ニライカナイからの手紙【工房時間】

皆さんこんにちは。

紅型を通して、琉球の文化が少しずつ外へと広がっていくこと。
そしてその営みが、皆さんの好奇心によって支えられていることに、
改めて深く感謝しています。

沖縄に、あの湿り気を帯びた季節が訪れると、
なぜか心が少し高鳴ります。

風の中に含まれる水分、
土の匂い、
海からの気配。

それらが重なったとき、
自分の中にある何かが静かに動き出すのです。


沖縄には「ニライカナイ」という言葉があります。

海の彼方、遥か遠くにある理想郷。
神々の住まう場所であり、
豊かさや生命がやってくる源とも言われています。

けれど私にとってその言葉は、
どこかもっと現実的な感覚を伴っています。

海の向こうには、
まだ出会っていない友人たちがいる。

同じように手を動かし、
同じように何かをつくり、
同じように迷いながらも続けている人たちがいる。

そんな感覚です。


子どもの頃から、
私はよく海を眺めていました。

波の動きや、
光の反射を見ながら、

その先に何があるのかを想像する。

そこには、知らない言葉があり、
知らない暮らしがあり、
そしてまだ見ぬ誰かがいる。

そのことを想像するだけで、
なぜか身体の奥が熱くなるような感覚がありました。

それは興奮なのか、
衝動なのか、

今でもうまく言葉にはできません。


実際に、テトラポットの上に立ちながら、
海を見つめて図案を考えたことも何度もあります。

波のリズムや、
風の流れの中に、

形や色のヒントがあるように感じていました。


そして不思議なことに、
その海の向こうには、

すでに知っているような人たちがいる気がしていたのです。

言葉が通じなくても、
笑顔や仕草で通じ合える人たち。

冗談を言い合いながら、
一緒に笑えるような存在。

それが実際の記憶なのか、
身体に刻まれた記憶なのかは分かりません。

それでも、

「向こうにも仲間がいる」

そう感じることが、
いつも自分を前に進ませてきました。


先日、その感覚が現実のものとなる出来事がありました。

台湾から、工芸に携わる皆さんが
工房を訪ねてくださったのです。

彼らは、型染めや藍染めなど、
日々手を動かしながら制作を続けている作家であり、
またその活動を支える立場の方々でもありました。


私たちの工房は、
普段は見学を受け入れていません。

それは、
工房を観光地のような場所にしたくないという思いがあるからです。

ここは、あくまでも
日々手を動かし続ける場所であり、
静かにものづくりが行われる場所でありたいと考えています。


しかし今回のように、
工芸に深く関わり、
同じような視点や熱量を持った方々が訪れてくださることは、

私たちにとって、
何にも代えがたい喜びです。


型紙を見て驚き、
色を見て声を上げ、
工程の一つ一つに興味を持ってくださる。

その姿を見ていると、

「ああ、やはり向こうにも同じ感覚の人たちがいたのだ」

と、どこか懐かしい気持ちになりました。


少し離れた場所で、
布のこと、
技術のこと、
柄の意味について話す時間もありました。

言葉が完全に通じなくても、
そこには確かな理解と共鳴がありました。


海の向こうにいたはずの友人たちが、
実際に目の前に現れる。

そしてまた、
それぞれの場所へ帰っていく。


けれど、もう遠い存在ではありません。

これから先、
少しずつ、ゆっくりと、

つながりは続いていくはずです。


琉球の文化は、
閉じることで守られてきたものではなく、

海を越えて、
人と人との間を行き来しながら、
育まれてきたものなのかもしれません。


だからこそ今、

私たちはまた、
海の向こうへと目を向けながら、

同時に、足元の手仕事を
丁寧に続けていく必要があります。

そしてその関係は、
これからも、ゆっくりと続いていきます。


あの日、工房に来てくださった皆さんとの時間は、

過去と現在、
そしてこれからの未来が、

静かに結び直されるような時間でした。


海の向こうには、
やはり友人たちがいました。

城間栄市プロフィール 

紅型に、時間と祈りを宿す

私は紅型を、単なる染色技法ではなく、
沖縄という土地で積み重ねられてきた時間や祈り、
そして暮らしの感覚を受け止める「文化の器」だと捉えています。

布に色を置くという行為の奥には、
自然へのまなざし、人への想い、
そして生き方そのものが静かに重なっています。
その感覚を、できるだけ正直に、今の時代の言葉と形で手渡していくこと。
それが、私が紅型と向き合い続ける理由です。


