三十年後も、続いている同じ糸【工房時間】
2026.09.06
30年前に海を渡った言葉
ブラジルで育ち続ける紅型の物語
先日、ブラジルに暮らすソニアさんへ、久しぶりにメッセージを送りました。
「こんにちは、ソニアさん。お久しぶりです。沖縄の城間びんがた工房の城間栄市です」
そんな言葉から始まった、久しぶりのやり取りでした。
私は13期城間びんがた工房 城間栄市年前に工房を受け継ぎ、現在は26歳から73歳まで、22名の職人たちとともに紅型の仕事をしています。300年以上続いてきた工房を預かりながら、日々考えていることがあります。それは、紅型を「残す」ということは、いったいどういうことなのだろう、ということです。
昔と同じものをつくり続けることなのか。技法を正確に伝えることなのか。それとも、時代や土地が変わっても、誰かがもう一度「この文化が必要だ」と思えるような形へ育てていくことなのか。ソニアさんとの久しぶりのやり取りは、そのことを改めて考えさせてくれるものでした。
約30年前、城間びんがた工房で
ソニアさんは、約30年前、城間びんがた工房で紅型を学んでいました。当時、沖縄を離れ、ブラジルへ帰ることになったソニアさんに、私の父栄順が一つの言葉を伝えたそうです。
「何年かかったとしても、この技法をブラジルで広めてください」
今回、ソニアさんはそのときのことを、ポルトガル語のメッセージで私に教えてくれました。そして、
「それからもう30年近くが経ちましたが、私はその言葉をずっと心の中に持ち続けてきました」
と書いてくれました。
私はその文章を読んで、しばらくその言葉について考えていました。30年という時間は、とても長いものです。その間に、人も変わります。社会も変わります。工房も変わりました。紅型を取り巻く環境も、大きく変わっています。それでも、30年前に一人の人へ渡した言葉が、その人の心の中から消えず、海の向こうで生き続けていた。そのことに、私は不思議な感覚を覚えました。
文化は、人の中を旅する
私たちは工房で、毎日紅型をつくっています。図案を考え、型を彫り、糊を置き、色を差し、隈を取り、水元をする。そうした仕事を繰り返しながら、一枚の布を染め上げていきます。
紅型を未来へ残すと考えたとき、どうしても「作品」や「技術」に目が向きます。もちろん、それらを受け継ぐことは大切です。しかし、ソニアさんの話を聞いていると、文化にはもう一つの伝わり方があるのではないかと思いました。
それは、人の中を旅するということです。
一つの技術を教える。一緒に仕事をする。食事をする。失敗する。話をする。そして、別れ際に一言を渡す。その瞬間には、それが30年後にどんな意味を持つのか、誰にも分かりません。けれど、その言葉を受け取った人が、自分の人生の中で大切に育ててくれることがあります。
文化は、作品だけに宿るのではない。人の記憶や、人から人へ渡された言葉の中にも宿るのだと思います。


ブラジルで育った紅型
ブラジルへ帰ったソニアさんは、紅型との関わりを絶やすことなく、それをご自身のライフワークとして育てていきました。帰国後、紅型の先生となり、以来ずっと、紅型を人々に伝える活動を続けてこられたのです。今では、たくさんの生徒さんを持つ、ブラジルにおける紅型の先生になっています。
そうして紅型を教え続けてきた活動の中で、最近、沖縄のコミュニティと文化を表現する壁画制作のプロジェクトに参加する機会があったことも教えてくれました。
興味深かったのは、その表現の場所が「布」ではなく「壁」だったことです。紅型は、長い時間、布とともに育ってきた染色文化です。着物や帯など、人が身にまとうものを中心に、沖縄の自然や祈り、美意識を色と文様にしてきました。
ところが、ブラジルでソニアさんが向き合ったのは大きな壁面でした。布とはまったく違う素材です。最初は、紅型の表現をどのように壁へ落とし込めばよいのか、とても心配だったそうです。けれど、周囲には壁画制作を専門とするアーティストたちがいました。それぞれが持つ技術を持ち寄り、助け合いながら、一つの表現を完成させていったそうです。
その話を聞いたとき、私はとても面白いと思いました。沖縄で生まれた技術を、そのままブラジルへ移すのではない。紅型と、ブラジルの土地と、そこで活動する人たちの技術が出会い、新しい表現が生まれている。そこには、単なる「保存」とは違う文化の姿があります。受け継ぐことと、変わること
