思いの糸、時の根につながって

琉球紅型訪問着「うむい(思い)」 第57回西部伝統工芸展 日本工芸会西部支部長賞
琉球紅型訪問着「うむい(思い)」(部分)
第57回西部伝統工芸展
日本工芸会西部支部長賞

令和五年、第五十七回西部伝統工芸展において、
琉球紅型訪問着「うむい(思い)」が
日本工芸会西部支部長賞をいただきました。

まずは、このような評価をいただいたことに、
心から感謝申し上げます。
同時に、この出来事を、
一個人の成果として語ることには、
少しだけためらいも感じています。

というのも、
この一枚が立っている場所は、
私ひとりの努力や工夫の先ではなく、
もっと長い時間と、多くの人の営みの上にあると、
はっきり感じているからです。

琉球という土地は、
歴史の中で決して穏やかな道だけを
歩んできたわけではありません。
地政学的にも、文化的にも、
常に外と向き合い、揺さぶられながら、
それでも争うことより、
認め合うことを選び、
奪い合うことより、
表現することを選んできた島でした。

中国、日本、東南アジア。
さまざまな文化を受け入れながら、
そのまま写すのではなく、
自分たちの感覚へとゆっくり溶かし込み、
独自の美意識として育ててきた。

この小さな島に、
これほど多様な伝統工芸や芸能が
今も息づいていること自体が、
その歩みを静かに物語っているように思います。

紅型もまた、
そうした時間の中で育まれてきた文化です。
王朝の時代から、
戦争を経て、
焼け野原の時代をくぐり抜けながらも、
決して消えることなく、
その都度かたちを変えながら続いてきました。

戦後の混乱の中で、
生活のために、
文化を守るために、
そして何より、
「美しいものを手放してはいけない」という思いのもとに、
手を動かし続けた先輩方がいました。

1960年代の紅型をしている工房の様子
終戦後は紅型の技術で ポストカードを作りました。

その苦労は、
声高に語られることは少なく、
けれど不思議なことに、
時間を経るにつれて、
喜びや美意識へと消化され、
布の上に静かに残っているように感じられます。

今回、「うむい(思い)」というタイトルで
琉球紅型の訪問着を発表できたことは、
そうした時間の流れの中に、
自分自身もまた身を置いているのだという確認でもありました。

「うむい」という言葉には、
感情だけではなく、
言葉にならない願いや祈り、
そして沈黙の時間も含まれています。
この島で、
多くの人が胸の内に抱えてきたものを、
一枚の布として受け止めてみたい。
そんな思いが、この作品の根にあります。

評価をいただいたという事実以上に、
この作品が、
琉球という文化の流れの中で
ひとつの表現として受け取っていただけたこと。
それを、いまは何よりありがたく感じています。

そして、毎回の制作において、
私自身が大切にしてきたことがあります。
それは大きく分けると二つで、
沖縄の物語をどう込めるかということ、
そしてもう一つは、
技法としての挑戦を止めないことです。

紅型は、図案や色の華やかさが先に目に入りますが、
その奥には必ず、
「どうやって染めているのか」という技術の選択があり、
その選択は、表現そのものに直結していきます。

今回の「うむい(思い)」では、
染め地型と呼ばれる技法を選びました。
一見すると穏やかに見えるのですが、
実際には非常に神経を使う仕事です。

線彫りのように、
細かく、連続する彫りのリズムの中で、
筆によって色を分けていく。
色と色の境界は極めて近く、
少しの油断ではすぐにはみ出してしまいます。
彫るときも、染めるときも、
どこかで力を抜けば破綻してしまう、
緊張感のある技法です。

それでもこの方法を選んだのは、
できるだけ色と色が近づいた状態をつくりたかった
という思いがありました。
境界をはっきり分けるのではなく、
触れ合うほどに近づけることで、
色そのものが対立せず、
互いを引き立て合うような関係をつくりたかったのです。

手間はかかりますし、
決して楽な選択ではありません。
けれど、その分だけ、
他にはない独特の表情が生まれてくる。
そのことを、
手の感覚として、確かに感じながら制作していました。

もう一つの柱である
沖縄の物語を込めることについては、
前半で触れた「うむい」という言葉に、
すべてを託したように思います。

ここで言う物語は、
何かを説明するためのストーリーではありません。
この島が、
争うよりも受け入れることを選び、
異なるものを排除せず、
時間をかけて溶かし込んできた、その在り方。
言葉にならない感覚として、
布の中に残せないかという試みでした。

鮮やかな沖縄らしいビビッドな色。
そこに、あえて艶やかな灰色を重ねる。
明るさだけではなく、
奥行きや陰影を含んだ色の構成の中で、
自然の豊かさと、
人々が受け入れてきた時間の層を表現できないか。
そんな挑戦でもありました。

そして今回、
その表現のかたちとして選んだのが、
訪問着です。

訪問着は、日本の装いの中でも、
非常にフォーマルな位置づけを持つ衣服です。
だからこそ、
この舞台で、
沖縄が育んできた美意識が通用するのか。
その問いを、自分自身に投げかけてみたかった。

日本の中で最も格式の高い場の一つに、
琉球紅型という表現を静かに差し出す。
それは、
主張するためでも、
比べるためでもなく、
「ここに、こういう美意識があります」と
そっと置いてみるような行為だったのかもしれません。

振り返ってみると、
この作品は、
私自身がこの土地で受けてきた刺激や、
出会ってきた人や風景を、
長い時間をかけて内側で燃やし続けた、
ひとつのかたちのようにも感じています。

派手に燃え上がる炎ではなく、
静かに、けれど確かに消えずに続いてきた火。
「うむい(思い)」という名前には、
そんな琉球の火を、
そっと包み込むような気持ちも込められているのだと思います。