生い立ちと紅型との距離

1977年、沖縄県生まれ。
城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育ちました。

幼い頃から、工房は日常の延長線上にありました。
染料の匂い、布を干す風景、
職人たちの背中や交わされる何気ない会話。
それらは特別なものというより、生活の一部として、自然に身の回りにありました。

本格的に工房に入り、父のもとで修行を始めたのは、
沖縄県芸術祭「沖展」への初入選をきっかけとしています。
紅型を「受け継ぐもの」としてではなく、
自分自身の人生として引き受ける覚悟が、
そのとき初めて定まったように思います。


外の世界で学んだこと

2003年からの約2年間、
インドネシア・ジョグジャカルタに滞在し、
バティック(ろうけつ染)を学びました。

異なる気候、異なる宗教観、異なる生活のリズム。
その中で工芸がどのように根づき、人々の暮らしと結びついているのかを、
現地での生活を通して体感しました。

この経験は、
「伝統を守ること」と「変化を受け入れること」は、
決して相反するものではない、
という確信を私にもたらしました。


受賞・出展についての考え方

これまで、沖展、日本工芸会、西部伝統工芸展、
MOA美術館岡田茂吉賞など、
いくつかの評価や賞をいただいてきました。
また、文化庁主催の展覧会や、
「ポケモン工芸展」など、国内外に向けた企画展にも参加する機会を得ています。

こうした節目を迎えるたびに、
私自身の評価以上に、
紅型という存在を知ってもらう機会が広がっていくことに、
大きな喜びを感じています。

一つの作品が、
「沖縄にはこういう染め物があるのですね」
という小さな気づきにつながる。
その積み重ねこそが、紅型の未来を静かに支えていくのだと感じています。


制作について

制作では、伝統的な技法を大切にしながらも、
その時代、その感覚にしか生まれない表現を探り続けています。

代表作の一つである紅型着物《波の歌》では、
沖縄の海を泳ぐ生き物たちの姿を、
藍色を基調に、リズムと奥行きを意識して表現しました。

新しさを声高に主張するのではなく、
布に触れた人が、
どこか懐かしさや安心感を覚えるような仕事を目指しています。


今、そしてこれから

現在は、
城間びんがた工房十六代代表として制作を行いながら、
日本工芸会正会員、沖展染色部門審査員、
沖縄県立芸術大学非常勤講師としても活動しています。

これらの役割もまた、
紅型を「閉じた世界」に留めず、
次の世代や、まだ出会っていない人たちへと
静かにつないでいくための一つの手段だと考えています。

これからも、
展覧会やさまざまな協働を通して、
紅型という文化に触れる“入り口”を、少しずつ増やしていきたい。
それは広げるためというより、
必要な場所に、必要なかたちで、そっと灯りを置いていく
そんな感覚に近いものです。


おわりに

公式ホームページでは、
紅型の歴史や背景、制作に込めた考えを、
少し丁寧に言葉にして残しています。

Instagramでは、
職人の日常や工房の空気、
沖縄の光や緑の中で息づく紅型の表情を、
より身近な距離感でお伝えしています。

どちらも、紅型を「特別なもの」にするためではなく、
今を生きる私たちの暮らしと、
静かにつながる存在として感じていただくためのものです。

この場所を訪れてくださったことが、
紅型との、ささやかな出会いとなれば幸いです。

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