伝統工芸に携わっていると、「変えてはいけないもの」と「変わっていかなければならないもの」の間で考えることがよくあります。すべてを変えてしまえば、何を受け継いできたのか分からなくなる。けれど、何も変えなければ、文化が現在の暮らしから離れていくこともあります。その間にあるものを、私たちはいつも探しています。
ソニアさんがブラジルで取り組んでいることは、その一つの答えなのかもしれません。沖縄で学んだものを、そのまま再現するのではなく、自分が暮らす場所で、そこにいる人たちと一緒に考える。すると紅型は、「沖縄から持ってきたもの」から、その土地の人々と新しい関係をつくるものへ変わっていきます。
ソニアさんは、この壁画を通して、沖縄にルーツを持たない人たちにも紅型を知ってもらう機会になったと話してくれました。それは、とても大切なことだと思っています。
一つの首里城を、二つの土地で
今回のやり取りをしながら、私は以前ソニアさんと少し話していたことを思い出しました。首里城を題材にした図案です。
私はソニアさんへ、こんな提案をしました。同じ首里城の図案を共有して、沖縄とブラジル、それぞれの地域で制作してみませんか、と。
ソニアさんの「30年間、あの言葉を心に持っていた」という文章を読んだとき、この取り組みは30年前に渡された言葉の続きをつくることになるのではないかと感じたからです。
同じ図案を使ったとしても、沖縄とブラジルでまったく同じ作品が生まれるとは思っていません。むしろ、違っていてほしいと思います。沖縄には沖縄の光があります。ブラジルにはブラジルの光があります。土地が違えば、色の見え方も、人の感覚も違うでしょう。同じ首里城という図案が、それぞれの土地の人の手を通ったとき、どんな違いが生まれるのか。そこに私は、とても興味があります。
実は、この話は、もう少しだけ具体的に動き始めています。今年11月22日には、沖縄で首里城の復興にちなんだイベントが予定されています。そこに合わせて、私の工房で図案した小さな首里城の柄を、データにしてソニアさんへ送ろうと思っています。同じ一枚の図案を、沖縄とブラジル、それぞれの場所で紅型として染めてみる。まだ小さな、始まったばかりの試みですが、30年前に渡された一言の続きが、ようやく形になろうとしているのを感じています。
音楽が国境を越えるように
ソニアさんへの返信を書きながら、音楽のことを考えていました。音楽は、生まれた国を離れていきます。言葉が分からなくても、遠く離れた場所の人が同じ曲を聴き、心を動かされることがあります。そして、その土地の人が演奏すると、また少し違った音楽になっていきます。
紅型も、そんなふうに地域を越えることができないだろうか。もちろん、音楽のように世界中へ一気に広がるものではないかもしれません。もっと小さく、もっとゆっくりした歩みだと思います。
それでも、一つの図案が海を越える。一人の職人が誰かに技術を伝える。それを受け取った人が、自分の土地でまた誰かに見せる。その小さな連続によって、文化の届く場所は少しずつ広がっていきます。
30年後に分かること
今回、私が一番心に残ったのは、やはりソニアさんの、
「30年近く、その言葉を心に持っていました」
という言葉でした。
文化の仕事は、結果が出るまでに時間がかかります。今日教えたことが、明日形になるとは限りません。今日出会った人が、すぐに紅型を好きになるとも限りません。今日つくった作品が、100年後まで残っているかどうかも分かりません。
それでも、今日できることがあります。丁寧につくること。自分たちの仕事について話すこと。訪ねてくれた人を迎えること。そして、その人の中に何か一つ、小さなものを渡すこと。
30年前の城間先生も、自分が渡した一言が、30年後に沖縄へ戻ってくるとは想像していなかったかもしれません。けれど、その言葉はソニアさんの中で生き続けていました。そして今度は、私たちの世代がその続きを受け取っています。
沖縄とブラジルで同じ首里城を染める。もしそれが実現したら、それは単なる共同制作ではありません。30年前に渡された一つの言葉に、次の一行を書き加えることなのだと思います。そして、私たちがつくったものも、いつかまた誰かの手へ渡っていくのでしょう。
文化は、誰か一人が完成させるものではありません。一人が受け取り、自分の時間を重ね、また次の人へ渡していく。そうして長い時間をかけながら、少しずつ形を変え、生き続けていくものなのかもしれません。