最後に、
日本における「着物を着る」という文化が、
長い時間をかけて育まれてきた美意識そのものに、
あらためて深い敬意と感謝を込めたいと思います。

着物は、特別な誰かのためだけのものではなく、
日々の暮らしや節目の時間の中で、
人の心に寄り添いながら受け継がれてきました。
その土壌があったからこそ、
紅型という表現もまた、
いままで続いてくることができたのだと思います。

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
こうした文化に関心を持ち、
静かに見守り、時に声をかけてくださる皆様の存在が、
いつも私たちの背中をそっと押してくれてきました。

令和七年を迎えたいま、
私自身、そして工房として続けているこの静かな挑戦も、
決して一人きりのものではありません。
文化に心を寄せてくださる方々のまなざしや、
ささやかな一言が、
次の一歩を踏み出す力になっています。

派手な光ではなく、
足元を照らすような、静かな灯り。
その光をともしてくださっている皆様に、
あらためて心からの感謝を込めて。

これからも、
この土地で育まれてきた美意識を大切にしながら、
一枚一枚、丁寧に手を動かしていきたいと思います。

LINE公式 https://line.me/R/ti/p/@275zrjgg

Instagram https://www.instagram.com/shiromabingata16/

公式ホームページでは、紅型の歴史や伝統、私自身の制作にかける思いなどを、やや丁寧に、文化的な視点も交えながら発信しています。一方でInstagramでは、職人の日常や工房のちょっとした風景、沖縄の光や緑の中に息づく“暮らしに根ざした紅型”の表情を気軽に紹介しています。たとえば、朝の染料作りの様子や、工房の裏庭で揺れる福木の葉っぱ、時には染めたての布を空にかざした一瞬の写真など、ものづくりの空気感を身近に感じていただける内容を心がけています。

紅型は決して遠い伝統ではなく、今を生きる私たちの日々とともにあるものです。これからも新しい挑戦と日々の積み重ねを大切にしながら、沖縄の染め物文化の魅力を発信し続けていきたいと思います。ぜひInstagramものぞいていただき、工房の日常や沖縄の彩りを一緒に楽しんでいただけたら嬉しいです。

城間栄市 プロフィール昭和52年(1977年)、沖縄県生まれ。

城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育つ。

学歴・海外研修

  • 平成15年(2003年)より2年間、インドネシア・ジョグジャカルタ特別州に滞在し、バティック(ろうけつ染)を学ぶ。
  • 帰国後は城間びんがた工房にて、琉球びんがたの制作・指導に専念。

受賞・展覧会歴

  • 平成24年:西部工芸展 福岡市長賞 受賞
  • 平成25年:沖展 正会員に推挙
  • 平成26年:西部工芸展 奨励賞 受賞
  • 平成27年:日本工芸会 新人賞を受賞し、正会員に推挙
  • 令和3年:西部工芸展 沖縄タイムス社賞 受賞
  • 令和4年:MOA美術館 岡田茂吉賞 大賞 受賞
  • 令和5年:西部工芸展 西部支部長賞 受賞

主な出展

  • 「ポケモン工芸展」に出展
  • 文化庁主催「日中韓芸術祭」に出展
  • 令和6年:文化庁「技を極める」展に出展

現在の役職・活動

  • 城間びんがた工房 十六代 代表
  • 日本工芸会 正会員
  • 沖展(沖縄タイムス社主催公募展)染色部門 審査員
  • 沖縄県立芸術大学 非常勤講師

プロフィール概要

はじめまして。城間びんがた工房16代目の城間栄市です。私は1977年、十五代・城間栄順の長男として沖縄に生まれ、幼いころから紅型の仕事に親しみながら育ちました。工房に入った後は父のもとで修行を重ねつつ、沖縄県芸術祭「沖展」に初入選したことをきっかけに本格的に紅型作家として歩み始めました。

これまでの道のりの中で、沖展賞や日本工芸会の新人賞、西部伝統工芸展での沖縄タイムス社賞・西部支部長賞、そしてMOA美術館の岡田茂吉賞大賞など、さまざまな賞をいただくことができました。また、沖展の正会員や日本工芸会の正会員として活動しながら、審査員として後進の作品にも向き合う立場も経験しています。

私自身の制作で特に印象に残っているのは、「波の歌」という紅型着物の作品です。これは沖縄の海を泳ぐ生き物たちの姿を、藍型を基調とした布に躍動感をもって表現したものです。伝統の技法を守りつつ、そこに自分なりの視点や工夫を重ねることで、新しい紅型の可能性を切り拓きたいという思いが込められています。こうした活動を通して、紅型が沖縄の誇る伝統工芸であるだけでなく、日本、そして世界に発信できるアートであると感じています。

20代の頃にはアジア各地を巡り、2003年から2年間はインドネシア・ジョグジャカルタでバティック(ろうけつ染)を学びました。現地での生活や工芸の現場を通して、異文化の技術や感性にふれ、自分自身の紅型への向き合い方にも大きな影響を受けました。伝統を守るだけでなく、常に新しい刺激や発見を大切にしています。

最近では、「ポケモン×工芸展―美とわざの大発見―」など、世界を巡回する企画展にも参加する機会が増えてきました。紅型の技法でポケモンを表現するというチャレンジは、私自身にとっても大きな刺激となりましたし、沖縄の紅型が海外のお客様にも響く可能性を感じています。

メディアにも多く取り上げていただくようになりました。テレビや新聞、ウェブメディアで工房の日常や制作現場が紹介されるたびに、「300年前と変わらない手仕事」に込めた想いを、多くの方に伝えたいと強く思います。