島の仕事を、バンコクへ持っていった話
2025.12.21

― アジアの中心で、琉球の根を思う ―
2023年、タイ・バンコクで開催された工芸フェアに参加する機会をいただきました。
ASEAN諸国の工芸を紹介する一角に、日本からの代表の一部として声をかけていただき、
その場に立たせてもらったことは、私にとって非常に大きな出来事でした。
会場にはおよそ五百ものブースが並び、
その中心にはASEANコーナーが設けられていました。
そこには、タイ、インドネシア、ベトナム、ラオス、カンボジアなど、
各地の工芸に携わる人たちが集まり、
それぞれの土地で育まれてきた技や美意識を、
当たり前のように、しかし誇りをもって紹介していました。






その中に、琉球紅型として並ばせていただいたことは、
単に「海外で展示する」という意味以上のものを感じさせる時間でした。
私はこれまで、
紅型という仕事を「日本の工芸」として考えると同時に、
どこかでずっと「アジアの工芸」でもあると感じてきました。
沖縄という島は、日本列島の端にありながら、
歴史的には中国や東南アジアと深く関わり、
人や物、思想が行き交う中で文化を育ててきました。
バンコクの会場で、
隣に並ぶインドネシアの染織や、
ベトナムの布、
タイの手仕事を眺めていると、
どこか懐かしさのような感覚がありました。
技法も、色も、文様も違う。
けれど、自然と人との関係性や、
生活の中から生まれてきた美意識には、
共通する匂いのようなものが確かにありました。
その空気の中で、
琉球紅型が決して浮いていないこと、
むしろ自然にそこに在ることに、
私は静かな確信のようなものを覚えました。
この感覚は、
私一人の力で得たものではありません。
その背景には、
父の存在があります。
父は、戦後十歳で戦争を経験し、
母を失い、
壊滅的な状況の中でこの仕事を続けてきました。
紅型が特別なものとして扱われる以前に、
生活の中で手を動かし、
美しいものを手放さずに生きてきた世代です。
父は決して多くを語る人ではありません。
私に対しても、
家業としての重圧や、
「こうあるべきだ」という言葉を
強く投げかけることはありませんでした。
古典を学び、基本を大切にしていれば大丈夫だ。
その一言を軸に、
あとは静かに見守る。
そんな距離感だったように思います。



そのおかげで私は、
インドネシアに渡り、
さまざまな文化や工芸に触れ、
回り道のような時間も含めて、
自分なりの視点を育てることができました。












バンコクで、
ASEAN各地の作り手たちと並んだとき、
その時間がすべて、
ひとつにつながっているように感じられました。
父が守ってきた紅型。
私が外で見てきたアジアの工芸。
そして、いま目の前で行き交う言葉や視線。
琉球紅型は、
争うために生まれた文化ではありません。
誰かを押しのけるためでもなく、
自分たちの暮らしの中で、
自然とともに在り続けるための表現でした。
その姿勢は、
ASEANの工芸と並んだとき、
よりはっきりと見えてきたように思います。
会場では、
「沖縄から来たのか」
「この色はどんな意味があるのか」
そんな素朴な問いを多く受けました。
その一つひとつに答えながら、
紅型が誰かの生活や感覚に触れていく瞬間を、
間近で見ることができました。
この経験は、
私にとって大きな励みであると同時に、
改めて自分の立ち位置を確認する時間でもありました。
私は、何かを新しく生み出す前に、
この文化がどこから来たのか、
誰が守ってきたのかを、
きちんと見続けなければならない。
そう強く思うようになりました。
父は、九十歳を超えたいまも、
誰よりも早く仕事場に立ち、
空気を整え、
静かに一日を始めています。
その姿は、
アジアの工芸の中に身を置いた今も、
私の中で揺るぐことはありません。
バンコクでの展示は、
ゴールではなく、
ひとつの通過点です。
けれど、
琉球という島で育まれてきた美意識が、
アジアで自然に受け取られたことは、
これからの仕事に向かう上で、
大きな支えになっています。
この機会を与えてくださった関係者の皆様、
会場で足を止め、
作品に向き合ってくださった方々、
そして、
いつも静かに背中を押してくれる
家族や工房の仲間たちに、
心から感謝しています。
これからも、
派手に語ることなく、
一枚一枚の布と向き合いながら、
琉球紅型という文化が持つ時間を、
次の世代へ手渡していけたらと思います。