ソニアさん、約30年もの間、城間びんがた工房で受け取ったものを大切に育ててくださり、本当にありがとうございます。いつか沖縄とブラジル、それぞれの土地で生まれた首里城の紅型を並べて見られる日を、楽しみにしています。
30年前に海を渡った一つの言葉が、今、もう一度動き始めています。そして今日、私たちが誰かへ渡す一言もまた、30年後、100年後のどこかで、新しい文化の始まりになっているのかもしれません。
城間栄市プロフィール
紅型に、時間と祈りを宿す
私は紅型を、単なる染色技法ではなく、
沖縄という土地で積み重ねられてきた時間や祈り、
そして暮らしの感覚を受け止める「文化の器」だと捉えています。
布に色を置くという行為の奥には、
自然へのまなざし、人への想い、
そして生き方そのものが静かに重なっています。
その感覚を、できるだけ正直に、今の時代の言葉と形で手渡していくこと。
それが、私が紅型と向き合い続ける理由です。

生い立ちと紅型との距離
1977年、沖縄県生まれ。
城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育ちました。
幼い頃から、工房は日常の延長線上にありました。
染料の匂い、布を干す風景、
職人たちの背中や交わされる何気ない会話。
それらは特別なものというより、生活の一部として、自然に身の回りにありました。
本格的に工房に入り、父のもとで修行を始めたのは、
沖縄県芸術祭「沖展」への初入選をきっかけとしています。
紅型を「受け継ぐもの」としてではなく、
自分自身の人生として引き受ける覚悟が、
そのとき初めて定まったように思います。
外の世界で学んだこと
2003年からの約2年間、
インドネシア・ジョグジャカルタに滞在し、
バティック(ろうけつ染)を学びました。
異なる気候、異なる宗教観、異なる生活のリズム。
その中で工芸がどのように根づき、人々の暮らしと結びついているのかを、
現地での生活を通して体感しました。
この経験は、
「伝統を守ること」と「変化を受け入れること」は、
決して相反するものではない、
という確信を私にもたらしました。
受賞・出展についての考え方
これまで、沖展、日本工芸会、西部伝統工芸展、
MOA美術館岡田茂吉賞など、
いくつかの評価や賞をいただいてきました。
また、文化庁主催の展覧会や、
「ポケモン工芸展」など、国内外に向けた企画展にも参加する機会を得ています。
こうした節目を迎えるたびに、
私自身の評価以上に、
紅型という存在を知ってもらう機会が広がっていくことに、
大きな喜びを感じています。
一つの作品が、
「沖縄にはこういう染め物があるのですね」
という小さな気づきにつながる。
その積み重ねこそが、紅型の未来を静かに支えていくのだと感じています。
制作について
制作では、伝統的な技法を大切にしながらも、
その時代、その感覚にしか生まれない表現を探り続けています。
代表作の一つである紅型着物《波の歌》では、
沖縄の海を泳ぐ生き物たちの姿を、
藍色を基調に、リズムと奥行きを意識して表現しました。
新しさを声高に主張するのではなく、
布に触れた人が、
どこか懐かしさや安心感を覚えるような仕事を目指しています。
今、そしてこれから
現在は、
城間びんがた工房十六代代表として制作を行いながら、
日本工芸会正会員、沖展染色部門審査員、
沖縄県立芸術大学非常勤講師としても活動しています。
これらの役割もまた、
紅型を「閉じた世界」に留めず、
次の世代や、まだ出会っていない人たちへと
静かにつないでいくための一つの手段だと考えています。
これからも、
展覧会やさまざまな協働を通して、
紅型という文化に触れる“入り口”を、少しずつ増やしていきたい。
それは広げるためというより、
必要な場所に、必要なかたちで、そっと灯りを置いていく
そんな感覚に近いものです。
おわりに
公式ホームページでは、
紅型の歴史や背景、制作に込めた考えを、
少し丁寧に言葉にして残しています。
Instagramでは、
職人の日常や工房の空気、
沖縄の光や緑の中で息づく紅型の表情を、
より身近な距離感でお伝えしています。
どちらも、紅型を「特別なもの」にするためではなく、
今を生きる私たちの暮らしと、
静かにつながる存在として感じていただくためのものです。
この場所を訪れてくださったことが、
紅型との、ささやかな出会いとなれば幸いです。

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