「島つなぎ」― 海を越えて交わる物語
2025.08.24
島々をつなぐ視点から生まれた作品
沖縄は「島の国」です。大小さまざまな島々が連なり、人々が海を渡りながら暮らしを営んできました。
それは沖縄だけの話ではありません。視点を広げると、日本列島全体が島々の連なりであり、さらに南へ視線を向ければ、フィリピンやマレーシア、そしてインドネシアに至るまで、数えきれない島々が点々と広がっています。
古来より、人々はこれらの島を舟で行き来し、文化や物語を交換してきました。言葉も食べ物も信仰も、海を渡ることで交わり、混ざり合い、変化しながら受け継がれてきたのです。沖縄の紅型も、そうした島と島、人と人との交流の中から育まれた工芸であり、まさに「島をつなぐ文化」の象徴でもあります。
私が今回の作品に「島つなぎ」と名づけたのは、そうした歴史や文化の実感からでした。
インドネシアで感じた「つながり」
20代の頃、私は2年間インドネシアに暮らしました。ジャワ島のジョグジャカルタという町での生活は、言葉も文化も全く異なるものでした。宗教はイスラム教、食べ物も沖縄とは大きく違い、初めは戸惑うことばかりでした。
しかし、不思議と懐かしい感覚もありました。インドネシアの人々と接する中で、どこか昔の沖縄の人に似た空気を感じたのです。それは「目に見えない親しみ」とでも言えるものでした。
特に驚いたのは「チャンプルー」という言葉に出会ったときです。沖縄で日常的に使う「ゴーヤーチャンプルー」のチャンプルーと同じ、混ぜる・交えるという意味でインドネシア語にも存在していたのです。言葉の響きも意味も同じだと知ったとき、私の中で島々を通じた交流の記憶が一気につながりました。
これは偶然ではなく、はるか昔から人々が海を越えて交わっていた証拠なのだと、強く感じました。
日常から生まれるインスピレーション
私は作品をつくるとき、特別に机に向かって「さて描こう」と思うことはあまりありません。むしろ日常の中でふと浮かんだ感覚や景色から生まれることが多いのです。
たとえば、通い慣れた小学校の通学路や、今でも足を運ぶ漁港。テトラポットの上に座り、潮の香りや波の音に包まれていると、自然と図案のモチーフが浮かび上がってきます。雲の形、風の音、海の匂い――沖縄の暮らしそのものが、私にとって作品の源泉です。
「島つなぎ」もまた、そうした日常の感覚と、自らの海外での経験が重なり合って生まれた作品でした。
ポケモンとの出会い
そして今回、ポケモンと紅型のコラボレーションという機会をいただきました。
「ポケモンと伝統工芸を掛け合わせると、どんな化学反応が起こるのか?」
その問いは、私にとって大きな挑戦でした。
紅型は私にとって、生まれたときから身近にある存在でした。16代目として生まれ、工房で暮らすように過ごしてきたので、紅型は呼吸のように自然なものであり、意識的に「表現する」と考えることは少なかったのです。先輩方からの助言を受け、自分の思いを形にすることに苦労はありませんでした。
しかし、ポケモンと向き合う中で「自分の世界に彼らをどう迎え入れるか」を考えることは、これまでにない新しい体験でした。そこではじめて、自分の内側にあるストーリーと、ポケモンという存在を掛け合わせて作品をつくるという試みが生まれました。
ポケモンが沖縄の自然や文化、紅型の世界に遊びに来る――そんなイメージを重ねることで、「島つなぎ」という作品は形になっていきました。
作品が完成するまでの時間
この作品は思いつきで一気にできたものではありません。構想から完成まで、準備期間を含めて実に2年近くを要しました。
その時間は決して無駄ではなく、むしろ自分自身を耕し直すような時間でした。
「伝統と現代」「沖縄と世界」「自分の物語とポケモン」という、異なる要素をどうつなぐのか――まさに「島をつなぐ」というテーマそのものを自分の中で体験する時間でもあったのです。
結果として生まれた作品は、私にとってもかけがえのない経験を形にした一枚となりました。
「島つなぎ」が伝えたいこと
「島つなぎ」というタイトルには、単に島々を結ぶという意味だけでなく、人と人、文化と文化、過去と未来をつなぐという思いを込めています。
沖縄の紅型は、かつて王族の衣装として誇りを象徴してきました。しかし現代に生きる私たちにとっては、日常の中で人と人を結びつけるコミュニケーションの手段でもあります。
ポケモンと紅型の出会いは、その象徴的な出来事でした。
異なるもの同士が出会い、混ざり合い、新しい物語を生み出す。
それは、かつて沖縄の祖先たちが海を渡りながら築いてきた「チャンプルーの文化」に他なりません。
最後に
