紅型の竹取の翁【工房時間】
2026.04.04
皆さんこんにちは。
沖縄は、少しずつあたたかい季節になってきました。
日差しの角度や、風の匂いの中に、
季節の移ろいを感じるこの頃です。
日頃より、紅型を通して琉球文化に関心を寄せていただき、ありがとうございます。
皆様の好奇心が、私たちの挑戦を支えている原動力になっています。
改めて、感謝申し上げます。
今日は、少しだけ日常の話を。
山へ竹を取りに行ってきました。
きっかけは、突然の父の一言でした。
「竹を取りに行こう」
理由はシンプルで、
「筆に使う竹がなくなってきたから」。
それだけのことなのですが、
父は一度そう言い出すと、なかなか引きません。
私の父は、工房の十五代目。
戦後の何もない時代から、道具を一つひとつ自分の手で作り、
この工房の基礎を築いてきた人です。
色を入れるための台や椅子、
染色のためのさまざまな道具、
工房にある多くのものは、父が手を動かしながら作ってきたものです。
ホームセンターにある材料や、
身近にあるものを工夫しながら、
自分たちにとって最も使いやすい形を探し続けてきました。
便利なものがあれば取り入れ、
そうでなければ、自分たちで作る。
そうやって積み重ねてきた道具たちが、
今も私たちの仕事を静かに支えています。
その中でも「筆」は、特別な存在です。
紅型の隈取りをするための筆は、
市販のものでは代替できない部分があり、
いまでも工房の中で手作りされています。
その軸となるのが、竹です。
沖縄の山に自生する竹の中から、
あまり太くならないものを選び、
一年から二年ほど乾燥させる。
その中に、人の髪の毛を詰めていくのです。
構造としてはシンプルで、
タコ糸を使って髪の毛を引き込みながら、
竹の中へと通していきます。





けれど、この作業はとても繊細です。
竹が細すぎても太すぎてもいけない。
髪の毛を詰めすぎると割れてしまう。
密度が足りなければ、筆として機能しない。
一見単純に見える構造の中に、
長年の感覚と経験が詰まっています。
現在、この筆を作れるのは、ほぼ父だけです。
ここ最近は、休日の時間を使って、
工房のメンバーにも少しずつ伝えてきましたが、
まだ完全に引き継げているとは言えません。
そして竹を取りに行くという行為そのものも、
簡単なものではありません。
沖縄の山には、ハブという毒蛇がいます。
そのため、暖かい季節は基本的に山に入らない。
竹を取りに行くのは、1月や2月頃の限られた時期です。
しかし今年は、どうしてもタイミングが合いませんでした。
「まあ来年でいいか」と、私は思っていたのですが、
父は違いました。
「竹がないと困る」
その一言で、
結局、山へ行くことになったのです。
急な呼びかけだったため、
工房のみんなが揃うことはありませんでしたが、
それでも数名が集まり、一緒に山へ向かいました。
天気予報は雨。
どう見ても山に入れる状況ではありません。
それでも現地に行ってみると、
強い風が吹き荒れているものの、
なぜか雨は降らない。
そしてもう一つ、
本来であれば大発生しているはずのヤブ蚊が、
風の強さのせいでほとんど飛んでいなかったのです。
偶然なのか、必然なのか。
いくつもの条件が重なり、
私たちは無事に山へ入り、
二時間ほどかけて竹を取ることができました。
今回は、太い竹ではなく、
筆に適した細い竹を中心に選びました。
現地では父が、
「どんな竹が良いのか」
「どこを見て判断するのか」
一つひとつ説明しながら進めていきます。
節の長さ、しなり、成長の仕方。
例えば、節と節の間が長い竹の方が、
中に髪の毛を通しやすく、
良い筆になる。
そういった知識は、
本や理論ではなく、
長い年月の中で身体に刻まれてきたものです。
92歳になった父は、
今でも現役で筆を作り続けています。
普段は階段の上り下りで息が切れることもあり、
体力の衰えを感じる場面もあります。
けれどこの日、山に入った父は、
まるで別人のようでした。




