手が安心して動ける場所【工房時間】
2026.08.26
未来10年の工房
― 文化が、耕す未来へ。 ―
皆さん、こんにちは。
台風が過ぎていく途中で、まだ風は強く吹いています。それでも、工房の仕事は今日から始めました。
紅型を通して、琉球の文化がいろんな人に伝わっていくこと。これは本当にありがたいことだと、いつも思っています。皆さんが興味を持ってくれることが、私たちが毎日がんばる力になっています。ありがとうございます。



今日は少し、これからのことをお話しします。私たちは今、2027年からどうしていくかを、あらためて考えているところです。今日はその話を、皆さんにも聞いてもらいたいと思います。
タイトルは「未来10年の工房」です。2036年、つまり今から10年後に、どんな工房でありたいか。それを考えながら、これからの道すじを決めています。
その前に、少しだけ、正直な話をさせてください。
この14年間、工房を続けてくる中で、私はずっと自分に問い続けてきたことがあります。「工芸は、仕事なのか、趣味なのか。」「工芸は、胸を張れる仕事なのか。」かっこよく答えられることではないのですが、私はこの問いから逃げずに、ずっと向き合ってきたつもりです。
工房のオーナーであり、作家でもある私は、いつも自分自身と向き合わなければいけません。作家としての自分。職人としての自分。そして、経営者としての自分。あまり見たくない自分の姿を、見てしまう時間も、たくさんありました。
特に経営者としては、この14年間、ずっと自分の未熟さを突きつけられてきたように思います。正直に言うと、私はまだ一度も、「経営者として、かっこいい自分」を経験したことがありません。
それでも、この問いに向き合い続けることが、工房を続けていくということなのだと、今は思っています。今日お話しすることも、その問いの延長線上にあるものです。
はじめに、私たちがどこから来たのか、という話から始めます。
工房には、3人の思いが積み重なっています。祖父・栄喜は、戦争が終わったあと、何もない時代に、ゼロから紅型を作り、なくならないように守りました。父・栄順は、道具をそろえ、腕を磨き、琉球の職人という立場を、作家として認められる場所まで引き上げました。そして私、栄市の代では、受け継いだ思いに、これからも続いていくための考え方をくっつけて、文化がずっと続いていく仕組みを作りたいと思っています。



3人がやったことは、どちらが上でどちらが下、という話ではありません。それぞれの時代に、それぞれ必要な仕事があっただけです。何もない時代には、ゼロから何かを作る力が必要でした。技術が広まる時代には、それを磨いて、作家として認めてもらう力が必要でした。そして今、情報も技術もあふれる時代には、受け継いだものを、これからも続く仕組みに作り直す力が必要だと感じています。
私たちが受け継いだのは、染めの技術だけではありません。次の時代に渡していく責任も、一緒に受け取っているのだと思います。
伝統というものは、ただ守るだけのものではないと、私は考えています。守るだけだと、そこで時間が止まってしまいます。積み重ねていくことで、はじめて次の時代へ動き出せます。文化はしまっておくものではなく、未来の誰かが「これ、今でも必要だ」と思える形に、育て続けていくものだと思うのです。
少し前から、ずっと気になっていたことがあります。私たちは、この島で、素朴にものづくりを続けてきました。けれど、その紅型が、どんなふうに手に取られて、どんなふうに袖を通されて、身につけられているのか。そこまで強く意識したことが、実はあまりなかったように思います。
目の前の1枚に一生懸命になるあまり、その先にある景色を、あまり想像できていなかったのかもしれません。誰かが悪かったわけではなく、私たち自身が、そこまで意識を向けていなかっただけなのだと、今は感じています。だからこそ、これからは、実際に紅型が身につけられている姿を、もっと近くで見ていきたいと思うようになりました。
この数年で、世界は思っていた以上の速さで変わりました。コロナのときは、人と人との距離が、一度大きく離れてしまいました。AIが広がって、これまで人がやっていた作業や判断のやり方が、少しずつ変わってきています。SNSは、作る人と使う人を、間に誰も挟まずに、直接つなげるようになりました。それぞれの地域の文化が、国境を越えて広がる時代です。違いがあること自体が、価値になる時代でもあります。変化を止めることはできません。だからこそ、これから何を未来に残していくか、自分たちで選び直したいと思っています。
