池に注ぎました。
水面に広がる小さな波紋を見ながら、不思議と胸が澄んでいく感覚がありました。


🏞 水場という共同体の記憶

さくの川ヒィージャーは、私たちの祖父の時代、染め物の洗い場でもありました。
布を洗い、色を落ち着かせ、命を吹き込む場所。

沖縄では各地域に水が湧き出る場所がありました。
そこは単なる水源ではなく、コミュニティの中心でもありました。

女性たちが集まり、情報を交換し、笑い合い、時に相談をし、
水辺には日常と物語が重なっていたのです。

水場にはさまざまな逸話も残っています。
渡り鳥が上空から水の気配を感じ取り、舞い降りたことから名付けられた場所。
神聖な出来事が語り継がれる泉。

水は、人を集め、物語を生み、文化を育ててきました。


🌫 私が距離を置いてきた理由

正直に言うと、私はこうした「見えない世界」に対して、あまり積極的に関わってきませんでした。

私は感受性が強いタイプです。
子どもの頃から、自分に起きていない出来事でも、まるで自分の身に降りかかったかのように受け取ってしまうところがありました。

人の感情も、場の空気も、水の気配も。
そのすべてが一度に流れ込んでくる。

だからこそ、意識的に距離を取ってきたのだと思います。
過度に入り込みすぎないように、均衡を保つために。


🧵 水と工芸の原点

しかし、48歳になった今、あらためて自分の立ち位置を整理してみると、
工芸と水は切り離せない関係にあることに気づきます。

私たちの工房には、水場が四箇所あります。
私が10代の頃、地下には約2トン近い水が常に湧き出ていました。

ポンプで汲み上げて水洗いをすれば、翌日にはまた満タンになる。
それほど豊かな水に支えられた土地です。

私は10代から20代前半まで水洗いの現場に立っていました。
染めた布を水に通し、余分な染料を落とし、色を定着させる。

水は、びんがたにとって命の工程です。
水がなければ、色は生きません。

それでも私は、水を「文化」や「祈り」の文脈ではあまり語ってきませんでした。
無意識に、距離を取っていたのかもしれません。


🕊 祖父の言葉

私の祖父はこう言っていました。

「拝みは特別にしなくてもいい。屋敷をきれいに保てば、それで十分だ。」

沖縄には「ユタ」と呼ばれる、神と人をつなぐ存在がいます。
祖父はそうした存在を否定していたわけではありませんが、過度に頼ることはしませんでした。

敷地を清潔に保ち、日々を丁寧に生きること。
それが最大の祈りだと。

今思えば、祖父もまた強い感受性を持ちながら、
職人としての均衡を守ろうとしていたのかもしれません。

工芸は、精神と現実のあいだに立つ営みです。
どちらかに偏れば、作品は不安定になる。


🌱 受け継ぐということ

だからこそ今、私は思います。

伝統や風習をそのまま受け入れることが大切なのではなく、
受け継がれてきた感覚を、今の時代の言葉で丁寧に捉え直すことが必要なのだと。

若水を汲むことは、迷信ではなく、
「立ち返る」ための行為なのかもしれません。

自分の原点に。
工芸の原点に。
土地の記憶に。


🌊 新しい年の水

旧暦の新年に汲んだ水は、澄み切っていました。

その透明さを見ながら、
私はこう思いました。

工房とは、色を生み出す場所である前に、
人が自分に還る場所でありたい。

水のように、澄み、流れ、満ち、また戻る。
文化もまた、循環するものです。

今年もまた、水とともに、
私たちは染め続けます。

布に色をのせながら、
この土地の記憶を、未来へと手渡していきたいと思います。

若水は、単なる年中行事ではなく、
私たちの工房に流れる静かな原点でした。

城間栄市プロフィール 

紅型に、時間と祈りを宿す

私は紅型を、単なる染色技法ではなく、
沖縄という土地で積み重ねられてきた時間や祈り、
そして暮らしの感覚を受け止める「文化の器」だと捉えています。

布に色を置くという行為の奥には、
自然へのまなざし、人への想い、
そして生き方そのものが静かに重なっています。
その感覚を、できるだけ正直に、今の時代の言葉と形で手渡していくこと。
それが、私が紅型と向き合い続ける理由です。


生い立ちと紅型との距離

1977年、沖縄県生まれ。
城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育ちました。

幼い頃から、工房は日常の延長線上にありました。
染料の匂い、布を干す風景、
職人たちの背中や交わされる何気ない会話。
それらは特別なものというより、生活の一部として、自然に身の回りにありました。

本格的に工房に入り、父のもとで修行を始めたのは、
沖縄県芸術祭「沖展」への初入選をきっかけとしています。
紅型を「受け継ぐもの」としてではなく、
自分自身の人生として引き受ける覚悟が、
そのとき初めて定まったように思います。


外の世界で学んだこと

2003年からの約2年間、
インドネシア・ジョグジャカルタに滞在し、
バティック(ろうけつ染)を学びました。

異なる気候、異なる宗教観、異なる生活のリズム。
その中で工芸がどのように根づき、人々の暮らしと結びついているのかを、
現地での生活を通して体感しました。

この経験は、
「伝統を守ること」と「変化を受け入れること」は、
決して相反するものではない、
という確信を私にもたらしました。


受賞・出展についての考え方

これまで、沖展、日本工芸会、西部伝統工芸展、
MOA美術館岡田茂吉賞など、
いくつかの評価や賞をいただいてきました。
また、文化庁主催の展覧会や、
「ポケモン工芸展」など、国内外に向けた企画展にも参加する機会を得ています。

こうした節目を迎えるたびに、
私自身の評価以上に、
紅型という存在を知ってもらう機会が広がっていくことに、
大きな喜びを感じています。

一つの作品が、
「沖縄にはこういう染め物があるのですね」
という小さな気づきにつながる。
その積み重ねこそが、紅型の未来を静かに支えていくのだと感じています。


制作について

制作では、伝統的な技法を大切にしながらも、
その時代、その感覚にしか生まれない表現を探り続けています。

代表作の一つである紅型着物《波の歌》では、
沖縄の海を泳ぐ生き物たちの姿を、
藍色を基調に、リズムと奥行きを意識して表現しました。

新しさを声高に主張するのではなく、
布に触れた人が、
どこか懐かしさや安心感を覚えるような仕事を目指しています。


今、そしてこれから

現在は、
城間びんがた工房十六代代表として制作を行いながら、
日本工芸会正会員、沖展染色部門審査員、
沖縄県立芸術大学非常勤講師としても活動しています。

これらの役割もまた、
紅型を「閉じた世界」に留めず、
次の世代や、まだ出会っていない人たちへと
静かにつないでいくための一つの手段だと考えています。

これからも、
展覧会やさまざまな協働を通して、
紅型という文化に触れる“入り口”を、少しずつ増やしていきたい。
それは広げるためというより、
必要な場所に、必要なかたちで、そっと灯りを置いていく
そんな感覚に近いものです。


おわりに

公式ホームページでは、
紅型の歴史や背景、制作に込めた考えを、
少し丁寧に言葉にして残しています。

Instagramでは、
職人の日常や工房の空気、
沖縄の光や緑の中で息づく紅型の表情を、
より身近な距離感でお伝えしています。

どちらも、紅型を「特別なもの」にするためではなく、
今を生きる私たちの暮らしと、
静かにつながる存在として感じていただくためのものです。

この場所を訪れてくださったことが、
紅型との、ささやかな出会いとなれば幸いです。

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