「父を知るたび、未来が静かに変わっていく」

手紙 ― 父を理解するという旅のはじまりに

15代城間栄順 昭和9年生まれ91歳
髪の毛の筆を作っている 父 栄順15代
24歳の城間栄順 15代
24歳の城間栄順15代
1960年代の紅型をしている工房の様子
1970年代 石垣島  シャコ貝と城間栄順
1960年代 城間栄順15代

父は、戦争を語らない人だった。

私が三十五歳で工房を継ぐと決めたとき、
琉球王国の時代から連なる十六代目としての責任よりも先に、
胸に強く浮かんだ問いがある。

「父は、どんな気持ちでこの仕事を続けてきたのだろうか。」

この問いを避けて伝統を継げば、
どこかで必ず迷う――
そんな予感が、深いところでずっと鳴っていた。

父は、祖父のことをいつも「親分」と呼び、
その背中を心の中心に置いて生きてきた人だった。
私にとっての父もまた、この家と文化を理解するための“入り口”だったのだと思う。

しかし父は、過去を語らない。
昭和九年生まれ。十歳で戦後を迎え、母を失い、熊本へ疎開し、
再び沖縄へ戻ってきた。

その幼少期の体験は、言葉にすれば傷が開くほど深いものだったのだろう。
私は子どもの頃も、青年になっても、父が戦争の記憶を語る姿を一度も見たことがなかった。

三十五歳で代を継ぐと決めたとき、
私は初めて父の人生に近づこうと思った。
それは“父と向き合う”というよりも
自分の根を確かめる旅だったのかもしれない。

最初は、ごく普通の思い出から始まった。
小学校での遊び、近所の墓地の話、中学校の帰り道。
そんな何気ない記憶をたどるうちに、
父の沈黙の奥にある柔らかさに初めて触れた気がした。

そして父が七十五歳を迎える頃、
ようやく“あの日々”の話をするようになった。

疎開先の熊本で「本当によくしてもらったよ」と父は言った。
その言葉は感謝に満ちていたが、
同時に、九歳の少年が抱えていた心細さの大きさも滲んでいた。

沖縄へ戻るために乗った船は「和浦丸」。
対馬丸と同じ時期を走った学童疎開船だ。

父は荒縄を一本手渡されたという。
救命具ではない。
船が沈むとき、窓から脱出するための“命綱”だった。

「船に残るな。海へ逃げろ。」
それだけが指示だった。

父は、真っ暗な甲板の小窓から
火柱が立つのを見ていたという。
七十年経っても、そのときの声の震えは消えなかった。

やっとの思いで帰り着いた沖縄は瓦礫の山だった。
そして、疎開中ずっと会いたかった母が亡くなっていたことを
そこで知ることになる。

あまりにも重い喪失が、幼い少年の胸に重なっていた。

父が沈黙を選んだ理由が、ようやく私にもわかってきた。
言葉にすれば再び痛みが立ち上がるような記憶。
その深い傷を抱えながら、父はただ前を向いて働き続けたのだ。

家の紅型の仕事は、
父にとって伝統を守るためではなく、
生き続けるための仕事だったのだと思う。

九十一歳の今も父は仕事をしている。
好きだからではなく、
手を止めたら生き方の柱が崩れてしまうのだろう。
仕事が父を支え、父が仕事を支えてきた。

若い頃の私は、そんな父をつまらなく感じていた。
朝五時に起き、黙々と仕事をし、夕方には必ず飲みに行く。
日曜であろうと生活を崩さない。
自分のリズムを一切揺らさない。

十五歳を過ぎ、私の中に野心や広い世界への憧れが芽生えると、
父の生き方は退屈で古く見えた。

二十五歳の私は、インドネシアへ行き、
アジアの工芸を学び、
地域と連携してものづくりを育てたいと、
若い言葉で夢をぶつけた。

父は言った。

「何を言ってるかよくわからん。
 とにかく、早く寝て早く起きなさい。」

その答えに、当時は苛立ちすら感じた。
しかし今思えば、父の中では
生き抜いてきた人間のリズムこそが、人生の中心だったのだ。

父の背中を思い返すたび、忘れられない光景がある。
忙しい合間を縫って、
夕方、田んぼの道を肩車で歩いてくれたこと。
仕事に追われながらも、
私の小さな世界を広げようとしてくれた時間。

父は、私に“家業のプレッシャー”を植えつけるようなことを
一度たりとも言わなかった。

やってみたいなら、やってみればいい。
古典を基礎として持っていれば、
どんな表現もやってみればいい。

そんなふうにしか父は語らなかった。
そしてそれは、
父が戦争で家族を失った経験を持つ人だからこその、
深い優しさだったのかもしれない。

“家族は、温かい場所であるべきだ。”