LINE公式 https://line.me/R/ti/p/@275zrjgg

Instagram https://www.instagram.com/shiromabingata16/
公式ホームページでは、紅型の歴史や伝統、私自身の制作にかける思いなどを、やや丁寧に、文化的な視点も交えながら発信しています。一方でInstagramでは、職人の日常や工房のちょっとした風景、沖縄の光や緑の中に息づく“暮らしに根ざした紅型”の表情を気軽に紹介しています。たとえば、朝の染料作りの様子や、工房の裏庭で揺れる福木の葉っぱ、時には染めたての布を空にかざした一瞬の写真など、ものづくりの空気感を身近に感じていただける内容を心がけています。
紅型は決して遠い伝統ではなく、今を生きる私たちの日々とともにあるものです。これからも新しい挑戦と日々の積み重ねを大切にしながら、沖縄の染め物文化の魅力を発信し続けていきたいと思います。ぜひInstagramものぞいていただき、工房の日常や沖縄の彩りを一緒に楽しんでいただけたら嬉しいです。

城間栄市 プロフィール昭和52年(1977年)、沖縄県生まれ。
城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育つ。
学歴・海外研修
- 平成15年(2003年)より2年間、インドネシア・ジョグジャカルタ特別州に滞在し、バティック(ろうけつ染)を学ぶ。
- 帰国後は城間びんがた工房にて、琉球びんがたの制作・指導に専念。
受賞・展覧会歴
- 平成24年:西部工芸展 福岡市長賞 受賞
- 平成25年:沖展 正会員に推挙
- 平成26年:西部工芸展 奨励賞 受賞
- 平成27年:日本工芸会 新人賞を受賞し、正会員に推挙
- 令和3年:西部工芸展 沖縄タイムス社賞 受賞
- 令和4年:MOA美術館 岡田茂吉賞 大賞 受賞
- 令和5年:西部工芸展 西部支部長賞 受賞
主な出展
- 「ポケモン工芸展」に出展
- 文化庁主催「日中韓芸術祭」に出展
- 令和6年:文化庁「技を極める」展に出展
現在の役職・活動
- 城間びんがた工房 十六代 代表
- 日本工芸会 正会員
- 沖展(沖縄タイムス社主催公募展)染色部門 審査員
- 沖縄県立芸術大学 非常勤講師
プロフィール概要
はじめまして。城間びんがた工房16代目の城間栄市です。私は1977年、十五代・城間栄順の長男として沖縄に生まれ、幼いころから紅型の仕事に親しみながら育ちました。工房に入った後は父のもとで修行を重ねつつ、沖縄県芸術祭「沖展」に初入選したことをきっかけに本格的に紅型作家として歩み始めました。
これまでの道のりの中で、沖展賞や日本工芸会の新人賞、西部伝統工芸展での沖縄タイムス社賞・西部支部長賞、そしてMOA美術館の岡田茂吉賞大賞など、さまざまな賞をいただくことができました。また、沖展の正会員や日本工芸会の正会員として活動しながら、審査員として後進の作品にも向き合う立場も経験しています。
私自身の制作で特に印象に残っているのは、「波の歌」という紅型着物の作品です。これは沖縄の海を泳ぐ生き物たちの姿を、藍型を基調とした布に躍動感をもって表現したものです。伝統の技法を守りつつ、そこに自分なりの視点や工夫を重ねることで、新しい紅型の可能性を切り拓きたいという思いが込められています。こうした活動を通して、紅型が沖縄の誇る伝統工芸であるだけでなく、日本、そして世界に発信できるアートであると感じています。
20代の頃にはアジア各地を巡り、2003年から2年間はインドネシア・ジョグジャカルタでバティック(ろうけつ染)を学びました。現地での生活や工芸の現場を通して、異文化の技術や感性にふれ、自分自身の紅型への向き合い方にも大きな影響を受けました。伝統を守るだけでなく、常に新しい刺激や発見を大切にしています。
最近では、「ポケモン×工芸展―美とわざの大発見―」など、世界を巡回する企画展にも参加する機会が増えてきました。紅型の技法でポケモンを表現するというチャレンジは、私自身にとっても大きな刺激となりましたし、沖縄の紅型が海外のお客様にも響く可能性を感じています。
メディアにも多く取り上げていただくようになりました。テレビや新聞、ウェブメディアで工房の日常や制作現場が紹介されるたびに、「300年前と変わらない手仕事」に込めた想いを、多くの方に伝えたいと強く思います。