紅型の“もうひとつの顔” 筒描きの魅力に迫る【工程説明】

いつも紅型(びんがた)にご関心を寄せていただき、誠にありがとうございます。皆さまの好奇心が私たちの挑戦を支える原動力となっていることに、心から感謝しています。今回は、紅型の中でもひときわユニークな技法である「筒描き」に焦点を当て、その歴史や技術、そして未来への展望をお伝えしたいと思います。

筒描きは、紅型の基本技法の一つに位置づけられていますが、型染めとは異なり、布に直接図柄を描いていく点が大きな特徴です。2メートル四方や130センチ四方といった大布に糊を用いて筆跡を残し、大胆で力強い模様を表現します。かつては「うちくい」と呼ばれる飾り風呂敷に多く用いられ、村芝居の舞台幕や冠婚葬祭の場でも活躍しました。6メートル級の布に施された筒描きは、行事を彩り、暮らしにダイナミックな世界観をもたらしていたのです。

この技法の要となるのが「糊置き」です。もち米と米ぬかを練った糊を細い筒の先から絞り出し、一気に布に描いていく。湿度や糊の固さを見極めながら途切れずに描き上げる集中力が求められます。その自由な線は、紅型らしい力強さや伸びやかさを生み出し、職人の感性をそのまま布に刻むことにつながっています。

沖縄の暮らしの中で、筒描きは「うちくい」として晴れの日を彩ってきました。結婚や結納といった祝いの席で披露されるそれらの布は、家の格を示す意味も持ち、家族や地域の誇りを表すものでした。戦後の復興期には需要が高まり、私の祖父・栄喜の時代には、1日に20枚もの布に描いたこともあったと伝えられています。物資の乏しい時代に、祭りや芝居が戻ってくる中で、地域文化を支える役割を担ったのです。

筒描きの道具(戦後に物資不足の中で鉄砲の弾を使い始めました

しかし時代が進むにつれ、生活様式は変化しました。洋装が普及し、大布を飾る文化は衰退。村芝居も減少し、筒描きの大掛かりな装飾布は求められなくなりました。こうしてかつての全盛期は過ぎ去りましたが、一方で祖父が戦後に取り組んだ革新は大きな示唆を与えてくれます。祖父はアメリカ兵向けに紅型ポストカードを制作し、伝統を守りつつも「使ってもらえるもの」を作り続けました。その姿勢は、筒描きの未来にも通じるものがあります。古い技法だからこそ、その表現の独自性が現代に新しい価値を生み出す可能性を秘めているのです。

私は10年ほど前から、筒描きを着物や帯に取り入れる試みを始めました。型染めでは出せない大胆なラインや独特の隈取りは、モダンなファッションにも映えます。舞台幕に描かれていたスケール感を限られた空間に凝縮することで、装いに力強い存在感を与えることができました。王族や士族の衣装から、戦後は和装にシフトしてきた紅型。その流れに筒描きを融合させることで、表現の幅はますます広がっています。

筒描きの魅力は、職人が「描く喜び」を直に表現できる点にもあります。型染めが繰り返しのパターンや細密な再現性に強みを持つ一方で、筒描きは職人の感情や勢いをそのまま反映させる技法です。線の強弱やリズム感が布の上で生き生きと躍動し、まさに一点もののアートとしての価値を持ちます。かつて人々の暮らしを鮮やかに彩ったその文化的意義は、現代においてもなお輝きを放っています。

では、筒描きの未来はどう描けるのでしょうか。私は「大きな布が再び人々の暮らしを彩る日」を夢見ています。そのために、筒描きならではのダイナミックな表現を磨き続けること、そして古典文様をモダンに再構築することを心がけています。祖父が戦後の困難な時代に新たな挑戦をしたように、私たちもまた現代において技法を進化させ、新しい場で表現を広げていく必要があるのです。

ここまでお読みいただき、心より感謝申し上げます。皆さまの関心や好奇心は、私たちの挑戦を後押しする何よりの力です。筒描きは、自由で大胆な線が生み出す表現の可能性を秘め、過去には地域の人々を結びつけ、今は新たな装いの世界を切り拓きつつあります。その歩みを通して、琉球文化の豊かさを次世代へとつなげていきたいと願っています。どうぞこれからも、紅型とともにある物語にご一緒いただければ幸いです。

