島の仕事を、バンコクへ持っていった話【地域活動】

「CRAFT BANGKOK 2023」

― アジアの中心で、琉球の根を思う ―

2023年、タイ・バンコクで開催された工芸フェアに参加する機会をいただきました。
ASEAN諸国の工芸を紹介する一角に、日本からの代表の一部として声をかけていただき、
その場に立たせてもらったことは、私にとって非常に大きな出来事でした。

会場にはおよそ五百ものブースが並び、
その中心にはASEANコーナーが設けられていました。
そこには、タイ、インドネシア、ベトナム、ラオス、カンボジアなど、
各地の工芸に携わる人たちが集まり、
それぞれの土地で育まれてきた技や美意識を、
当たり前のように、しかし誇りをもって紹介していました。

その中に、琉球紅型として並ばせていただいたことは、
単に「海外で展示する」という意味以上のものを感じさせる時間でした。

私はこれまで、
紅型という仕事を「日本の工芸」として考えると同時に、
どこかでずっと「アジアの工芸」でもあると感じてきました。
沖縄という島は、日本列島の端にありながら、
歴史的には中国や東南アジアと深く関わり、
人や物、思想が行き交う中で文化を育ててきました。

バンコクの会場で、
隣に並ぶインドネシアの染織や、
ベトナムの布、
タイの手仕事を眺めていると、
どこか懐かしさのような感覚がありました。
技法も、色も、文様も違う。
けれど、自然と人との関係性や、
生活の中から生まれてきた美意識には、
共通する匂いのようなものが確かにありました。

その空気の中で、
琉球紅型が決して浮いていないこと、
むしろ自然にそこに在ることに、
私は静かな確信のようなものを覚えました。

この感覚は、
私一人の力で得たものではありません。
その背景には、
父の存在があります。

父は、戦後十歳で戦争を経験し、
母を失い、
壊滅的な状況の中でこの仕事を続けてきました。
紅型が特別なものとして扱われる以前に、
生活の中で手を動かし、
美しいものを手放さずに生きてきた世代です。

父は決して多くを語る人ではありません。
私に対しても、
家業としての重圧や、
「こうあるべきだ」という言葉を
強く投げかけることはありませんでした。
古典を学び、基本を大切にしていれば大丈夫だ。
その一言を軸に、
あとは静かに見守る。
そんな距離感だったように思います。

髪の毛の筆を作っている 父 栄順15代

そのおかげで私は、
インドネシアに渡り、
さまざまな文化や工芸に触れ、
回り道のような時間も含めて、
自分なりの視点を育てることができました。

2003年頃 インドネシアの職人に沖縄の写真を見せている。
インドネシアにてチャンチンで蝋描きをしています(2003年)
ココナッツ ジュースの屋台(2003年)
インドネシアの職人達とインドネシアと繋いでくれた友人の高橋仙人(2003年)
2018年 宮良田鶴子さんとのご縁で東ティモールでワークショップを行いました
型彫りを教えている様子
色差しを伝えている様子

バンコクで、
ASEAN各地の作り手たちと並んだとき、
その時間がすべて、
ひとつにつながっているように感じられました。
父が守ってきた紅型。
私が外で見てきたアジアの工芸。
そして、いま目の前で行き交う言葉や視線。

琉球紅型は、
争うために生まれた文化ではありません。
誰かを押しのけるためでもなく、
自分たちの暮らしの中で、
自然とともに在り続けるための表現でした。
その姿勢は、
ASEANの工芸と並んだとき、
よりはっきりと見えてきたように思います。

会場では、
「沖縄から来たのか」
「この色はどんな意味があるのか」
そんな素朴な問いを多く受けました。
その一つひとつに答えながら、
紅型が誰かの生活や感覚に触れていく瞬間を、
間近で見ることができました。

この経験は、
私にとって大きな励みであると同時に、
改めて自分の立ち位置を確認する時間でもありました。
私は、何かを新しく生み出す前に、
この文化がどこから来たのか、
誰が守ってきたのかを、
きちんと見続けなければならない。
そう強く思うようになりました。

父は、九十歳を超えたいまも、
誰よりも早く仕事場に立ち、
空気を整え、
静かに一日を始めています。
その姿は、
アジアの工芸の中に身を置いた今も、
私の中で揺るぐことはありません。

バンコクでの展示は、
ゴールではなく、
ひとつの通過点です。
けれど、
琉球という島で育まれてきた美意識が、
アジアで自然に受け取られたことは、
これからの仕事に向かう上で、
大きな支えになっています。

