国際交流基金を通して広がる、インドネシアとの文化交流【地域活動】

波を越えて、再び出会う

― 過去・現在・未来が重なる場所 ―

琉球文化が、今も静かに、そして確かに世界へ伝わっていることに、心から感謝しています。そして紅型という技を通して、人と人が出会う場に立ち会えたことを、ありがたく思っています。

琉球は地理的に、中国、日本、そして東南アジアへと開かれた島でした。交易の中で文化は混じり合い、奪うのではなく、取り入れ、溶かし、そして自分たちの色に染め直してきました。その歴史の延長線上に、今の私たちのものづくりがあります。

家業とどう向き合い、どう受け継いでいくのかを本格的に考える前に、私は一度、もっと遠いルーツを見つめてみたいと思いました。そこで実際に暮らし、その土地の空気を吸い込み、文化の中に身を置いてみたいという衝動があったのです。20代の頃、インドネシアを選んだのは、そうした理由からでした。観光ではなく、現地の人々と衣食住を共にする時間を望みました。そのわがままを受け止め、支えてくださったのがJICAの皆様でした。言葉も十分ではないまま渡った島で、私は職人たちと日々を重ね、文化とは技術ではなく、人の在り方そのものだと教えられました。

年月が流れ、今回、国際交流基金の皆様のご尽力によって、再びインドネシアの若い世代と交流する機会をいただきました。私はあくまで島にいる一人の作り手として、その場に立たせていただいただけです。このような機会が実現したのは、長年にわたり両国をつなぎ、沖縄や琉球文化を丁寧に伝えてこられた国際交流基金の皆様の積み重ねがあってこそだと、強く感じています。

そして非常にありがたかったのは、インドネシアの学生たちのワークショップに対する集中力の高さでした。それはきっと、国際交流基金の皆様がこれまで沖縄のことや琉球文化を誠実に伝えてくださっていたからこそ生まれた姿勢なのだと感じました。少し脱線しますが、私の知っているインドネシアの人たちは、冗談を言い合い、おしゃべりを楽しみ、仕事の手を止めて笑い合い、冗談をバレーボールのラリーのように何度も転がしながら最後に大きな笑い声で締めくくる、そんな陽気で温かな人たちです。だからこそ、今回、紅型に向き合う彼らの真剣なまなざしを見たとき、正直なところ驚きと同時に深い感謝の気持ちが湧き上がりました。その背景には、沖縄という土地や文化に対する敬意を育ててくださった方々の存在があるのだと感じたからです。

かつて私は、インドネシアで学ぶ側でした。今回はほんのわずかな時間ですが、島の文化を紹介する側に立たせていただきました。しかし、それは「伝えた」というよりも、「共有させていただいた」という感覚に近いものです。紅型を通して語り合う時間は、私にとっても学びの連続でした。

今回の機会を通して改めて思ったのは、文化は誇示するものではなく、丁寧に手渡されるものだということです。大きな言葉で語る必要はなく、ただ真摯に向き合う姿勢があれば、その土地の魅力は自然と伝わっていくのだと感じました。

紅型の文様の奥には、島々を越えてきた記憶があります。中国の色、東南アジアの植物、日本の構成。それらが混じり合いながら、琉球というかたちになりました。だからこそ、再びインドネシアの若い世代と向き合えたことは、どこか円を描くような感覚がありました。

インドネシアで過ごした日々、支えてくださったJICAの皆様、今回の国際交流基金の取り組み、そして報道してくださったメディアの皆様。その積み重ねの上に、私はただ立たせていただいています。そのことを忘れずにいたいと思います。

波は絶えず寄せては返します。文化もまた、行き来しながら少しずつ形を変えます。私たちができるのは、その波の一部として、島の風や色を丁寧に手渡していくことだけなのかもしれません。

今回の経験を通して、改めて感じたのは、この島の文化を伝えられたことへの静かな喜びでした。そして同時に、これを読んでくださる皆さんとともに、この島の価値を見つめ直せたら嬉しく思います。

