10年後も、音から始まる一日【工房時間】

10年後の朝から、いまを振り返って

10年後の未来から振り返ると、
あの頃の工房の朝の音は、今もはっきりと思い出せます。

沖縄では、季節にもよりますが、朝は7時前後からゆっくりと夜がほどけていきます。
まだはっきりと明るくなる前、空気の中に少しだけ湿り気が残り、
工房の中から「コツ、コツ」と準備を始める音が聞こえてくる。

刷毛を整える音。
布を広げる気配。
道具に触れる手の気配。

丘から見た朝日
大豆を一晩水につけてふやかしました
すり潰した大豆を濾しています

その音を聞きながら、私自身も一日の段取りを整え始めます。
今日は何を作ろうか。
今日はどんな課題に向き合うのだろうか。
工房の中では、どんな流れが生まれていくだろうか。

代表という立場上、考えることは多いけれど、
その背景には、**それぞれが自分の持ち場に集中し、
「どう丁寧に関わるか」「どう届けるか」**を静かに考えている仲間たちがいます。

一人ひとりの動きや音に、
私はいつも、心の中で感謝をしています。


若かった頃の私と、問いかけ

今から10年ほど前。
工房を引き継いで間もない頃の私は、とても張り切っていました。

紅型を前に進める。
型紙の精度を上げる。
配色をより情緒的に、現代の感覚に近づける。
県外の産地と肩を並べられるレベルまで引き上げる。

20代で作品活動を始め、
インドネシアに渡り、200人近い職人たちと混じり合いながらものづくりをし、
30人ほどの長屋で共同生活をした日々。
風呂もトイレも共有し、
毎晩、工芸や文化について語り合いながら、
「作る」という行為の奥深さを体で覚えてきました。

その経験もあり、35歳で工房を引き継いだ私は、
「もっと高めなければ」「更新し続けなければ」と、
どこかで力が入りすぎていたのだと思います。

そんな頃、沖縄の染色を愛してくれている一人の方から、
こう尋ねられました。

「城間さんは、これからどんなものづくりをしていきたいですか?」

私は熱を込めて、
技術の向上や表現の精度について語りました。

すると、その方は少し微笑んで、こう言ったのです。

「私は、城間さんの作品に、そういうことを一番には求めていません。」


沖縄の“時間”を作っている人たち

彼女は続けて、こんな話をしてくれました。

「沖縄のものに触れると、
時間が豊かに流れているのを感じます。
それが好きなんです。」

「東京で育つと、何もかもが早く、タイトに進んでいきます。
沖縄の人たちのものづくりの向き合い方は、
正直、最初は信じられないくらいでした。
でも、だからこそ、触れるたびに豊かな気持ちになるんです。」

その言葉は、今でも私の中に残っています。

技術でも、価格でも、完成度でもなく、
“人の時間”が、そのまま布に染み込んでいること。

それこそが、この工房の価値なのではないか。
私はそこから、長い時間をかけて考えるようになりました。


どれだけ長く、続けられるか

私の本当の願いは、とてもシンプルです。

朝起きて、
一日中ものづくりのことを考え、
夜になっても、また明日の仕事を思い浮かべる。

そんな日々を、
一日でも長く続けたい。

楽な仕事ではありません。
楽しいことばかりでもありません。
けれど、楽しむことはできる。

どうすれば、この仕事を続けられるのか。
どうすれば、仲間たちと一緒に、無理なく歩いていけるのか。

あの問いかけは、
私にとって、市場や評価以上に大きな課題を投げかけてくれました。


10年後に見える、工房のかたち

そして今、10年後の未来から振り返ると、
工房の姿はこうして語られています。

「ここは、誰か一人の作家の場所ではない。」

それぞれが、
それぞれの持ち場を持ち、
責任を持ち、
互いを信頼して手を動かしている。

前に出る人もいれば、
静かに支える人もいる。
言葉で語る人もいれば、
布と色だけで語る人もいる。

誰が偉いわけでもなく、
誰が欠けても成り立たない。

そんな関係性そのものが、
工房の美しさになっている。

今日も、音から一日が始まる

48歳になった今、
私は工房の中で、自分の持ち場に立っています。
最初のデザインを考え、型を彫り、
ものづくりの起点をつくるのは、今も私の役割です。

そこから先は、
仲間たちがそれぞれの工程で力を貸してくれます。
染め、色を差し、布を整え、仕上げていく。
誰かが欠けても成り立たない工程を、
それぞれが責任をもって受け持っています。

