第二の始まり ― 初代ハンカチから40年後
2025.08.28
好きなことを形にできる喜び
好きなことを形にできる喜び
自分の好きなものや、心から興味を持てることを形にできる仕事を持てるというのは、本当にありがたいことです。私は「城間びんがた工房」の16代目として、沖縄・琉球に受け継がれてきた紅型を守り、育てています。
長い歴史の中で、多くの方に紅型を知っていただき、支えていただいたことに感謝の気持ちでいっぱいです。
ただ一方で、正直に言えば、まだまだ紅型は若い世代――特に10代や20代の方々には十分に知られていないと感じています。「どうしたらもっと知ってもらえるのだろう?」と日々考えながら、新しい挑戦を続けています。
新しいご縁から生まれたプロジェクト
そんな中で、今回とても面白いご縁をいただきました。沖縄の先輩で、現在は北九州のネスレ営業部にいらっしゃる方からお声がけいただき、アップサイクル財団さんの企画に参加させていただけることになったのです。
「紅型をどう広めていくか」という課題に向き合いながら、このプロジェクトはまさに新しい扉を開くものでした。
紅型の原点 ― 祖父と父の物語
紅型や沖縄のものづくりは、単なる生活の糧としてではなく、「琉球の誇りを守りたい」という強い思いから始まっています。
私の祖父は終戦直後、すべてを失った焦土の中で「琉球の誇りを絶やさない」という決意を胸に紅型を再興しました。祖父にとって紅型は文化を守るための祈りであり、その心は今も工房に息づいています。
そして、父の時代。40年前のことです。当時、紅型はまだ知名度が低く、「どうやったら多くの人に知ってもらえるか」と父は悩みました。そこで、シルクスクリーンという技術を使って量産できる紅型ハンカチをつくったのです。
このハンカチは紅型を知ってもらう入り口として広がり、40年経った今でも、多くの方に愛され続けています。振り返れば、それは「知ってもらうための工夫」であり、伝統工芸を知ってもらうための大きな一歩でした。


今回のアップサイクル企画について
今回のプロジェクトでは、ネスレのコーヒーパックを再利用した特別な紙が使われています。25%が再生素材でできており、その質感は温かみがあり、紅型の色彩をプリントすることで独自の魅力が生まれました。
紅型の原画をデータ化して印刷した製品は、これまで工芸品に触れる機会が少なかった方々にも気軽に手に取っていただけるアイテムとなりました。「紅型って初めて見た!」という方にとっても、沖縄や紅型の魅力を知る入り口になればと願っています。
SDGsとのつながり
この取り組みは、現代の大きな課題である「持続可能性」への挑戦でもあります。特にSDGsの8番「働きがいも経済成長も」、11番「住み続けられるまちづくりを」、12番「つくる責任つかう責任」、13番「気候変動に具体的な対策を」といった目標に関わるものです。
紅型の伝統は「資源を大切に使いながら、美しいものを生み出す」という精神に支えられてきました。このアップサイクルの試みは、その精神を現代の形に合わせて再び示すものだと考えています。
特にヨーロッパを中心とした海外では、サステナブルなものづくりへの関心が高まっています。沖縄の島々が持つ独自の文化や工芸を、環境への配慮と共に伝えることは、海外の方々にも深く響くはずです。
未来への希望
今回の企画は、私にとって「第二弾」とも言える取り組みです。40年前に父が挑戦した「知ってもらうための紅型ハンカチ」と同じように、「知ってもらうための新しい入口」をつくるものだからです。
紅型をまだ知らない人に伝えること。
沖縄や琉球の誇りを次の世代へ残すこと。
そして、サステナブルな視点から世界へ広げていくこと。
そのどれもが、この工房が歩むべき道だと思っています。紅型は、沖縄の海や風や人々の物語を色と形に込めてきました。このアップサイクル企画もまた、新しい「紅型の物語」の始まりです。
どうぞこの一枚を手に取っていただき、沖縄の文化と未来を一緒に感じていただけたら幸いです。
自分自身が感じたこと
この取り組みを通じて、改めて「持続可能性」という言葉について考えさせられました。正直なところ、これまでの私はSDGsというものを、どこか遠い世界の高尚な取り組みのように感じていました。
私自身は常に、「どうやって明日へつなげるか」「どうやって来年へ受け渡すか」という気持ちで工芸に向き合ってきました。祖父の時代には戦争で全てを失い、工房も家も焼け落ち、そこからゼロの状態で再出発しました。さらに50年前、本土復帰の時代には、父が民族衣装から着物の世界への挑戦を始めました。紅型はいつも復興と挑戦の中で生き延びてきたのです。
ですから、「持続可能性」とは日々の現場で必死にものづくりを続けてきた私たちにとって、あまりに当たり前すぎて、逆に深く考える機会が少なかったのかもしれません。
しかし、この世界的なトレンドに触れ、そして実際に参加することで、「立ち止まって考える」大切さを学びました。今はまだ完全に腹落ちしているわけではありませんが、それでもこうして考え続けること自体が、未来をつくる一歩になると信じています。
この出会いと学びに感謝しながら、紅型を通じて「沖縄の誇り」と「持続可能な未来」をつないでいきたいと思います。





