―― 根をたどりながら、手を動かす ――

戦後八十年、と聞くと、
何か大きな出来事を思い出そうとしがちですが、
実際には、そんなに整理されたものではない気がしています。

(終戦後レコード 薬莢など 手に入る廃品から染色道具を作りました)

畑に立ったときの土の重さとか、
朝の空気の匂いとか、
そういうものが少しずつ積み重なってきた時間。
それが八十年だったのではないかな、と思うのです。

この八十年の間に、
本当にたくさんのものが失われました。
でもその一方で、
どうやって生きていくか、
どうやって続けていくか、
そんな工夫や我慢が、暮らしの中で積み重ねられてきました。

1960年代の紅型をしている工房の様子
(終戦直後、避難生活の中で紅型の技術で ポストカードを作りました。)

今の私たちの生活や仕事は、
その上に、何事もなかったかのように乗っかっています。
毎日仕事ができて、
ごはんを食べて、
布を染めていられることも、
実は当たり前ではなかったはずです。

だからこの八十年を振り返るというのは、
昔を懐かしむためというより、
これから先をどうやって過ごしていくのか、
一度立ち止まって考えてみる、
そんな節目なのだと思っています。

「根につながる」という言葉も、
昔に戻る、という意味ではありません。
どちらかというと、
これから先へ進むために、
いま自分がどんな土の上に立っているのか、
それを確かめるような感じです。

工房もまた、
ただ作品をつくる場所、というよりは、
人が集まって、
時間が行ったり来たりして、
少しずつ味が出てくるような場所でありたいと思っています。

朝の体操の様子
型置きをした後 干している様子

手仕事が続くこと。
誰かが黙々と手を動かしていること。
誰かが前に出て、
誰かが後ろで支えていること。

お金のことも、文化のことも、
どちらかだけではうまくいきません。
きれいな理想だけでも、
数字だけでもなくて、
人それぞれの性格やクセも含めて、
全体が息をしている状態が大事なのだと思います。

静かに考える人もいれば、
勢いよく動く人もいる。
場を整える人がいて、
話をつなぐ人もいる。

そういう人たちが、
同じ方向を向いたり、
ときには少しずれながら、
それでもゆっくり重なっていく。
そのとき、文化は「守らなきゃいけないもの」ではなく、
自然と巡っていくものになるのではないでしょうか。

戦後八十年を迎えたいま、
私たちはその流れの入口に立っているのかもしれません。

これまでの八十年は、
とにかく生き延びるための時間だった。
これからは、
育てて、分け合って、
次へ渡していく時間になっていく。
そんなふうにも感じています。

それは、
誰か一人が頑張ってつくる未来ではなくて、
この時代を生きている一人ひとりの選択が、
少しずつ形になっていく未来です。

私自身、二十代、三十代の頃は、
正直なところ、
どこかで「何かを壊したい」という気持ちを持ちながら、
紅型と向き合ってきました。
新しいことをやりたくて、
自分の言葉や形を必死に探していた時期だったと思います。

でも、四十八歳になったいま、
ふと立ち止まって、
あらためて古い紅型を見てほしい、
そう思うようになりました。

父や母、祖母が作り、守ってきた布。
古典柄と呼ばれるものに向き合ったとき、
どうしてこんなに心が動くのか。
その理由を、
頭ではなく、身体で確かめたいと思うようになったのです。

古典柄は、
完成された過去のものではなく、
何度も使われ、
何度も選ばれ、
残ってきたものです。
そこに触れたときの感覚を、
きちんと受け止めないと、
なぜ自分が紅型を続けているのかも、
わからなくなってしまう気がしています。