父は無言のまま、そういう姿勢で私を見守っていた。

父の人生は、
私にとって「未来への手紙」のようなものだ。

強さと弱さ、沈黙と優しさ、喪失と再生。
それらが父の中でひとつの形をつくり、
その上に私の人生が続いている。

父を理解し直すことは、
そのまま自分自身の心を見つめ直すことでもある。

怒りや悲しみを押し殺す必要はない。
それらを理解し直す旅は、
いつだって未来へ向けて書く“手紙”になるからだ。

そのまま未来への手紙になると言えるのは、
父の思いや出来事――あの沈黙の奥に眠っていた過去に触れたとき、
私の中でひとつの扉が静かに開くからです。

父とつながり、過去とつながり、そして琉球とつながる。
その瞬間、私は自分という存在の“根”に触れているのだと感じます。
地面の下へ深く伸びていく根。そのずっと奥に、小さな泉が湧いている。
そこは暗い地下ではなく、静かに満ちる光の底で、
触れれば触れるほど、新しいイメージが立ち上がってくる場所です。

その泉は、父が歩いてきた苦労の歴史からだけ生まれるものではありません。
幼い私を肩車し、好奇心を壊さずに育ててくれた、
あの優しい手のぬくもりともつながっています。

父の人生に触れるという行為は、
単なる回想ではなく、私自身の創造の源泉につながる行為でもあるのだ――
今、私はそう確かに思うのです。

父の人生と向き合う旅は、
私自身が未来へ向かって進んでいくための
深い深い“起点”のようなものなのです。

15代栄順 紅型訪問着 カリアンドラ
水元をして 洗い立ての 帯 着物

紅型に、時間と祈りを宿す

私は紅型を、単なる染色技法ではなく、
沖縄という土地で積み重ねられてきた時間や祈り、
そして暮らしの感覚を受け止める「文化の器」だと捉えています。

布に色を置くという行為の奥には、
自然へのまなざし、人への想い、
そして生き方そのものが静かに重なっています。
その感覚を、できるだけ正直に、今の時代の言葉と形で手渡していくこと。
それが、私が紅型と向き合い続ける理由です。


城間栄市プロフィール 生い立ちと紅型との距離

1977年、沖縄県生まれ。
城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育ちました。

幼い頃から、工房は日常の延長線上にありました。
染料の匂い、布を干す風景、
職人たちの背中や交わされる何気ない会話。
それらは特別なものというより、生活の一部として、自然に身の回りにありました。

本格的に工房に入り、父のもとで修行を始めたのは、
沖縄県芸術祭「沖展」への初入選をきっかけとしています。
紅型を「受け継ぐもの」としてではなく、
自分自身の人生として引き受ける覚悟が、
そのとき初めて定まったように思います。


外の世界で学んだこと

2003年からの約2年間、
インドネシア・ジョグジャカルタに滞在し、
バティック(ろうけつ染)を学びました。

異なる気候、異なる宗教観、異なる生活のリズム。
その中で工芸がどのように根づき、人々の暮らしと結びついているのかを、
現地での生活を通して体感しました。

この経験は、
「伝統を守ること」と「変化を受け入れること」は、
決して相反するものではない、
という確信を私にもたらしました。


受賞・出展についての考え方

これまで、沖展、日本工芸会、西部伝統工芸展、
MOA美術館岡田茂吉賞など、
いくつかの評価や賞をいただいてきました。
また、文化庁主催の展覧会や、
「ポケモン工芸展」など、国内外に向けた企画展にも参加する機会を得ています。

こうした節目を迎えるたびに、
私自身の評価以上に、
紅型という存在を知ってもらう機会が広がっていくことに、
大きな喜びを感じています。

一つの作品が、
「沖縄にはこういう染め物があるのですね」
という小さな気づきにつながる。
その積み重ねこそが、紅型の未来を静かに支えていくのだと感じています。


制作について

制作では、伝統的な技法を大切にしながらも、
その時代、その感覚にしか生まれない表現を探り続けています。

代表作の一つである紅型着物《波の歌》では、
沖縄の海を泳ぐ生き物たちの姿を、
藍色を基調に、リズムと奥行きを意識して表現しました。

新しさを声高に主張するのではなく、
布に触れた人が、
どこか懐かしさや安心感を覚えるような仕事を目指しています。


今、そしてこれから

現在は、
城間びんがた工房十六代代表として制作を行いながら、
日本工芸会正会員、沖展染色部門審査員、
沖縄県立芸術大学非常勤講師としても活動しています。

これらの役割もまた、
紅型を「閉じた世界」に留めず、
次の世代や、まだ出会っていない人たちへと
静かにつないでいくための一つの手段だと考えています。

これからも、
展覧会やさまざまな協働を通して、
紅型という文化に触れる“入り口”を、少しずつ増やしていきたい。
それは広げるためというより、
必要な場所に、必要なかたちで、そっと灯りを置いていく
そんな感覚に近いものです。


おわりに

公式ホームページでは、
紅型の歴史や背景、制作に込めた考えを、
少し丁寧に言葉にして残しています。

Instagramでは、
職人の日常や工房の空気、
沖縄の光や緑の中で息づく紅型の表情を、
より身近な距離感でお伝えしています。

どちらも、紅型を「特別なもの」にするためではなく、
今を生きる私たちの暮らしと、
静かにつながる存在として感じていただくためのものです。

この場所を訪れてくださったことが、
紅型との、ささやかな出会いとなれば幸いです。

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