ふだんの工房を、そのままに【工房時間】
2026.10.12
皆さん、こんにちは。
先日、アジア・ソサエティの皆さんが、工房に来てくださいました。 沖縄をめぐるアートの旅の一つとして、城間びんがた工房を訪ねてくださったのです。今日は、そのときの様子と、それを通して私が感じたこと、そしてこれからのことを、少し長くなりますが、書いてみたいと思います。





アジア・ソサエティというのは、1956年に、アメリカのジョン・D・ロックフェラー3世さんが立ち上げた団体です。アジアの文化や歴史を、世界の人たちに伝えていく活動を、長く続けておられます。今回お越しくださったのも、世界のいろいろな場所で活躍されている方々でした。
正直に言いますと、お話をいただいたときは、本当にありがたいという気持ちと、少し緊張する気持ちが、半分ずつありました。沖縄の小さな島の、さらに小さな工房に、そんな皆さんが来てくださる。何を見ていただけばいいのだろう、どんなお話をすればいいのだろう、と、前の日までずっと考えていました。
考えているうちに、私の中で、一つだけはっきりしてきたことがありました。それは、「特別なものを用意するのは、やめよう」ということです。
外から大切なお客さんがいらっしゃるとなると、つい、きれいに飾りたくなります。作品を並べて、説明の言葉も、きちんと整えて。それは、おもてなしの気持ちとして、悪いことではないと思います。けれど、私たちの本当の仕事は、完成した作品だけではなく、その作品ができるまでの、毎日の、地味で静かな時間のほうにあります。それなら、その時間を、そのまま見ていただくのがいちばんいい。そう決めて、当日を迎えました。
紅型の仕事は、大きく七つの工程に分けて考えています。図案を描くこと、型紙を彫ること、糊を置くこと、色を差すこと、隈取りをすること、地を染めること、そして水で洗うこと。どれか一つが欠けても、一枚の布にはなりません。工房の中では、それぞれの工程を、それぞれの職人が、静かに手を動かしながら進めています。


当日は、そのふだんの工房の中を、皆さんにご覧いただきました。 型紙のこと、糊のこと、色のこと。琉球の歴史のことも、少しお話ししました。紅型は、琉球王国の時代から続いてきた染物で、私たち城間家は、紅型三宗家と呼ばれる家の一つです。祖父の栄喜が、戦後の何もない時代に、ゼロから紅型を立て直し、父の栄順がそれを受け継いで、技術として磨き上げてきました。私は、その十六代目として、今、工房を預かっています。そんな話をしながら、皆さんと一緒に、工房の中を歩きました。
皆さんは、とても熱心に、一つひとつを見てくださいました。 型紙が並んでいる棚、色を溶く道具、隈取りの筆、窓から入ってくる沖縄の光。私たちにとっては、あまりにも当たり前で、特別だと思ったこともないものを、一つずつ、じっと見てくださる。その姿を見ているうちに、私のほうが、「ああ、自分たちの毎日は、こんなふうに見えるのか」と、あらためて気づかされるような気持ちになりました。



アジア・ソサエティの皆さんは、旅の中で、その土地の人たちと、直接話をして、ご縁をつないでいくことを、大切にされているそうです。実際、お話しさせていただいていても、「見学」というより、「出会い」に近いような時間でした。作る側と見る側という境目が、だんだんやわらかくなっていって、同じ場所で、同じものを一緒に見ているような、そんな不思議な感覚がありました。
私が、いちばん嬉しかったのは、特別に用意した場所ではなく、ふだんのままのものづくりの現場を、そのまま見ていただけたことです。 これは、本当に正直な気持ちです。私たちが、いちばん届けたかったのは、完成した作品の美しさだけではなく、その手前にある、毎日の静かな時間だったからです。図案を描いて、型紙を彫って、糊を置いて、色を差す。毎日、同じように始まって、同じように終わっていく。そんな、派手なことの起きない日々の積み重ねが、紅型を支えているのだと、私は思っています。

