首里で描いた線、どこかで見つかる色【工房時間】

祖父の図案 首里城風景

海の向こうへ、もう一度図案を送ってみたくなった話

以前、海の向こうで“故郷”を編み直す【工房時間】というコラムを書きました。

海を越えて続いていく物語のこと。
沖縄を離れた人たちが、それぞれの土地で生きながらも、
どこかでこの島とつながっていること。

あの文章を書いたあと、
私はしばらく、その続きを考えていました。

続き、と言っても、
大きな計画があるわけではありません。

ただ、ふと思ったのです。

首里で描いた図案を、
そのまま海の向こうに送ったら、どうなるだろう。


図案は、旅をしてもいいのではないか

紅型の図案は、
長い間、首里の中で完結してきました。

首里で描き、
首里で型を彫り、
首里で染め、
そして世の中へ出ていく。

それはとても自然な流れです。

けれど、もし。

首里で描いた図案が、
ポートランドの光の中で染められたら?

ブラジルの湿度の中で乾かされたら?

同じ線を、
違う手がなぞったら?

私は、そんなことを勝手に想像していました。


ほんの小さな妄想です

誤解のないように言えば、
これはまだ構想でも、企画でもありません。

ただの妄想です。

例えば——

私が首里でひとつ図案を描く。
それをデータにして、
かつてこの工房で学んだ人や、
世界で紅型を続けているウチナーンチュに送る。

それぞれの土地で、
それぞれの材料を使い、
それぞれの感覚で染める。

そして、できあがった作品を、
互いに写真で見せ合う。

ただそれだけ。

それが、どんな意味を持つのかはわかりません。

でも、
同じ図案が、
違う空気の中でどう変わるのか。

それを見てみたいという、
ただの好奇心です。


首里に戻ってくるもの

大切なのは、広がることではなく、
戻ってくることかもしれません。

外で染められた作品を見て、
私はきっと考えるでしょう。

「ああ、この色の出方は、沖縄では出ないな」

「この解釈は、自分にはなかったな」

そうやって、
もう一度、首里の染め場に立つ。

そのとき、
次に描く図案は、
ほんの少し変わっているかもしれません。

文化は、
閉じていると硬くなります。

少し外の風に触れたほうが、
しなやかでいられるのかもしれません。


世界の中の、首里

沖縄は小さな島ですが、
海の向こうには、たくさんのウチナーンチュがいます。

言葉は変わり、
国籍も変わり、
環境も変わっている。

それでも、
どこかで沖縄を思っている人がいる。

もし、その人たちと、
「同じ図案」を共有できたら。

それは中央から広げる運動ではなく、
それぞれの土地で芽吹く小さな染め。

分散していくことで、
むしろ強くなるかもしれない。

そんなことを、
最近よく考えています。


まだ始まってもいない話

繰り返しますが、
これはまだ何も決まっていません。

私はただ、
図案が旅をする風景を想像しているだけです。

けれど、紅型は300年、
変わらないことで続いてきたのではなく、
変わりながら続いてきました。

もしかしたら次の10年は、
図案が首里を出て、
また首里に戻ってくる時代になるのかもしれません。

あるいは、
何も起こらないかもしれません。

でも、
そんな妄想をしながら染める日々も、
悪くないと思っています。

首里で描いた一本の線が、
海の向こうで、どんな色になるのか。

いつか見てみたいと、
静かに思っています。

藍染めした 帯を干しています

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城間栄市プロフィール 

紅型に、時間と祈りを宿す

私は紅型を、単なる染色技法ではなく、
沖縄という土地で積み重ねられてきた時間や祈り、
そして暮らしの感覚を受け止める「文化の器」だと捉えています。

布に色を置くという行為の奥には、
自然へのまなざし、人への想い、
そして生き方そのものが静かに重なっています。
その感覚を、できるだけ正直に、今の時代の言葉と形で手渡していくこと。
それが、私が紅型と向き合い続ける理由です。


生い立ちと紅型との距離

1977年、沖縄県生まれ。
城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育ちました。

幼い頃から、工房は日常の延長線上にありました。
染料の匂い、布を干す風景、
職人たちの背中や交わされる何気ない会話。
それらは特別なものというより、生活の一部として、自然に身の回りにありました。

本格的に工房に入り、父のもとで修行を始めたのは、
沖縄県芸術祭「沖展」への初入選をきっかけとしています。
紅型を「受け継ぐもの」としてではなく、
自分自身の人生として引き受ける覚悟が、
そのとき初めて定まったように思います。


外の世界で学んだこと

2003年からの約2年間、
インドネシア・ジョグジャカルタに滞在し、
バティック(ろうけつ染)を学びました。

異なる気候、異なる宗教観、異なる生活のリズム。
その中で工芸がどのように根づき、人々の暮らしと結びついているのかを、
現地での生活を通して体感しました。

この経験は、
「伝統を守ること」と「変化を受け入れること」は、
決して相反するものではない、
という確信を私にもたらしました。


受賞・出展についての考え方

これまで、沖展、日本工芸会、西部伝統工芸展、
MOA美術館岡田茂吉賞など、
いくつかの評価や賞をいただいてきました。
また、文化庁主催の展覧会や、
「ポケモン工芸展」など、国内外に向けた企画展にも参加する機会を得ています。

こうした節目を迎えるたびに、
私自身の評価以上に、
紅型という存在を知ってもらう機会が広がっていくことに、
大きな喜びを感じています。

一つの作品が、
「沖縄にはこういう染め物があるのですね」
という小さな気づきにつながる。
その積み重ねこそが、紅型の未来を静かに支えていくのだと感じています。


制作について

制作では、伝統的な技法を大切にしながらも、
その時代、その感覚にしか生まれない表現を探り続けています。

代表作の一つである紅型着物《波の歌》では、
沖縄の海を泳ぐ生き物たちの姿を、
藍色を基調に、リズムと奥行きを意識して表現しました。

新しさを声高に主張するのではなく、
布に触れた人が、
どこか懐かしさや安心感を覚えるような仕事を目指しています。


今、そしてこれから

現在は、
城間びんがた工房十六代代表として制作を行いながら、
日本工芸会正会員、沖展染色部門審査員、
沖縄県立芸術大学非常勤講師としても活動しています。

これらの役割もまた、
紅型を「閉じた世界」に留めず、
次の世代や、まだ出会っていない人たちへと
静かにつないでいくための一つの手段だと考えています。

これからも、
展覧会やさまざまな協働を通して、
紅型という文化に触れる“入り口”を、少しずつ増やしていきたい。
それは広げるためというより、
必要な場所に、必要なかたちで、そっと灯りを置いていく
そんな感覚に近いものです。


おわりに

公式ホームページでは、
紅型の歴史や背景、制作に込めた考えを、
少し丁寧に言葉にして残しています。

Instagramでは、
職人の日常や工房の空気、
沖縄の光や緑の中で息づく紅型の表情を、
より身近な距離感でお伝えしています。

どちらも、紅型を「特別なもの」にするためではなく、
今を生きる私たちの暮らしと、
静かにつながる存在として感じていただくためのものです。

この場所を訪れてくださったことが、
紅型との、ささやかな出会いとなれば幸いです。

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