この機会を与えてくださった関係者の皆様、
会場で足を止め、
作品に向き合ってくださった方々、
そして、
いつも静かに背中を押してくれる
家族や工房の仲間たちに、
心から感謝しています。

これからも、
派手に語ることなく、
一枚一枚の布と向き合いながら、
琉球紅型という文化が持つ時間を、
次の世代へ手渡していけたらと思います。

紅型に、時間と祈りを宿す

私は紅型を、単なる染色技法ではなく、
沖縄という土地で積み重ねられてきた時間や祈り、
そして暮らしの感覚を受け止める「文化の器」だと捉えています。

布に色を置くという行為の奥には、
自然へのまなざし、人への想い、
そして生き方そのものが静かに重なっています。
その感覚を、できるだけ正直に、今の時代の言葉と形で手渡していくこと。
それが、私が紅型と向き合い続ける理由です。


城間栄市プロフィール 生い立ちと紅型との距離

1977年、沖縄県生まれ。
城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育ちました。

幼い頃から、工房は日常の延長線上にありました。
染料の匂い、布を干す風景、
職人たちの背中や交わされる何気ない会話。
それらは特別なものというより、生活の一部として、自然に身の回りにありました。

本格的に工房に入り、父のもとで修行を始めたのは、
沖縄県芸術祭「沖展」への初入選をきっかけとしています。
紅型を「受け継ぐもの」としてではなく、
自分自身の人生として引き受ける覚悟が、
そのとき初めて定まったように思います。


外の世界で学んだこと

2003年からの約2年間、
インドネシア・ジョグジャカルタに滞在し、
バティック(ろうけつ染)を学びました。

異なる気候、異なる宗教観、異なる生活のリズム。
その中で工芸がどのように根づき、人々の暮らしと結びついているのかを、
現地での生活を通して体感しました。

この経験は、
「伝統を守ること」と「変化を受け入れること」は、
決して相反するものではない、
という確信を私にもたらしました。


受賞・出展についての考え方

これまで、沖展、日本工芸会、西部伝統工芸展、
MOA美術館岡田茂吉賞など、
いくつかの評価や賞をいただいてきました。
また、文化庁主催の展覧会や、
「ポケモン工芸展」など、国内外に向けた企画展にも参加する機会を得ています。

こうした節目を迎えるたびに、
私自身の評価以上に、
紅型という存在を知ってもらう機会が広がっていくことに、
大きな喜びを感じています。

一つの作品が、
「沖縄にはこういう染め物があるのですね」
という小さな気づきにつながる。
その積み重ねこそが、紅型の未来を静かに支えていくのだと感じています。


制作について

制作では、伝統的な技法を大切にしながらも、
その時代、その感覚にしか生まれない表現を探り続けています。

代表作の一つである紅型着物《波の歌》では、
沖縄の海を泳ぐ生き物たちの姿を、
藍色を基調に、リズムと奥行きを意識して表現しました。

新しさを声高に主張するのではなく、
布に触れた人が、
どこか懐かしさや安心感を覚えるような仕事を目指しています。


今、そしてこれから

現在は、
城間びんがた工房十六代代表として制作を行いながら、
日本工芸会正会員、沖展染色部門審査員、
沖縄県立芸術大学非常勤講師としても活動しています。

これらの役割もまた、
紅型を「閉じた世界」に留めず、
次の世代や、まだ出会っていない人たちへと
静かにつないでいくための一つの手段だと考えています。

これからも、
展覧会やさまざまな協働を通して、
紅型という文化に触れる“入り口”を、少しずつ増やしていきたい。
それは広げるためというより、
必要な場所に、必要なかたちで、そっと灯りを置いていく
そんな感覚に近いものです。


おわりに

公式ホームページでは、
紅型の歴史や背景、制作に込めた考えを、
少し丁寧に言葉にして残しています。

Instagramでは、
職人の日常や工房の空気、
沖縄の光や緑の中で息づく紅型の表情を、
より身近な距離感でお伝えしています。

どちらも、紅型を「特別なもの」にするためではなく、
今を生きる私たちの暮らしと、
静かにつながる存在として感じていただくためのものです。

この場所を訪れてくださったことが、
紅型との、ささやかな出会いとなれば幸いです。

LINE公式 https://line.me/R/ti/p/@275zrjgg

Instagram https://www.instagram.co