もしかすると、
昔の紅型をもう一度よく見て、
噛みしめ直して、
その延長線上で何かをつくっていく。
それも、これからの時代の
ひとつのやり方なのかもしれません。

「根につながる」という言葉の中には、
過去と未来を行ったり来たりする、
そんな時間の流れがあるように思います。

受け取ってきたものを、
そのまま次へ渡すのではなく、
いまの時代の手触りで、
もう一度、土をならしてみる。

そして次の世代がその土に触れたとき、
それぞれのやり方で何かを感じて、
自分なりに育てていけたらいい。

この八十年を、
終わった時間としてではなく、
これからにつながる「根」として感じながら、
今日もまた、
いつものように手を動かしていこうと思います。

紅型に、時間と祈りを宿す

私は紅型を、単なる染色技法ではなく、
沖縄という土地で積み重ねられてきた時間や祈り、
そして暮らしの感覚を受け止める「文化の器」だと捉えています。

布に色を置くという行為の奥には、
自然へのまなざし、人への想い、
そして生き方そのものが静かに重なっています。
その感覚を、できるだけ正直に、今の時代の言葉と形で手渡していくこと。
それが、私が紅型と向き合い続ける理由です。


城間栄市プロフィール 生い立ちと紅型との距離

1977年、沖縄県生まれ。
城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育ちました。

幼い頃から、工房は日常の延長線上にありました。
染料の匂い、布を干す風景、
職人たちの背中や交わされる何気ない会話。
それらは特別なものというより、生活の一部として、自然に身の回りにありました。

本格的に工房に入り、父のもとで修行を始めたのは、
沖縄県芸術祭「沖展」への初入選をきっかけとしています。
紅型を「受け継ぐもの」としてではなく、
自分自身の人生として引き受ける覚悟が、
そのとき初めて定まったように思います。


外の世界で学んだこと

2003年からの約2年間、
インドネシア・ジョグジャカルタに滞在し、
バティック(ろうけつ染)を学びました。

異なる気候、異なる宗教観、異なる生活のリズム。
その中で工芸がどのように根づき、人々の暮らしと結びついているのかを、
現地での生活を通して体感しました。

この経験は、
「伝統を守ること」と「変化を受け入れること」は、
決して相反するものではない、
という確信を私にもたらしました。


受賞・出展についての考え方

これまで、沖展、日本工芸会、西部伝統工芸展、
MOA美術館岡田茂吉賞など、
いくつかの評価や賞をいただいてきました。
また、文化庁主催の展覧会や、
「ポケモン工芸展」など、国内外に向けた企画展にも参加する機会を得ています。

こうした節目を迎えるたびに、
私自身の評価以上に、
紅型という存在を知ってもらう機会が広がっていくことに、
大きな喜びを感じています。

一つの作品が、
「沖縄にはこういう染め物があるのですね」
という小さな気づきにつながる。
その積み重ねこそが、紅型の未来を静かに支えていくのだと感じています。


制作について

制作では、伝統的な技法を大切にしながらも、
その時代、その感覚にしか生まれない表現を探り続けています。

代表作の一つである紅型着物《波の歌》では、
沖縄の海を泳ぐ生き物たちの姿を、
藍色を基調に、リズムと奥行きを意識して表現しました。

新しさを声高に主張するのではなく、
布に触れた人が、
どこか懐かしさや安心感を覚えるような仕事を目指しています。


今、そしてこれから

現在は、
城間びんがた工房十六代代表として制作を行いながら、
日本工芸会正会員、沖展染色部門審査員、
沖縄県立芸術大学非常勤講師としても活動しています。

これらの役割もまた、
紅型を「閉じた世界」に留めず、
次の世代や、まだ出会っていない人たちへと
静かにつないでいくための一つの手段だと考えています。

これからも、
展覧会やさまざまな協働を通して、
紅型という文化に触れる“入り口”を、少しずつ増やしていきたい。
それは広げるためというより、
必要な場所に、必要なかたちで、そっと灯りを置いていく
そんな感覚に近いものです。


おわりに

公式ホームページでは、
紅型の歴史や背景、制作に込めた考えを、
少し丁寧に言葉にして残しています。

Instagramでは、
職人の日常や工房の空気、
沖縄の光や緑の中で息づく紅型の表情を、
より身近な距離感でお伝えしています。

どちらも、紅型を「特別なもの」にするためではなく、
今を生きる私たちの暮らしと、
静かにつながる存在として感じていただくためのものです。

この場所を訪れてくださったことが、
紅型との、ささやかな出会いとなれば幸いです。

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