過去の保存ではなく 未来への設計【イベント】

光を観るということ

― 守ることと広げることのあいだで ―

いつもご覧いただき、本当にありがとうございます。
紅型を通して琉球文化が伝わっていくこと、その営みの中に自分が立たせていただいていることに、あらためて感謝しています。

本日、「光を観る」というテーマのシンポジウムに参加させていただきました。文化芸術を観光産業の視点から見つめる、という少し大きな切り口の催しでした。沖縄観光における文化芸術の現在と未来をどう考えるか。その問いに対して、第一部では歌舞伎俳優の中村壱太郎さんと対談の機会をいただき、第二部ではパネルディスカッションにも参加しました。

会場へ向かう道中、正直なところ少し緊張していました。
観光と文化。あまりにも広いテーマです。私は工芸の現場にいる人間です。72歳の職人から24歳の 23人の職人が同じ工房で働き、糊を置き、色を差し、布を干す。その日々の積み重ねの中で生きています。その現場感覚の延長線上でしか語れないのではないか、そんな思いがありました。

壱太郎さんは、歌舞伎という長い歴史を持つ舞台芸術の世界で活動されている方です。映画「国宝」の振付指導にも関わられ、古典と現代を往復しながら表現を続けていらっしゃいます。分野は違えど、「伝統をどう今に接続するか」という問いは共通しているのだろうと思い、対話をとても楽しみにしていました。

これまで私は、ある一つの強い軸を持っていました。それは「最終的なゴールは古典紅型に辿り着くこと」という考えです。どんな新作を発表しても、どんな現代的な取り組みをしても、どんなイベントを企画しても、最終的には古典紅型の価値に結びつくこと。それが最大にして唯一の目的だと、どこかで信じ込んでいました。

なぜなら、祖父や父、そして戦後間もない時代の職人たちが、文化を守るという意識で紅型に向き合ってきた姿を見聞きしてきたからです。終戦直後、焼け野原の中で避難生活を送りながらも、わずか数年で紅型づくりを再開した世代がいました。物資も整わない時代に、なぜ再開できたのか。その背景には、「琉球の文化を一日でも絶やしてはならない」という強い使命感があったのではないかと思うのです。

終戦後レコード 薬莢など 手に入る廃品から染色道具を作りました
1960年頃 工房風景
1960年頃 工房風景
24歳の城間栄順 15代

その思いを受け継ぐ立場として、私はどこかで「軽やかになってはいけない」と感じていたのかもしれません。文化は保存するもの。守るもの。過去を未来へ繋ぐもの。そう理解していました。

しかし、シンポジウムの中で語られた視点は、少し違う角度を持っていました。
文化は守るだけでなく、時代ごとに少しずつ形を変えながら積み上がっていくものではないか。最先端の試みを重ねることで、古典の意味もまた更新されるのではないか。

壱太郎さんがふと口にされた言葉が印象に残っています。例えば、歌舞伎の舞台で琉球の衣装を取り入れたらどうなるか。伝統同士が出会うことで、新しい話題や化学反応が生まれるのではないか。文化は、異分野と出会うことで呼吸をし直すのではないか、と。

その瞬間、私は少し揺れました。
古典紅型を最終ゴールに据えることは大切です。しかし、そこへ辿り着く道は一つではないのかもしれない。まずは紅型を好きになってもらうこと。沖縄を好きになってもらうこと。琉球文化に触れてもらうこと。その入口が広がることで、結果として古典へ辿り着く人が増えるのかもしれない。

「文化の産業化」という言葉には、今でも葛藤があります。文化をお金の文脈で語ることに違和感を覚える瞬間もあります。しかし同時に、食べていくこと、若い世代が安心してこの道を選べる環境を整えることも、避けて通れない現実です。誇りある仕事とは何か。継続できる仕組みとは何か。その問いを私は、24時間365日考え続けています。

15代栄順 紅型訪問着 カリアンドラ
朝の工房 2025年2月26日

文化は短期的な結果を出しにくいものです。しかし長期的に見れば、確実に土地を耕していきます。観光が文化を消費するのではなく、文化が観光を耕す。そんな未来の形もあるのではないか。琉球はかつて、中国、日本、東南アジア、ジャワ島などと交流しながら、自らの色で文化を染め直してきました。その歴史を思えば、外との接続は恐れるものではなく、本来この土地が持っている力なのかもしれません。