過去に学び、現在を受け取り、未来へと静かにつなぐ。
琉球文化は、これからも波を越えて、ゆっくりと続いていくのだと思います。

城間栄市プロフィール 

紅型に、時間と祈りを宿す

私は紅型を、単なる染色技法ではなく、
沖縄という土地で積み重ねられてきた時間や祈り、
そして暮らしの感覚を受け止める「文化の器」だと捉えています。

布に色を置くという行為の奥には、
自然へのまなざし、人への想い、
そして生き方そのものが静かに重なっています。
その感覚を、できるだけ正直に、今の時代の言葉と形で手渡していくこと。
それが、私が紅型と向き合い続ける理由です。


生い立ちと紅型との距離

1977年、沖縄県生まれ。
城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育ちました。

幼い頃から、工房は日常の延長線上にありました。
染料の匂い、布を干す風景、
職人たちの背中や交わされる何気ない会話。
それらは特別なものというより、生活の一部として、自然に身の回りにありました。

本格的に工房に入り、父のもとで修行を始めたのは、
沖縄県芸術祭「沖展」への初入選をきっかけとしています。
紅型を「受け継ぐもの」としてではなく、
自分自身の人生として引き受ける覚悟が、
そのとき初めて定まったように思います。


外の世界で学んだこと

2003年からの約2年間、
インドネシア・ジョグジャカルタに滞在し、
バティック(ろうけつ染)を学びました。

異なる気候、異なる宗教観、異なる生活のリズム。
その中で工芸がどのように根づき、人々の暮らしと結びついているのかを、
現地での生活を通して体感しました。

この経験は、
「伝統を守ること」と「変化を受け入れること」は、
決して相反するものではない、
という確信を私にもたらしました。


受賞・出展についての考え方

これまで、沖展、日本工芸会、西部伝統工芸展、
MOA美術館岡田茂吉賞など、
いくつかの評価や賞をいただいてきました。
また、文化庁主催の展覧会や、
「ポケモン工芸展」など、国内外に向けた企画展にも参加する機会を得ています。

こうした節目を迎えるたびに、
私自身の評価以上に、
紅型という存在を知ってもらう機会が広がっていくことに、
大きな喜びを感じています。

一つの作品が、
「沖縄にはこういう染め物があるのですね」
という小さな気づきにつながる。
その積み重ねこそが、紅型の未来を静かに支えていくのだと感じています。


制作について

制作では、伝統的な技法を大切にしながらも、
その時代、その感覚にしか生まれない表現を探り続けています。

代表作の一つである紅型着物《波の歌》では、
沖縄の海を泳ぐ生き物たちの姿を、
藍色を基調に、リズムと奥行きを意識して表現しました。

新しさを声高に主張するのではなく、
布に触れた人が、
どこか懐かしさや安心感を覚えるような仕事を目指しています。


今、そしてこれから

現在は、
城間びんがた工房十六代代表として制作を行いながら、
日本工芸会正会員、沖展染色部門審査員、
沖縄県立芸術大学非常勤講師としても活動しています。

これらの役割もまた、
紅型を「閉じた世界」に留めず、
次の世代や、まだ出会っていない人たちへと
静かにつないでいくための一つの手段だと考えています。

これからも、
展覧会やさまざまな協働を通して、
紅型という文化に触れる“入り口”を、少しずつ増やしていきたい。
それは広げるためというより、
必要な場所に、必要なかたちで、そっと灯りを置いていく
そんな感覚に近いものです。


おわりに

公式ホームページでは、
紅型の歴史や背景、制作に込めた考えを、
少し丁寧に言葉にして残しています。

Instagramでは、
職人の日常や工房の空気、
沖縄の光や緑の中で息づく紅型の表情を、
より身近な距離感でお伝えしています。

どちらも、紅型を「特別なもの」にするためではなく、
今を生きる私たちの暮らしと、
静かにつながる存在として感じていただくためのものです。

この場所を訪れてくださったことが、
紅型との、ささやかな出会いとなれば幸いです。

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