それでも、人にしかできない仕事は、なくならないと信じています。記録すること、計算すること、同じことをくり返すこと。これは、これからどんどん機械の力を借りられるようになるでしょう。けれど、感じること、美しさを見極めること、文化を考えて形にすること。これは、人にしかできない仕事です。人の時間を、人にしかできないことのために、もっと使っていきたいと思っています。
工房で大切にしたいのは、「1人が輝き、みんなが輝き、文化が輝く」という状態です。自分の役割をしっかり分かることは、自分らしさを消すことではありません。むしろ、その自分らしさを、工房全体につなげていくための、大事なポイントだと思っています。
これから目指したいのは、文化がぐるぐる回り続ける状態です。昔のことを研究し、腕を磨く時間があって、そこから新しい作品が生まれて、その仕事がまた次の人を育てていく。数字をゴールにするのではなく、そこからまた次の何かが生まれていく、その流れ全体を、1つの仕事だと考えたいのです。
1つの仕事が終わったら、そこで終わり。これまでは、そう考えがちだったように思います。けれど本当は、1枚の作品ができるまでの研究、それを支える人、その積み重ね。そのすべてが輪のようにつながっていて、次の仕事の土台になっています。この輪をちゃんと意識して回していくことが、これからの工房には必要だと考えるようになりました。
昔の柄や技術は、ただしまっておくためのものではありません。その仕組みを読み解いて、今の時代の表現につなげていくための、大事な材料です。琉球という土地が、昔アジアの国々をつなぐ場所だったように、私たちの技術も、これからの時代に合わせて、新しい形に変わっていっていいのだと思っています。
着物や帯だけでなく、部屋の中や建物、毎日の暮らしの道具、そして海の向こうにも、紅型という文化を運べる形があるはずです。何を売るかということより、どんな形なら、この文化を次の人に届けられるか。いつも、そちらを考えていたいと思っています。
実際に着てくださる方、研究している方、いろんな分野の方。それぞれが、一緒に文化を育てていく仲間なのだと、あらためて感じています。文化は、誰かのところに届いた瞬間に、また新しい物語を始めるものだからです。
正直に言うと、売上や利益のことを、ここで大きく語るつもりはありません。私が本当に悩んでいるのは、工房で働いてくれている職人たちが、これからも安心して仕事を続けられる環境を、どうやって守っていけるかということです。数字の話より先に、いつもそのことを考えています。
2036年、10年後には、工房で働く1人ひとりが、「私は文化をつないでいる」と言えるようになっていてほしいと思っています。それは、誰か1人の才能だけによるものではありません。昔のことを研究する人、技術を深める人、新しい表現を生み出す人、質を守る人、人に伝える人、世界に届ける人、経営を支える人。それぞれ違う人たちが、同じ1つの流れの中で、それぞれ輝いている。その状態こそが、私たちが次の時代に残したいものです。
これは、大きな目標や、達成しなければいけない数字ではありません。むしろ、毎日の当たり前の状態として、そこにあってほしいと思っています。誰か特別な1人が引っぱっていく工房ではなく、それぞれが自分の場所で、自分にしかできない役割を見つけられている。そんな、静かでたしかな毎日を、10年かけて作っていきたいのです。
2027年は、この考えを、実際に形にしていく最初の1年になります。お金の流れや、誰が何に責任を持つかを、はっきり見えるようにすること。人と役割については、誰がどこを担当するか、どう育てていくかを、はっきりさせること。昔のことや技術の研究については、時間が余ったらやることではなく、これからの仕事を生み出すための、ちゃんとした時間として考えること。
ものづくりについては、質と創作を、毎日の作業にしっかりつなげていくこと。人とのつながりについては、実際に使ってくださる方の声が、私たちのところにちゃんと届く仕組みを作ること。そして文化を伝えることについては、発信や海外、いろんな分野に向けて、紅型の意味をきちんと届けていくこと。この6つを土台に、少しずつ動き始めていきたいと考えています。
私たちは、紅型という技術そのものを、ただ残そうとしているわけではありません。紅型が、これから先の時代にも、必要とされ続ける未来を作っていきたいのです。そして何より、ここで働く一人ひとりが、安心して、誇りを持って手を動かし続けられる場所であってほしいと願っています。