そして、そのことを、遠くから来てくださった方々の目を通して、あらためて確かめさせていただいたような気がします。
皆さんが静かに工房を見ている姿を、少し離れたところから眺めていたとき、ふと、祖父のことを思い出しました。 祖父は、私が小学校三年生のときに亡くなりました。私が生まれたときには、もう現役を退いていて、工房の少し下にある家で、静かに暮らしていました。それでも、ときどき、ふらっと工房に顔を出すのです。出入り口のところに、ちょこんと腰をおろして、みんなが手を動かしている様子を、何も言わずに、ただ眺めている。私の記憶にある祖父は、だいたいそんな姿です。 子どもの頃は、あれが何をしていたのか、よくわかりませんでした。けれど今回、遠くから来てくださった方々が、ふだんの工房を静かに見ている姿を見て、あの「眺める時間」と、どこか重なるものを感じました。何かを評価しに来たわけでも、口を出しに来たわけでもなく、ただ、そこで毎日続いているものを、静かに見ている。見ていただくということには、そういう力があるのかもしれません。
ここで、少しだけ、昔の話をさせてください。 紅型の基本の作り方は、琉球の時代から、大きく変わらずに続いてきました。もちろん、道具や材料には、少しずつ変わってきたところもあります。でも、型紙を使って糊を置き、色を差し、隈取りをして染めるという、根っこの部分は、今も同じです。途中には、戦争もありました。ものづくりを続けることが、とても難しかった時代にも、誰かが、どこかで、この仕事を絶やさずにつないでくださった。そのおかげで、今の私たちは、同じやり方で、同じ工程を重ねることができています。
今、工房には、二十代から七十代まで、いろいろな世代の職人がいます。同じ作業台で、年齢の違う人たちが、それぞれのやり方で、手を動かしています。若い人の手の速さと、長く続けてきた人の手の静けさ。そのどちらも、紅型の大切な一部です。そして、父は今年、九十三歳になりましたが、今でも、ほとんど変わらないリズムで、工房で仕事を続けています。三世代、四世代にわたる時間が、一つの工房の中で、同時に流れている。皆さんが見てくださったのは、そういう景色だったのかもしれません。

琉球は、昔から、海を渡って、いろいろな国と行き来してきた島です。中国や日本、東南アジアとの交易の中で、さまざまな文様や技法が、この島に流れ着き、混ざり合って、紅型が育ちました。そんな島の布が、時を経て、また海の向こうの方々の目に触れる。そのことを思うと、不思議で、ありがたくて、胸があたたかくなります。これは、私一人の力ではなく、祖父や父の代から積み重ねてきた時間と、今ここで手を動かしている職人みんなの時間が、一緒になって、遠くまで届いたものだと思います。
考えてみると、紅型の一枚には、ものすごく長い時間が入っています。図案を考える時間、型紙を彫る時間、糊が乾くのを待つ時間、色を重ねる時間。そして、その手前には、竹を探しに行った日や、藍を仕込んだ日、道具を手入れした日が、静かに積み重なっています。早く、たくさん、が求められることの多い今の時代ですが、ゆっくり育った竹が、いい筆になるように、ゆっくり重ねた時間が、いい布になる。私はそう思っています。そして、その時間の重なりに、遠くの方が目を向けてくださったことが、何よりも嬉しかったのです。
さて、これからのことも、少し書いておきたいと思います。 今回の出来事を通して、私が強く感じたのは、「作品だけを見せるのではなく、作品の手前にあるものも、少しずつ伝えていきたい」ということです。道具のこと、材料のこと、職人の毎日のこと。たとえば、隈取りに使う筆は、竹と髪の毛でできていて、どちらも沖縄の島の中で調達しています。今年のはじめには、父と一緒に、その竹を取りに行きました。そういう、見えにくいけれど大切な時間を、これからも、少しずつ、お伝えしていきたいと思っています。


それから、次の世代のことです。 紅型は、百年先にも、必要とされるものであってほしい。そのために、私にできることは、特別なことではなく、今日の一枚を、ていねいに仕上げること、そして、工房の若い職人たちが、安心して、手を動かし続けられる場所を整えることだと思っています。派手なことは、きっとできません。でも、毎日を、静かに積み重ねていくことなら、続けていけます。
この工房の毎日が、何十年も、何百年も先まで続いていくかどうかは、正直に言うと、私にもわかりません。今日、明日、三年後、十年後、そして百年後。それぞれの時間の先に、どんな工房があるのか、思い描くのは難しいことです。けれど、百年後の誰かが、ふとどこかで紅型の布に触れて、懐かしいような、初めてのような気持ちになる瞬間があるとしたら、それは、こうした静かな毎日が、どこかで続いていた証拠なのだと思います。その続きを、私たちは、今日も、いつも通りにつくっていきたいのです。
今回、アジア・ソサエティの皆さんに、ふだんのままの工房を見ていただけたことは、その気持ちを、そっと後押ししていただいたような出来事でした。特別な日よりも、ふだんの日を大切にしよう。そう、あらためて思わせていただきました。
最後になりましたが、遠くから足を運んでくださったアジア・ソサエティの皆さん、本当にありがとうございました。 そして、いつもこのホームページを見てくださっている皆さん、これまで応援してくださった皆さんにも、あらためて、感謝をお伝えしたいと思います。こうして今日まで続けてこられたのは、遠くから静かに見守ってくださっている、皆さんのおかげです。
これからも、工房の毎日を、少しずつ、お伝えしていきます。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
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城間栄市プロフィール
紅型に、時間と祈りを宿す
私は紅型を、単なる染色技法ではなく、
沖縄という土地で積み重ねられてきた時間や祈り、
そして暮らしの感覚を受け止める「文化の器」だと捉えています。
布に色を置くという行為の奥には、
自然へのまなざし、人への想い、
そして生き方そのものが静かに重なっています。
その感覚を、できるだけ正直に、今の時代の言葉と形で手渡していくこと。
それが、私が紅型と向き合い続ける理由です。