筒描き

紅型に、時間と祈りを宿す

私は紅型を、単なる染色技法ではなく、
沖縄という土地で積み重ねられてきた時間や祈り、
そして暮らしの感覚を受け止める「文化の器」だと捉えています。

布に色を置くという行為の奥には、
自然へのまなざし、人への想い、
そして生き方そのものが静かに重なっています。
その感覚を、できるだけ正直に、今の時代の言葉と形で手渡していくこと。
それが、私が紅型と向き合い続ける理由です。


城間栄市プロフィール 生い立ちと紅型との距離

1977年、沖縄県生まれ。
城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育ちました。

幼い頃から、工房は日常の延長線上にありました。
染料の匂い、布を干す風景、
職人たちの背中や交わされる何気ない会話。
それらは特別なものというより、生活の一部として、自然に身の回りにありました。

本格的に工房に入り、父のもとで修行を始めたのは、
沖縄県芸術祭「沖展」への初入選をきっかけとしています。
紅型を「受け継ぐもの」としてではなく、
自分自身の人生として引き受ける覚悟が、
そのとき初めて定まったように思います。


外の世界で学んだこと

2003年からの約2年間、
インドネシア・ジョグジャカルタに滞在し、
バティック(ろうけつ染)を学びました。

異なる気候、異なる宗教観、異なる生活のリズム。
その中で工芸がどのように根づき、人々の暮らしと結びついているのかを、
現地での生活を通して体感しました。

この経験は、
「伝統を守ること」と「変化を受け入れること」は、
決して相反するものではない、
という確信を私にもたらしました。


受賞・出展についての考え方

これまで、沖展、日本工芸会、西部伝統工芸展、
MOA美術館岡田茂吉賞など、
いくつかの評価や賞をいただいてきました。
また、文化庁主催の展覧会や、
「ポケモン工芸展」など、国内外に向けた企画展にも参加する機会を得ています。

こうした節目を迎えるたびに、
私自身の評価以上に、
紅型という存在を知ってもらう機会が広がっていくことに、
大きな喜びを感じています。

一つの作品が、
「沖縄にはこういう染め物があるのですね」
という小さな気づきにつながる。
その積み重ねこそが、紅型の未来を静かに支えていくのだと感じています。


制作について

制作では、伝統的な技法を大切にしながらも、
その時代、その感覚にしか生まれない表現を探り続けています。

代表作の一つである紅型着物《波の歌》では、
沖縄の海を泳ぐ生き物たちの姿を、
藍色を基調に、リズムと奥行きを意識して表現しました。

新しさを声高に主張するのではなく、
布に触れた人が、
どこか懐かしさや安心感を覚えるような仕事を目指しています。


今、そしてこれから

現在は、
城間びんがた工房十六代代表として制作を行いながら、
日本工芸会正会員、沖展染色部門審査員、
沖縄県立芸術大学非常勤講師としても活動しています。

これらの役割もまた、
紅型を「閉じた世界」に留めず、
次の世代や、まだ出会っていない人たちへと
静かにつないでいくための一つの手段だと考えています。

これからも、
展覧会やさまざまな協働を通して、
紅型という文化に触れる“入り口”を、少しずつ増やしていきたい。
それは広げるためというより、
必要な場所に、必要なかたちで、そっと灯りを置いていく
そんな感覚に近いものです。


おわりに

公式ホームページでは、
紅型の歴史や背景、制作に込めた考えを、
少し丁寧に言葉にして残しています。

Instagramでは、
職人の日常や工房の空気、
沖縄の光や緑の中で息づく紅型の表情を、
より身近な距離感でお伝えしています。

どちらも、紅型を「特別なもの」にするためではなく、
今を生きる私たちの暮らしと、
静かにつながる存在として感じていただくためのものです。

この場所を訪れてくださったことが、
紅型との、ささやかな出会いとなれば幸いです。

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