ロウと時間で書かれた物語
2026.01.17
国際交流基金の方々とのご縁から、インドネシアの学生さんたちとの交流事業のお話が始まりました。
こうして改めて、紅型という存在を通して琉球文化が外へと広がっていくことに、静かな感謝の気持ちを抱いています。
この話のきっかけを辿ると、実はとてもささやかな出会いに行き着きます。
昨年、世田谷区で開催した「お茶と紅型」のイベント。
その場に参加してくださった方との会話の中から、少しずつ、今回の交流へとつながっていきました。
文化というものは、計画通りに広がるというよりも、こうした偶然の重なりの中で、自然と芽を出していくものなのかもしれません。


今回予定しているワークショップでは、サコッシュ制作体験を通して、紅型に触れてもらうことになりました。
図柄には、首里城とその周辺の意匠をモチーフにしたものを用います。
祖父をはじめ、先人たちが守り伝えてきた琉球の歴史や思いを、できるだけ押しつけにならないかたちで感じてもらえたら、という思いからです。
その図柄をもとに、インドネシアの学生たちが自分たちの感性で色を挿し、形にしていく。
そこに生まれる偶然やズレこそが、今回の一番の見どころになるのではないかと思っています。
体験の中では、紅型の話も少しさせていただく予定です。
その際には、琉球の文化がアジアのさまざまな国々とつながりながら育まれてきたこと、
そして私自身がかつてインドネシアで過ごした時間についても触れられたらと考えています。
私がインドネシアに渡ったのは、2007年頃のことでした。
今から振り返ると、もう20年近く前になります。
当時のインドネシアは、スマトラ島沖地震の記憶も新しく、東ティモールの内戦の影響も残っていて、
外務省のホームページには渡航延期を勧める地域として表示されていたのを覚えています。


那覇市首里山川町からほとんど外に出たことのなかった私にとって、
インドネシアへ渡るという選択は、正直かなりの覚悟が必要でした。
それでも、何かに背中を押されるようにして、私は飛行機に乗りました。
空港に降り立った瞬間、強烈なタバコの匂いが鼻を突きました。
「これがアジアの匂いか」などと、今思えばずいぶん呑気なことを考えていたのですが、
すぐにもっと根本的なことに気づかされます。
私は、インドネシア語も英語も、ほとんど話せなかったのです。
迎えに来てくれたホストファミリーであり、バティック工房の主でもあるバンバンさん。
身振り手振りで必死に伝えようとする私を見て、彼は何かを察したのでしょう。
空港からの帰り道、ナイトマーケットに立ち寄り、
ポケットに入るほどの小さなインドネシア語辞典を買ってくれました。
その一冊が、私のインドネシアでの生活の、すべての始まりでした。
工房では、朝8時から夕方4時まで、みんなと一緒にバティックの作業をします。
一つの鍋を5人ほどで囲み、ロウを溶かし、図案を描き、手を動かす。
仕事の合間には、冗談が飛び交い、それがまるでバレーボールのラリーのように続いていきます。
最後に誰かが落ちをつけ、全員で笑って、また作業に戻る。
仕事なのか、遊びなのか、境目がわからなくなるような時間でした。


夜になると、自分の部屋に戻り、その日聞いた言葉を辞典で調べ、ノートに書き写します。
ノートがいっぱいになると、消しゴムで消して、また書く。
不思議と鉛筆の芯がほとんど減らなかったことまで、今でもよく覚えています。
その鉛筆すら、バティックで染められていたのですから、何とも言えない気持ちになります。
2年間の生活の中で、私は言葉だけでなく、
冗談の間合い、距離の詰め方、空気の読み方、
そして文化というものが生活の中にどう溶け込んでいるのかを、肌で学びました。
インドネシアでは、茶色を見ると涼しさを感じる人が多い、という話も印象的でした。
大雨が降ると町中が赤土で茶色くなる、その記憶が感覚に残っているのかもしれません。
そうした体験は、確実に今の私の作品にも影響を与えています。
帰国後、図案をより細かく描くようになり、
一つひとつに物語を持たせたいと思うようになりました。
それは、誰かを真似たというよりも、
散らばっていた点が、自分の中でゆっくりとつながっていった結果のような感覚です。
今回、工房で続けてきたイベントの流れの中で、
思いがけず国際交流基金の方々とつながり、
インドネシアの大学の学生や教授の皆さん、総勢15名ほどが工房を訪れることになりました。
日常的に見学を受け入れていない中で、
それでも文化を通した交流の場を持ちたいという思いで続けてきたことが、
思いもよらないかたちで実を結び始めています。
この一連の出来事が、どんな形で次につながっていくのか。
記事や動画として記録され、またこの場所で共有できる日が来ることを、楽しみにしています。
紅型を通して、遠い島と島が、静かにつながっていく。
そんな時間の流れを、これからも大切にしていきたいと思っています。
紅型に、時間と祈りを宿す
私は紅型を、単なる染色技法ではなく、
沖縄という土地で積み重ねられてきた時間や祈り、
そして暮らしの感覚を受け止める「文化の器」だと捉えています。
布に色を置くという行為の奥には、
自然へのまなざし、人への想い、
そして生き方そのものが静かに重なっています。
その感覚を、できるだけ正直に、今の時代の言葉と形で手渡していくこと。
それが、私が紅型と向き合い続ける理由です。