今回のシンポジウムを通して、私は自分の中の「唯一のゴール」という考え方が、少しだけほどけました。古典紅型が大切であることは変わりません。しかしそこへ至る入口は、もっと多様であってもいい。現代的なデザインに惹かれる人がいてもいい。私の作風のファンになってくれる人がいてもいい。そのすべてが、結果として琉球文化を支える土壌になるのかもしれません。

守ることと、広げること。
保守と挑戦。
その両方を抱えながら進むことが、今の時代に求められているのではないかと感じました。

光を見るとは、外の未来を照らすことだけではなく、自分の思い込みに光を当てることなのかもしれません。今回の対話は、まさにその時間でした。

これからも、古典を敬いながら、ときに型を破りながら、琉球文化の時間を丁寧に重ねていきたいと思います。そしてその過程を、皆さんと共有できたら嬉しく思います。

引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。

城間栄市プロフィール 

紅型に、時間と祈りを宿す

私は紅型を、単なる染色技法ではなく、
沖縄という土地で積み重ねられてきた時間や祈り、
そして暮らしの感覚を受け止める「文化の器」だと捉えています。

布に色を置くという行為の奥には、
自然へのまなざし、人への想い、
そして生き方そのものが静かに重なっています。
その感覚を、できるだけ正直に、今の時代の言葉と形で手渡していくこと。
それが、私が紅型と向き合い続ける理由です。


生い立ちと紅型との距離

1977年、沖縄県生まれ。
城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育ちました。

幼い頃から、工房は日常の延長線上にありました。
染料の匂い、布を干す風景、
職人たちの背中や交わされる何気ない会話。
それらは特別なものというより、生活の一部として、自然に身の回りにありました。

本格的に工房に入り、父のもとで修行を始めたのは、
沖縄県芸術祭「沖展」への初入選をきっかけとしています。
紅型を「受け継ぐもの」としてではなく、
自分自身の人生として引き受ける覚悟が、
そのとき初めて定まったように思います。


外の世界で学んだこと

2003年からの約2年間、
インドネシア・ジョグジャカルタに滞在し、
バティック(ろうけつ染)を学びました。

異なる気候、異なる宗教観、異なる生活のリズム。
その中で工芸がどのように根づき、人々の暮らしと結びついているのかを、
現地での生活を通して体感しました。

この経験は、
「伝統を守ること」と「変化を受け入れること」は、
決して相反するものではない、
という確信を私にもたらしました。


受賞・出展についての考え方

これまで、沖展、日本工芸会、西部伝統工芸展、
MOA美術館岡田茂吉賞など、
いくつかの評価や賞をいただいてきました。
また、文化庁主催の展覧会や、
「ポケモン工芸展」など、国内外に向けた企画展にも参加する機会を得ています。

こうした節目を迎えるたびに、
私自身の評価以上に、
紅型という存在を知ってもらう機会が広がっていくことに、
大きな喜びを感じています。

一つの作品が、
「沖縄にはこういう染め物があるのですね」
という小さな気づきにつながる。
その積み重ねこそが、紅型の未来を静かに支えていくのだと感じています。


制作について

制作では、伝統的な技法を大切にしながらも、
その時代、その感覚にしか生まれない表現を探り続けています。

代表作の一つである紅型着物《波の歌》では、
沖縄の海を泳ぐ生き物たちの姿を、
藍色を基調に、リズムと奥行きを意識して表現しました。

新しさを声高に主張するのではなく、
布に触れた人が、
どこか懐かしさや安心感を覚えるような仕事を目指しています。


今、そしてこれから

現在は、
城間びんがた工房十六代代表として制作を行いながら、
日本工芸会正会員、沖展染色部門審査員、
沖縄県立芸術大学非常勤講師としても活動しています。

これらの役割もまた、
紅型を「閉じた世界」に留めず、
次の世代や、まだ出会っていない人たちへと
静かにつないでいくための一つの手段だと考えています。

これからも、
展覧会やさまざまな協働を通して、
紅型という文化に触れる“入り口”を、少しずつ増やしていきたい。
それは広げるためというより、
必要な場所に、必要なかたちで、そっと灯りを置いていく
そんな感覚に近いものです。


おわりに

公式ホームページでは、
紅型の歴史や背景、制作に込めた考えを、
少し丁寧に言葉にして残しています。

Instagramでは、
職人の日常や工房の空気、
沖縄の光や緑の中で息づく紅型の表情を、
より身近な距離感でお伝えしています。

どちらも、紅型を「特別なもの」にするためではなく、
今を生きる私たちの暮らしと、
静かにつながる存在として感じていただくためのものです。

この場所を訪れてくださったことが、
紅型との、ささやかな出会いとなれば幸いです。

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