ひとつの時間を、みんなで過ごして【イベント】
2026.04.20
皆さんこんにちは。
昨日は、工房にて小さな文化の集まりを開くことができました。
紅型を通して琉球の文化に関心を寄せ、足を運んでくださった皆さまに、心から感謝しています。
このホームページに書いていることは、誰かのための情報発信であると同時に、
10年後の自分が振り返ったときに、「あの時、何を感じていたのか」を確かめるための記録でもあります。
そのため、ときに個人的な感覚や断片的な思いが混ざることもあるかもしれませんが、
それぞれの受け取り方で読んでいただけたらと思っています。
昨日の場には、本当にさまざまな方が集まってくださいました。
世代も、関わり方も、ここに来たきっかけも、それぞれ違う。
けれど同じ空間で、同じ時間を共有したという事実が、すでに一つの意味を持っていたように感じています。
この工房のある場所は、私にとって特別な場所です。
祖父が戦後この地に移り、約80年近く紅型を続けてきた場所。
さらに遡れば、かつては清らかな水が湧き、紙を漉く場でもあったと聞いています。


時代ごとに役割を変えながらも、
この場所はいつも「何かを生み出す場所」として存在してきたのかもしれません。
そして昨日、その場所に再び人が集まりました。



箏の音が響き、身体の表現としての踊りが空間を満たし、
その間に紅型という工芸が静かに存在している。
過去から続いてきたこの場所の記憶の上に、
いまここにいる人たちの営みが重なっていく。
そんな時間だったように思います。

本来予定にはなかったのですが、
イベントの後にそのまま懇親会を開くことにしました。
結果として、半分近くの方がその場に残ってくださり、
ささやかではありますが、食事を囲みながら言葉を交わす時間が生まれました。
その中で、ひとつ試みとして用意していたのが「質問カード」です。
名刺サイズの小さなカードに、いくつかの問いを書き、
参加者の方々がそれを手に取りながら、
演者である町田倫士さん、高井賢太郎さんに直接質問していくという形を取りました。
はじめに、それぞれがどのようなきっかけでこの場に来たのか、
どんな関わりの中でここにいるのかを簡単に共有し、
そのあとに問いを投げかけていく。
決して重すぎず、けれど少しだけ内側に触れるような問い。
その一つひとつに対して、お二人がとても丁寧に、
そして誠実に言葉を返してくださったことが、とても印象に残っています。
芸能という世界の難しさや喜び、続けることの意味、
表現に向き合う姿勢。
普段はなかなか聞くことのできない話が、
とても自然な形で、その場に広がっていきました。
参加者の方々の表情も、次第にやわらいでいき、
単なる「観る側」と「演じる側」という関係を越えて、
同じ時間を共有する一人ひとりとして、
距離が少しずつ近づいていくのを感じました。
この時間は、単なる懇親というよりも、
「これからの関わり方」を静かに探っているような時間でもあったと思います。
どうすれば、この文化に関わり続けることができるのか。
どのような形でつながっていけるのか。
明確な答えが出たわけではありませんが、
その“問い”を共有できたこと自体に、大きな意味があったように感じています。
振り返ってみると、昨日の一日は、
この場所に積み重なってきた過去と、
いまここで表現している現在、
そして人と人との対話の中に立ち上がった未来が、
ひとつの時間の中で、重なり合っていたように思います。
それが意図してつくられたものなのか、
それとも自然にそうなったのかは分かりません。
ただ、確かにそこには、
「ここで行う意味」があったと感じています。
これから先、この文化をどのように手渡していくのか。
その問いに対する答えは、まだ見えていません。
けれど昨日のように、
人が集まり、語り合い、それぞれが何かを感じ取る時間がある限り、
その流れはきっと続いていくのだと思います。
また、この場所で。
そして、また別のかたちで。
少しずつ、重ねていけたらと思います。


城間栄市プロフィール
紅型に、時間と祈りを宿す
私は紅型を、単なる染色技法ではなく、
沖縄という土地で積み重ねられてきた時間や祈り、
そして暮らしの感覚を受け止める「文化の器」だと捉えています。
布に色を置くという行為の奥には、
自然へのまなざし、人への想い、
そして生き方そのものが静かに重なっています。
その感覚を、できるだけ正直に、今の時代の言葉と形で手渡していくこと。
それが、私が紅型と向き合い続ける理由です。

生い立ちと紅型との距離
1977年、沖縄県生まれ。
城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育ちました。
幼い頃から、工房は日常の延長線上にありました。
染料の匂い、布を干す風景、
職人たちの背中や交わされる何気ない会話。
それらは特別なものというより、生活の一部として、自然に身の回りにありました。
本格的に工房に入り、父のもとで修行を始めたのは、
沖縄県芸術祭「沖展」への初入選をきっかけとしています。
紅型を「受け継ぐもの」としてではなく、
自分自身の人生として引き受ける覚悟が、
そのとき初めて定まったように思います。
外の世界で学んだこと
2003年からの約2年間、
インドネシア・ジョグジャカルタに滞在し、
バティック(ろうけつ染)を学びました。
異なる気候、異なる宗教観、異なる生活のリズム。
その中で工芸がどのように根づき、人々の暮らしと結びついているのかを、
現地での生活を通して体感しました。
この経験は、
「伝統を守ること」と「変化を受け入れること」は、
決して相反するものではない、
という確信を私にもたらしました。
受賞・出展についての考え方
これまで、沖展、日本工芸会、西部伝統工芸展、
MOA美術館岡田茂吉賞など、
いくつかの評価や賞をいただいてきました。
また、文化庁主催の展覧会や、
「ポケモン工芸展」など、国内外に向けた企画展にも参加する機会を得ています。
こうした節目を迎えるたびに、
私自身の評価以上に、
紅型という存在を知ってもらう機会が広がっていくことに、
大きな喜びを感じています。
一つの作品が、
「沖縄にはこういう染め物があるのですね」
という小さな気づきにつながる。
その積み重ねこそが、紅型の未来を静かに支えていくのだと感じています。
制作について
制作では、伝統的な技法を大切にしながらも、
その時代、その感覚にしか生まれない表現を探り続けています。
代表作の一つである紅型着物《波の歌》では、
沖縄の海を泳ぐ生き物たちの姿を、
藍色を基調に、リズムと奥行きを意識して表現しました。
新しさを声高に主張するのではなく、
布に触れた人が、
どこか懐かしさや安心感を覚えるような仕事を目指しています。
今、そしてこれから
現在は、
城間びんがた工房十六代代表として制作を行いながら、
日本工芸会正会員、沖展染色部門審査員、
沖縄県立芸術大学非常勤講師としても活動しています。
これらの役割もまた、
紅型を「閉じた世界」に留めず、
次の世代や、まだ出会っていない人たちへと
静かにつないでいくための一つの手段だと考えています。
これからも、
展覧会やさまざまな協働を通して、
紅型という文化に触れる“入り口”を、少しずつ増やしていきたい。
それは広げるためというより、
必要な場所に、必要なかたちで、そっと灯りを置いていく
そんな感覚に近いものです。
おわりに
公式ホームページでは、
紅型の歴史や背景、制作に込めた考えを、
少し丁寧に言葉にして残しています。
Instagramでは、
職人の日常や工房の空気、
沖縄の光や緑の中で息づく紅型の表情を、
より身近な距離感でお伝えしています。
どちらも、紅型を「特別なもの」にするためではなく、
今を生きる私たちの暮らしと、
静かにつながる存在として感じていただくためのものです。
この場所を訪れてくださったことが、
紅型との、ささやかな出会いとなれば幸いです。

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