城間栄市プロフィール 生い立ちと紅型との距離
1977年、沖縄県生まれ。
城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育ちました。
幼い頃から、工房は日常の延長線上にありました。
染料の匂い、布を干す風景、
職人たちの背中や交わされる何気ない会話。
それらは特別なものというより、生活の一部として、自然に身の回りにありました。
本格的に工房に入り、父のもとで修行を始めたのは、
沖縄県芸術祭「沖展」への初入選をきっかけとしています。
紅型を「受け継ぐもの」としてではなく、
自分自身の人生として引き受ける覚悟が、
そのとき初めて定まったように思います。
外の世界で学んだこと
2003年からの約2年間、
インドネシア・ジョグジャカルタに滞在し、
バティック(ろうけつ染)を学びました。
異なる気候、異なる宗教観、異なる生活のリズム。
その中で工芸がどのように根づき、人々の暮らしと結びついているのかを、
現地での生活を通して体感しました。
この経験は、
「伝統を守ること」と「変化を受け入れること」は、
決して相反するものではない、
という確信を私にもたらしました。
受賞・出展についての考え方
これまで、沖展、日本工芸会、西部伝統工芸展、
MOA美術館岡田茂吉賞など、
いくつかの評価や賞をいただいてきました。
また、文化庁主催の展覧会や、
「ポケモン工芸展」など、国内外に向けた企画展にも参加する機会を得ています。
こうした節目を迎えるたびに、
私自身の評価以上に、
紅型という存在を知ってもらう機会が広がっていくことに、
大きな喜びを感じています。
一つの作品が、
「沖縄にはこういう染め物があるのですね」
という小さな気づきにつながる。
その積み重ねこそが、紅型の未来を静かに支えていくのだと感じています。
制作について
制作では、伝統的な技法を大切にしながらも、
その時代、その感覚にしか生まれない表現を探り続けています。
代表作の一つである紅型着物《波の歌》では、
沖縄の海を泳ぐ生き物たちの姿を、
藍色を基調に、リズムと奥行きを意識して表現しました。
新しさを声高に主張するのではなく、
布に触れた人が、
どこか懐かしさや安心感を覚えるような仕事を目指しています。
今、そしてこれから
現在は、
城間びんがた工房十六代代表として制作を行いながら、
日本工芸会正会員、沖展染色部門審査員、
沖縄県立芸術大学非常勤講師としても活動しています。
これらの役割もまた、
紅型を「閉じた世界」に留めず、
次の世代や、まだ出会っていない人たちへと
静かにつないでいくための一つの手段だと考えています。
これからも、
展覧会やさまざまな協働を通して、
紅型という文化に触れる“入り口”を、少しずつ増やしていきたい。
それは広げるためというより、
必要な場所に、必要なかたちで、そっと灯りを置いていく
そんな感覚に近いものです。
おわりに
公式ホームページでは、
紅型の歴史や背景、制作に込めた考えを、
少し丁寧に言葉にして残しています。
Instagramでは、
職人の日常や工房の空気、
沖縄の光や緑の中で息づく紅型の表情を、
より身近な距離感でお伝えしています。
どちらも、紅型を「特別なもの」にするためではなく、
今を生きる私たちの暮らしと、
静かにつながる存在として感じていただくためのものです。
この場所を訪れてくださったことが、
紅型との、ささやかな出会いとなれば幸いです。

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