生い立ちと紅型との距離
1977年、沖縄県生まれ。
城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育ちました。
幼い頃から、工房は日常の延長線上にありました。
染料の匂い、布を干す風景、
職人たちの背中や交わされる何気ない会話。
それらは特別なものというより、生活の一部として、自然に身の回りにありました。
本格的に工房に入り、父のもとで修行を始めたのは、
沖縄県芸術祭「沖展」への初入選をきっかけとしています。
紅型を「受け継ぐもの」としてではなく、
自分自身の人生として引き受ける覚悟が、
そのとき初めて定まったように思います。
平成24年(2012年)
第47回 西部伝統工芸展 福岡市長賞
平成25年(2013年)
沖展 正会員推挙
平成26年(2014年)
第49回 西部伝統工芸展 奨励賞
城間びんがた工房 十六代継承
平成27年(2015年)
第62回 日本伝統工芸展 新人賞受賞
日本工芸会 正会員推挙
令和3年(2021年)
第56回 西部伝統工芸展 沖縄タイムス社賞
令和4年(2022年)
MOA美術館 岡田茂吉賞 大賞
令和5年(2023年)
第58回 西部伝統工芸展 西部支部長賞
「ポケモン×工芸展」出展
文化庁「日中韓芸術祭」出展
令和6年(2024年)
文化庁「技を極める」展 出展
令和7年(2025年)
「ポケモン×工芸展」全国巡回展(滋賀・静岡・東京・愛知・青森・長崎)
令和8年(2026年)
国際交流基金に作品が買い上げられる。
同作品は国際文化交流事業の一環として、
世界22か国のジャパンハウスを巡回予定。琉球紅型訪問着「雲を読む」
外の世界で学んだこと
2003年からの約2年間、
インドネシア・ジョグジャカルタに滞在し、
バティック(ろうけつ染)を学びました。
異なる気候、異なる宗教観、異なる生活のリズム。
その中で工芸がどのように根づき、人々の暮らしと結びついているのかを、
現地での生活を通して体感しました。
この経験は、
「伝統を守ること」と「変化を受け入れること」は、
決して相反するものではない、
という確信を私にもたらしました。
受賞・出展についての考え方
これまで、沖展、日本工芸会、西部伝統工芸展、
MOA美術館岡田茂吉賞など、
いくつかの評価や賞をいただいてきました。
また、文化庁主催の展覧会や、
「ポケモン工芸展」など、国内外に向けた企画展にも参加する機会を得ています。
こうした節目を迎えるたびに、
私自身の評価以上に、
紅型という存在を知ってもらう機会が広がっていくことに、
大きな喜びを感じています。
一つの作品が、
「沖縄にはこういう染め物があるのですね」
という小さな気づきにつながる。
その積み重ねこそが、紅型の未来を静かに支えていくのだと感じています。
制作について
制作では、伝統的な技法を大切にしながらも、
その時代、その感覚にしか生まれない表現を探り続けています。
代表作の一つである紅型着物《波の歌》では、
沖縄の海を泳ぐ生き物たちの姿を、
藍色を基調に、リズムと奥行きを意識して表現しました。
新しさを声高に主張するのではなく、
布に触れた人が、
どこか懐かしさや安心感を覚えるような仕事を目指しています。
今、そしてこれから
現在は、
城間びんがた工房十六代代表として制作を行いながら、
日本工芸会正会員、沖展染色部門審査員、
沖縄県立芸術大学非常勤講師としても活動しています。
これらの役割もまた、
紅型を「閉じた世界」に留めず、
次の世代や、まだ出会っていない人たちへと
静かにつないでいくための一つの手段だと考えています。
これからも、
展覧会やさまざまな協働を通して、
紅型という文化に触れる“入り口”を、少しずつ増やしていきたい。
それは広げるためというより、
必要な場所に、必要なかたちで、そっと灯りを置いていく
そんな感覚に近いものです。
おわりに
公式ホームページでは、
紅型の歴史や背景、制作に込めた考えを、
少し丁寧に言葉にして残しています。
Instagramでは、
職人の日常や工房の空気、
沖縄の光や緑の中で息づく紅型の表情を、
より身近な距離感でお伝えしています。
どちらも、紅型を「特別なもの」にするためではなく、
今を生きる私たちの暮らしと、
静かにつながる存在として感じていただくためのものです。
この場所を訪れてくださったことが、
紅型との、ささやかな出会いとなれば幸いです。

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