朝、工房に響く準備の音を聞くたびに、
「ああ、今日もいい一日が始まる」と思えるのです。

それは、
どんな人が、どんな関係性で、この布に関わっているかが、
すでに作品の一部になっているからだと思います。

この工房の布には、
技術だけが染み込んでいるのではありません。
人の時間があり、
互いを信じて委ね合う関係性があり、
日々の呼吸のようなリズムが、そのまま重なっています。

10年後もきっと、
朝は同じように静かに明け、
誰かの準備の音から、また一日が始まっているでしょう。

最初の一歩を踏み出す人がいて、
それを受け取り、広げ、支える人がいる。

それが、
私たちが目指してきたことであり、
これからも大切にしていきたい
**「美しいものづくりのかたち」**です。


琉花音 2025年沖展
目標を合わせることで 紋様が繋がっていきます

城間栄市プロフィール

紅型に、時間と祈りを宿す

私は紅型を、単なる染色技法ではなく、
沖縄という土地で積み重ねられてきた時間や祈り、
そして暮らしの感覚を受け止める「文化の器」だと捉えています。

布に色を置くという行為の奥には、
自然へのまなざし、人への想い、
そして生き方そのものが静かに重なっています。
その感覚を、できるだけ正直に、今の時代の言葉と形で手渡していくこと。
それが、私が紅型と向き合い続ける理由です。


 生い立ちと紅型との距離

1977年、沖縄県生まれ。
城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育ちました。

幼い頃から、工房は日常の延長線上にありました。
染料の匂い、布を干す風景、
職人たちの背中や交わされる何気ない会話。
それらは特別なものというより、生活の一部として、自然に身の回りにありました。

本格的に工房に入り、父のもとで修行を始めたのは、
沖縄県芸術祭「沖展」への初入選をきっかけとしています。
紅型を「受け継ぐもの」としてではなく、
自分自身の人生として引き受ける覚悟が、
そのとき初めて定まったように思います。


外の世界で学んだこと

2003年からの約2年間、
インドネシア・ジョグジャカルタに滞在し、
バティック(ろうけつ染)を学びました。

異なる気候、異なる宗教観、異なる生活のリズム。
その中で工芸がどのように根づき、人々の暮らしと結びついているのかを、
現地での生活を通して体感しました。

この経験は、
「伝統を守ること」と「変化を受け入れること」は、
決して相反するものではない、
という確信を私にもたらしました。


受賞・出展についての考え方

これまで、沖展、日本工芸会、西部伝統工芸展、
MOA美術館岡田茂吉賞など、
いくつかの評価や賞をいただいてきました。
また、文化庁主催の展覧会や、
「ポケモン工芸展」など、国内外に向けた企画展にも参加する機会を得ています。

こうした節目を迎えるたびに、
私自身の評価以上に、
紅型という存在を知ってもらう機会が広がっていくことに、
大きな喜びを感じています。

一つの作品が、
「沖縄にはこういう染め物があるのですね」
という小さな気づきにつながる。
その積み重ねこそが、紅型の未来を静かに支えていくのだと感じています。


制作について

制作では、伝統的な技法を大切にしながらも、
その時代、その感覚にしか生まれない表現を探り続けています。

代表作の一つである紅型着物《波の歌》では、
沖縄の海を泳ぐ生き物たちの姿を、
藍色を基調に、リズムと奥行きを意識して表現しました。

新しさを声高に主張するのではなく、
布に触れた人が、
どこか懐かしさや安心感を覚えるような仕事を目指しています。


今、そしてこれから

現在は、
城間びんがた工房十六代代表として制作を行いながら、
日本工芸会正会員、沖展染色部門審査員、
沖縄県立芸術大学非常勤講師としても活動しています。

これらの役割もまた、
紅型を「閉じた世界」に留めず、
次の世代や、まだ出会っていない人たちへと
静かにつないでいくための一つの手段だと考えています。

これからも、
展覧会やさまざまな協働を通して、
紅型という文化に触れる“入り口”を、少しずつ増やしていきたい。
それは広げるためというより、
必要な場所に、必要なかたちで、そっと灯りを置いていく
そんな感覚に近いものです。


おわりに

公式ホームページでは、
紅型の歴史や背景、制作に込めた考えを、
少し丁寧に言葉にして残しています。

Instagramでは、
職人の日常や工房の空気、
沖縄の光や緑の中で息づく紅型の表情を、
より身近な距離感でお伝えしています。

どちらも、紅型を「特別なもの」にするためではなく、
今を生きる私たちの暮らしと、
静かにつながる存在として感じていただくためのものです。

この場所を訪れてくださったことが、
紅型との、ささやかな出会いとなれば幸いです。

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