台風のあとの、少し湿った空気の中で、今日も工房では、静かに手が動き始めています。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。これからの10年も、どうぞ一緒に見守ってもらえたら嬉しいです。
城間栄市プロフィール
紅型に、時間と祈りを宿す
私は紅型を、単なる染色技法ではなく、
沖縄という土地で積み重ねられてきた時間や祈り、
そして暮らしの感覚を受け止める「文化の器」だと捉えています。
布に色を置くという行為の奥には、
自然へのまなざし、人への想い、
そして生き方そのものが静かに重なっています。
その感覚を、できるだけ正直に、今の時代の言葉と形で手渡していくこと。
それが、私が紅型と向き合い続ける理由です。

生い立ちと紅型との距離
1977年、沖縄県生まれ。
城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育ちました。
幼い頃から、工房は日常の延長線上にありました。
染料の匂い、布を干す風景、
職人たちの背中や交わされる何気ない会話。
それらは特別なものというより、生活の一部として、自然に身の回りにありました。
本格的に工房に入り、父のもとで修行を始めたのは、
沖縄県芸術祭「沖展」への初入選をきっかけとしています。
紅型を「受け継ぐもの」としてではなく、
自分自身の人生として引き受ける覚悟が、
そのとき初めて定まったように思います。
外の世界で学んだこと
2003年からの約2年間、
インドネシア・ジョグジャカルタに滞在し、
バティック(ろうけつ染)を学びました。
異なる気候、異なる宗教観、異なる生活のリズム。
その中で工芸がどのように根づき、人々の暮らしと結びついているのかを、
現地での生活を通して体感しました。
この経験は、
「伝統を守ること」と「変化を受け入れること」は、
決して相反するものではない、
という確信を私にもたらしました。
受賞・出展についての考え方
これまで、沖展、日本工芸会、西部伝統工芸展、
MOA美術館岡田茂吉賞など、
いくつかの評価や賞をいただいてきました。
また、文化庁主催の展覧会や、
「ポケモン工芸展」など、国内外に向けた企画展にも参加する機会を得ています。
こうした節目を迎えるたびに、
私自身の評価以上に、
紅型という存在を知ってもらう機会が広がっていくことに、
大きな喜びを感じています。
一つの作品が、
「沖縄にはこういう染め物があるのですね」
という小さな気づきにつながる。
その積み重ねこそが、紅型の未来を静かに支えていくのだと感じています。
制作について
制作では、伝統的な技法を大切にしながらも、
その時代、その感覚にしか生まれない表現を探り続けています。
代表作の一つである紅型着物《波の歌》では、
沖縄の海を泳ぐ生き物たちの姿を、
藍色を基調に、リズムと奥行きを意識して表現しました。
新しさを声高に主張するのではなく、
布に触れた人が、
どこか懐かしさや安心感を覚えるような仕事を目指しています。
今、そしてこれから
現在は、
城間びんがた工房十六代代表として制作を行いながら、
日本工芸会正会員、沖展染色部門審査員、
沖縄県立芸術大学非常勤講師としても活動しています。
これらの役割もまた、
紅型を「閉じた世界」に留めず、
次の世代や、まだ出会っていない人たちへと
静かにつないでいくための一つの手段だと考えています。
これからも、
展覧会やさまざまな協働を通して、
紅型という文化に触れる“入り口”を、少しずつ増やしていきたい。
それは広げるためというより、
必要な場所に、必要なかたちで、そっと灯りを置いていく
そんな感覚に近いものです。
おわりに
公式ホームページでは、
紅型の歴史や背景、制作に込めた考えを、
少し丁寧に言葉にして残しています。
Instagramでは、
職人の日常や工房の空気、
沖縄の光や緑の中で息づく紅型の表情を、
より身近な距離感でお伝えしています。
どちらも、紅型を「特別なもの」にするためではなく、
今を生きる私たちの暮らしと、
静かにつながる存在として感じていただくためのものです。
この場所を訪れてくださったことが、
紅型との、ささやかな出会いとなれば幸いです。

LINE公式 https://line.me/R/ti/p/@275zrjgg