自分からどんどん山の中へ入り、
竹を見つけては、嬉しそうに手を動かす。
工房にいるときよりも、
どこか生き生きとして見えました。
その姿を見ながら、私は思いました。
この人にとって、
ものづくりとは、仕事ではなく、
「生きること」そのものなのだと。
久しぶりに、父と長い時間を共に過ごしました。
山へ向かう車の中、
竹を選ぶ時間、
そして帰り道。
何気ない会話の中に、
長い時間をかけて積み重ねてきたものが、
静かに流れているのを感じました。
道具は、ただの道具ではありません。
そこには、
誰かの時間と、経験と、
そして生き方が宿っています。
竹を取りに行くという行為もまた、
単なる素材調達ではなく、
「つくる」という営みの原点に触れる時間
なのかもしれません。
これから先、
こうした時間をどのように繋いでいけるのか。
それを考えながら、
また日々の仕事に向き合っていきたいと思います。








城間栄市プロフィール
紅型に、時間と祈りを宿す
私は紅型を、単なる染色技法ではなく、
沖縄という土地で積み重ねられてきた時間や祈り、
そして暮らしの感覚を受け止める「文化の器」だと捉えています。
布に色を置くという行為の奥には、
自然へのまなざし、人への想い、
そして生き方そのものが静かに重なっています。
その感覚を、できるだけ正直に、今の時代の言葉と形で手渡していくこと。
それが、私が紅型と向き合い続ける理由です。

生い立ちと紅型との距離
1977年、沖縄県生まれ。
城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育ちました。
幼い頃から、工房は日常の延長線上にありました。
染料の匂い、布を干す風景、
職人たちの背中や交わされる何気ない会話。
それらは特別なものというより、生活の一部として、自然に身の回りにありました。
本格的に工房に入り、父のもとで修行を始めたのは、
沖縄県芸術祭「沖展」への初入選をきっかけとしています。
紅型を「受け継ぐもの」としてではなく、
自分自身の人生として引き受ける覚悟が、
そのとき初めて定まったように思います。
外の世界で学んだこと
2003年からの約2年間、
インドネシア・ジョグジャカルタに滞在し、
バティック(ろうけつ染)を学びました。
異なる気候、異なる宗教観、異なる生活のリズム。
その中で工芸がどのように根づき、人々の暮らしと結びついているのかを、
現地での生活を通して体感しました。
この経験は、
「伝統を守ること」と「変化を受け入れること」は、
決して相反するものではない、
という確信を私にもたらしました。
受賞・出展についての考え方
これまで、沖展、日本工芸会、西部伝統工芸展、
MOA美術館岡田茂吉賞など、
いくつかの評価や賞をいただいてきました。
また、文化庁主催の展覧会や、
「ポケモン工芸展」など、国内外に向けた企画展にも参加する機会を得ています。
こうした節目を迎えるたびに、
私自身の評価以上に、
紅型という存在を知ってもらう機会が広がっていくことに、
大きな喜びを感じています。
一つの作品が、
「沖縄にはこういう染め物があるのですね」
という小さな気づきにつながる。
その積み重ねこそが、紅型の未来を静かに支えていくのだと感じています。
制作について
制作では、伝統的な技法を大切にしながらも、
その時代、その感覚にしか生まれない表現を探り続けています。
代表作の一つである紅型着物《波の歌》では、
沖縄の海を泳ぐ生き物たちの姿を、
藍色を基調に、リズムと奥行きを意識して表現しました。
新しさを声高に主張するのではなく、
布に触れた人が、
どこか懐かしさや安心感を覚えるような仕事を目指しています。
今、そしてこれから
現在は、
城間びんがた工房十六代代表として制作を行いながら、
日本工芸会正会員、沖展染色部門審査員、
沖縄県立芸術大学非常勤講師としても活動しています。
これらの役割もまた、
紅型を「閉じた世界」に留めず、
次の世代や、まだ出会っていない人たちへと
静かにつないでいくための一つの手段だと考えています。
これからも、
展覧会やさまざまな協働を通して、
紅型という文化に触れる“入り口”を、少しずつ増やしていきたい。
それは広げるためというより、
必要な場所に、必要なかたちで、そっと灯りを置いていく
そんな感覚に近いものです。
おわりに
公式ホームページでは、
紅型の歴史や背景、制作に込めた考えを、
少し丁寧に言葉にして残しています。
Instagramでは、
職人の日常や工房の空気、
沖縄の光や緑の中で息づく紅型の表情を、
より身近な距離感でお伝えしています。
どちらも、紅型を「特別なもの」にするためではなく、
今を生きる私たちの暮らしと、
静かにつながる存在として感じていただくためのものです。
この場所を訪れてくださったことが、
紅型との、ささやかな出会いとなれば幸いです。

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