「島つなぎ」は、私の個人的な体験から生まれた作品でありながら、同時に沖縄そのものの歴史や文化を映し出す作品でもあります。
この作品を通して、紅型が単なる模様や工芸品ではなく、島々をつなぎ、人と人を結び、文化を未来に伝える「生きた表現」であることを感じていただければ幸いです。
紅型の布に染められた色や形の一つひとつに、沖縄の風や海や人々の記憶が宿っています。
どうぞ「島つなぎ」を通して、その物語に触れてください。







公式ホームページでは、紅型の歴史や伝統、私自身の制作にかける思いなどを、やや丁寧に、文化的な視点も交えながら発信しています。一方でInstagramでは、職人の日常や工房のちょっとした風景、沖縄の光や緑の中に息づく“暮らしに根ざした紅型”の表情を気軽に紹介しています。たとえば、朝の染料作りの様子や、工房の裏庭で揺れる福木の葉っぱ、時には染めたての布を空にかざした一瞬の写真など、ものづくりの空気感を身近に感じていただける内容を心がけています。
紅型は決して遠い伝統ではなく、今を生きる私たちの日々とともにあるものです。これからも新しい挑戦と日々の積み重ねを大切にしながら、沖縄の染め物文化の魅力を発信し続けていきたいと思います。ぜひInstagramものぞいていただき、工房の日常や沖縄の彩りを一緒に楽しんでいただけたら嬉しいです。

城間栄市 プロフィール昭和52年(1977年)、沖縄県生まれ。
城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育つ。
学歴・海外研修
- 平成15年(2003年)より2年間、インドネシア・ジョグジャカルタ特別州に滞在し、バティック(ろうけつ染)を学ぶ。
- 帰国後は城間びんがた工房にて、琉球びんがたの制作・指導に専念。
受賞・展覧会歴
- 平成24年:西部工芸展 福岡市長賞 受賞
- 平成25年:沖展 正会員に推挙
- 平成26年:西部工芸展 奨励賞 受賞
- 平成27年:日本工芸会 新人賞を受賞し、正会員に推挙
- 令和3年:西部工芸展 沖縄タイムス社賞 受賞
- 令和4年:MOA美術館 岡田茂吉賞 大賞 受賞
- 令和5年:西部工芸展 西部支部長賞 受賞
主な出展
- 「ポケモン工芸展」に出展
- 文化庁主催「日中韓芸術祭」に出展
- 令和6年:文化庁「技を極める」展に出展
現在の役職・活動
- 城間びんがた工房 十六代 代表
- 日本工芸会 正会員
- 沖展(沖縄タイムス社主催公募展)染色部門 審査員
- 沖縄県立芸術大学 非常勤講師
プロフィール概要
はじめまして。城間びんがた工房16代目の城間栄市です。私は1977年、十五代・城間栄順の長男として沖縄に生まれ、幼いころから紅型の仕事に親しみながら育ちました。工房に入った後は父のもとで修行を重ねつつ、沖縄県芸術祭「沖展」に初入選したことをきっかけに本格的に紅型作家として歩み始めました。
これまでの道のりの中で、沖展賞や日本工芸会の新人賞、西部伝統工芸展での沖縄タイムス社賞・西部支部長賞、そしてMOA美術館の岡田茂吉賞大賞など、さまざまな賞をいただくことができました。また、沖展の正会員や日本工芸会の正会員として活動しながら、審査員として後進の作品にも向き合う立場も経験しています。
私自身の制作で特に印象に残っているのは、「波の歌」という紅型着物の作品です。これは沖縄の海を泳ぐ生き物たちの姿を、藍型を基調とした布に躍動感をもって表現したものです。伝統の技法を守りつつ、そこに自分なりの視点や工夫を重ねることで、新しい紅型の可能性を切り拓きたいという思いが込められています。こうした活動を通して、紅型が沖縄の誇る伝統工芸であるだけでなく、日本、そして世界に発信できるアートであると感じています。
20代の頃にはアジア各地を巡り、2003年から2年間はインドネシア・ジョグジャカルタでバティック(ろうけつ染)を学びました。現地での生活や工芸の現場を通して、異文化の技術や感性にふれ、自分自身の紅型への向き合い方にも大きな影響を受けました。伝統を守るだけでなく、常に新しい刺激や発見を大切にしています。
最近では、「ポケモン×工芸展―美とわざの大発見―」など、世界を巡回する企画展にも参加する機会が増えてきました。紅型の技法でポケモンを表現するというチャレンジは、私自身にとっても大きな刺激となりましたし、沖縄の紅型が海外のお客様にも響く可能性を感じています。
メディアにも多く取り上げていただくようになりました。テレビや新聞、ウェブメディアで工房の日常や制作現場が紹介されるたびに、「300年前と変わらない手仕事」に込めた想いを、多くの方に伝えたいと強く思います。