公式ホームページでは、紅型の歴史や伝統、私自身の制作にかける思いなどを、やや丁寧に、文化的な視点も交えながら発信しています。一方でInstagramでは、職人の日常や工房のちょっとした風景、沖縄の光や緑の中に息づく“暮らしに根ざした紅型”の表情を気軽に紹介しています。たとえば、朝の染料作りの様子や、工房の裏庭で揺れる福木の葉っぱ、時には染めたての布を空にかざした一瞬の写真など、ものづくりの空気感を身近に感じていただける内容を心がけています。
紅型は決して遠い伝統ではなく、今を生きる私たちの日々とともにあるものです。これからも新しい挑戦と日々の積み重ねを大切にしながら、沖縄の染め物文化の魅力を発信し続けていきたいと思います。ぜひInstagramものぞいていただき、工房の日常や沖縄の彩りを一緒に楽しんでいただけたら嬉しいです。

城間栄市 プロフィール昭和52年(1977年)、沖縄県生まれ。
城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育つ。
学歴・海外研修
- 平成15年(2003年)より2年間、インドネシア・ジョグジャカルタ特別州に滞在し、バティック(ろうけつ染)を学ぶ。
- 帰国後は城間びんがた工房にて、琉球びんがたの制作・指導に専念。
受賞・展覧会歴
- 平成24年:西部工芸展 福岡市長賞 受賞
- 平成25年:沖展 正会員に推挙
- 平成26年:西部工芸展 奨励賞 受賞
- 平成27年:日本工芸会 新人賞を受賞し、正会員に推挙
- 令和3年:西部工芸展 沖縄タイムス社賞 受賞
- 令和4年:MOA美術館 岡田茂吉賞 大賞 受賞
- 令和5年:西部工芸展 西部支部長賞 受賞
主な出展
- 「ポケモン工芸展」に出展
- 文化庁主催「日中韓芸術祭」に出展
- 令和6年:文化庁「技を極める」展に出展
現在の役職・活動
- 城間びんがた工房 十六代 代表
- 日本工芸会 正会員
- 沖展(沖縄タイムス社主催公募展)染色部門 審査員
- 沖縄県立芸術大学 非常勤講師
プロフィール概要
はじめまして。城間びんがた工房16代目の城間栄市です。私は1977年、十五代・城間栄順の長男として沖縄に生まれ、幼いころから紅型の仕事に親しみながら育ちました。工房に入った後は父のもとで修行を重ねつつ、沖縄県芸術祭「沖展」に初入選したことをきっかけに本格的に紅型作家として歩み始めました。
これまでの道のりの中で、沖展賞や日本工芸会の新人賞、西部伝統工芸展での沖縄タイムス社賞・西部支部長賞、そしてMOA美術館の岡田茂吉賞大賞など、さまざまな賞をいただくことができました。また、沖展の正会員や日本工芸会の正会員として活動しながら、審査員として後進の作品にも向き合う立場も経験しています。
私自身の制作で特に印象に残っているのは、「波の歌」という紅型着物の作品です。これは沖縄の海を泳ぐ生き物たちの姿を、藍型を基調とした布に躍動感をもって表現したものです。伝統の技法を守りつつ、そこに自分なりの視点や工夫を重ねることで、新しい紅型の可能性を切り拓きたいという思いが込められています。こうした活動を通して、紅型が沖縄の誇る伝統工芸であるだけでなく、日本、そして世界に発信できるアートであると感じています。
20代の頃にはアジア各地を巡り、2003年から2年間はインドネシア・ジョグジャカルタでバティック(ろうけつ染)を学びました。現地での生活や工芸の現場を通して、異文化の技術や感性にふれ、自分自身の紅型への向き合い方にも大きな影響を受けました。伝統を守るだけでなく、常に新しい刺激や発見を大切にしています。
最近では、「ポケモン×工芸展―美とわざの大発見―」など、世界を巡回する企画展にも参加する機会が増えてきました。紅型の技法でポケモンを表現するというチャレンジは、私自身にとっても大きな刺激となりましたし、沖縄の紅型が海外のお客様にも響く可能性を感じています。
メディアにも多く取り上げていただくようになりました。テレビや新聞、ウェブメディアで工房の日常や制作現場が紹介されるたびに、「300年前と変わらない手仕事」に込めた想いを、多くの方に伝えたいと強く思います。