花火のまなざしを通して

夜花火 ─

花火は、いつも私たちが夜空を見上げる存在です。しかしもし逆に、花火が私たちを見下ろしていたら…?
そんな発想の転換から生まれたのが、この「夜花火」という作品です。視点を切り替えることで、日常の中に新しい物語を見つける。その実験がこの作品には込められています。

技法的な挑戦とテーマづくり

私は常に、**「ひとつの作品にひとつのテーマ」を持つこと、そして「技法的なチャレンジと沖縄の物語を織り込むこと」**を意識してきました。「夜花火」もその延長線上にあります。大型作品を手掛けるときには、従来の表現を超えて実験的な試みを行うことが欠かせません。この作品もまた、視点の転換と技法の工夫を重ねる中で生まれました。

山下清との不思議な縁

この花火のモチーフには、実は過去からのつながりがあります。
終戦後まもない復興期、まだ設備も整わない工房に、版画家の山下清先生が訪れたことがありました。沖縄の復興を応援したいと、多くの文化庁関係者や有識者と共に祖父・栄喜を訪ねられたのです。その際、先生は紅型の筒描きの技法を体験し、いくつかの作品を残しました。その中の一つが「花火」でした。

祖父の家の奥に保管されていたその作品を目にしたとき、70年近い時を超えて私の中にインスピレーションが湧き上がりました。あの時代に描かれた花火を、今の時代の紅型として表現したらどうなるだろう──そう考えたのが「夜花火」誕生のきっかけです。

山下清さんが筒描きをしています
戦後約10年目の制作風景
制作風景 24歳の父(栄順15代)
戦後約10年目の制作風景

夕暮れに咲く花火の情景

私が思い描いたのは、街の営みが静かに止まり、休息に入る夕暮れ時に打ち上がる花火の情景です。
昼の喧騒から解き放たれた街に、夜の帳が下りる瞬間。空に広がる光が、地上の私たちを見下ろしているように感じられる。その幻想的な時間を、紅型という技法で描き出しました。

作品に込めた願い

「夜花火」は、ただ花火を描いたものではありません。戦後復興期の出会い、過去から現在へと受け継がれた縁、そして技法的な挑戦。それらが重なり合って生まれた作品です。
この花火を通して、見る人がそれぞれの思い出や物語を心の中に重ね合わせていただけたら、これほど嬉しいことはありません。


公式ホームページでは、紅型の歴史や伝統、私自身の制作にかける思いなどを、やや丁寧に、文化的な視点も交えながら発信しています。一方でInstagramでは、職人の日常や工房のちょっとした風景、沖縄の光や緑の中に息づく“暮らしに根ざした紅型”の表情を気軽に紹介しています。たとえば、朝の染料作りの様子や、工房の裏庭で揺れる福木の葉っぱ、時には染めたての布を空にかざした一瞬の写真など、ものづくりの空気感を身近に感じていただける内容を心がけています。

紅型は決して遠い伝統ではなく、今を生きる私たちの日々とともにあるものです。これからも新しい挑戦と日々の積み重ねを大切にしながら、沖縄の染め物文化の魅力を発信し続けていきたいと思います。ぜひInstagramものぞいていただき、工房の日常や沖縄の彩りを一緒に楽しんでいただけたら嬉しいです。

城間栄市 プロフィール昭和52年(1977年)、沖縄県生まれ。

城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育つ。

学歴・海外研修

  • 平成15年(2003年)より2年間、インドネシア・ジョグジャカルタ特別州に滞在し、バティック(ろうけつ染)を学ぶ。
  • 帰国後は城間びんがた工房にて、琉球びんがたの制作・指導に専念。

受賞・展覧会歴

  • 平成24年:西部工芸展 福岡市長賞 受賞
  • 平成25年:沖展 正会員に推挙
  • 平成26年:西部工芸展 奨励賞 受賞
  • 平成27年:日本工芸会 新人賞を受賞し、正会員に推挙
  • 令和3年:西部工芸展 沖縄タイムス社賞 受賞
  • 令和4年:MOA美術館 岡田茂吉賞 大賞 受賞
  • 令和5年:西部工芸展 西部支部長賞 受賞

主な出展

  • 「ポケモン工芸展」に出展
  • 文化庁主催「日中韓芸術祭」に出展
  • 令和6年:文化庁「技を極める」展に出展

現在の役職・活動

  • 城間びんがた工房 十六代 代表
  • 日本工芸会 正会員
  • 沖展(沖縄タイムス社主催公募展)染色部門 審査員
  • 沖縄県立芸術大学 非常勤講師

プロフィール概要

はじめまして。城間びんがた工房16代目の城間栄市です。私は1977年、十五代・城間栄順の長男として沖縄に生まれ、幼いころから紅型の仕事に親しみながら育ちました。工房に入った後は父のもとで修行を重ねつつ、沖縄県芸術祭「沖展」に初入選したことをきっかけに本格的に紅型作家として歩み始めました。

これまでの道のりの中で、沖展賞や日本工芸会の新人賞、西部伝統工芸展での沖縄タイムス社賞・西部支部長賞、そしてMOA美術館の岡田茂吉賞大賞など、さまざまな賞をいただくことができました。また、沖展の正会員や日本工芸会の正会員として活動しながら、審査員として後進の作品にも向き合う立場も経験しています。

私自身の制作で特に印象に残っているのは、「波の歌」という紅型着物の作品です。これは沖縄の海を泳ぐ生き物たちの姿を、藍型を基調とした布に躍動感をもって表現したものです。伝統の技法を守りつつ、そこに自分なりの視点や工夫を重ねることで、新しい紅型の可能性を切り拓きたいという思いが込められています。こうした活動を通して、紅型が沖縄の誇る伝統工芸であるだけでなく、日本、そして世界に発信できるアートであると感じています。

20代の頃にはアジア各地を巡り、2003年から2年間はインドネシア・ジョグジャカルタでバティック(ろうけつ染)を学びました。現地での生活や工芸の現場を通して、異文化の技術や感性にふれ、自分自身の紅型への向き合い方にも大きな影響を受けました。伝統を守るだけでなく、常に新しい刺激や発見を大切にしています。

最近では、「ポケモン×工芸展―美とわざの大発見―」など、世界を巡回する企画展にも参加する機会が増えてきました。紅型の技法でポケモンを表現するというチャレンジは、私自身にとっても大きな刺激となりましたし、沖縄の紅型が海外のお客様にも響く可能性を感じています。

メディアにも多く取り上げていただくようになりました。テレビや新聞、ウェブメディアで工房の日常や制作現場が紹介されるたびに、「300年前と変わらない手仕事」に込めた想いを、多くの方に伝えたいと強く思います。