工房のみんなで父を祝った日【工房時間】
2026.03.07
父の92歳の誕生日
工房に流れる時間と、支えてくれている人たちへ
その日、工房にはいつもより少しゆっくりした時間が流れていました。
父の92歳の誕生日を、工房のみんなでお祝いした日でした。
父、城間栄順。
城間びんがた工房の15代目です。







私たちの工房には現在、72歳から24歳まで、約22名の職人やスタッフが一緒に仕事をしています。
その中で、一番年長なのが父です。
92歳になった今も、父は工房に来て、若い職人たちと話をしています。
昔の話をしたり、冗談を言ったり。
ときには静かに職人たちの仕事を眺めたり。
そんな光景を見るたびに、この工房には長い時間が流れているのだと感じます。
誕生日の日には、父の大好きなモンブランのケーキを用意しました。
ところがその日は少しお腹の調子が良くなかったようで、父はケーキには手をつけませんでした。
それでも、みんなでケーキを分けながら笑い合い、穏やかな時間を過ごしました。
大きな出来事ではありません。
けれど、その時間がとてもありがたく感じられました。
父は戦後の沖縄を生きてきた世代です。
父が子どもの頃の沖縄は、まだ戦争の傷跡が残る焼け野原のような場所でした。
小さな体でも、一つの労働力として復興の中で働いてきた世代です。
父の話を聞くと、今では想像できないような生活がそこにありました。
台風が来ると、家の屋根が飛んでしまうような家に住んでいたそうです。
台風の知らせが入ると、家族の衣類や布団をすべてドラム缶の中に詰め込み、そのドラム缶をひっくり返してブロックで押さえ、飛ばされないようにして台風をやり過ごしていたと言います。
そんな生活の中から、父は少しずつ工房の形を整えていきました。





父と同じ世代のびんがたの先生方の話を聞くと、昔はすぐに染めの仕事をさせてもらえるわけではなかったそうです。
庭づくりや工房の設備づくり。
周りの環境を整える仕事を長く続けながら、少しずつ仕事を覚えていったと聞きます。
今、工房を囲んでいるフクギの木があります。
このフクギの木は、かつてこの工房で働いていた職人たちが植えたものです。
長い年月の中で、木は大きく育ちました。
フクギは沖縄では防風林として植えられる木です。
台風の強い風から人の暮らしを守るための木です。
この工房も、そのフクギの木に守られています。
どんなに強い台風が来ても、フクギに囲まれた工房の中は比較的穏やかな空気が保たれます。
その景色を見るたびに思います。
この場所は、私たちの世代だけで作った場所ではない。
先人たちが長い時間をかけて整えてきた場所なのだと。
どんな時代になっても、ここでは静かにものづくりができるように。
そんな思いが、この場所には残っているのだと思います。
現在の工房の建物は、今から43年前に建てられたものです。
父はそのとき、日本各地の染色工房を見て回ったと聞いています。
石川県や京都など、さまざまな染色の現場を見て歩きました。
その中で、沖縄に合った染色工房とはどんな形なのかを考え、今の工房が作られました。
1階と3階が染色の仕事場。
2階が住居です。
生活をしながら、いつでも仕事に向かえるように。
仕事が日常のすぐそばにあるように。
そんな思いが、この建物の形になっています。
父が特にこだわっていたのは、工房を清潔に保つことでした。
染色の現場はどうしても色が飛び散ります。
多くの染色工房では、ある程度の汚れは仕方がないものとして受け止められることもあります。
しかし父は違いました。
「琉球の王族や士族の方々が着ていた着物を作る仕事だ。
きれいな場所でなければ、きれいな着物は作れない。」
そういう思いを強く持っていました。
その思いが、今の工房の姿につながっています。





92歳になった今も、父は工房で若い職人たちと話をしています。
昔の職人の話。
戦後の話。
そして仕事の話。
時には冗談を言いながら、楽しそうに話しています。
その光景を見ていると、この工房はただ仕事をする場所ではないのだと感じます。
人が関わり、時間が重なり、文化が続いていく場所。
父の誕生日を迎えたその日、そんなことを改めて思いました。
そして何よりも、今この工房で働いてくれている職人や仲間たちに、心から感謝しています。
びんがたは、一人では作れません。
多くの人の手が重なり、
多くの時間が積み重なり、
一枚の着物になります。
父が92歳の今も、この工房で過ごしていられるのは、今関わってくれている皆さんのおかげです。
びんがたを大切に思ってくださる方々、そしてこの工房で一緒に働いてくれている仲間たち。
その存在があってこそ、この文化は静かに続いていきます。
父の誕生日の日、
そのことを深く感じました。
城間栄市プロフィール
紅型に、時間と祈りを宿す
私は紅型を、単なる染色技法ではなく、
沖縄という土地で積み重ねられてきた時間や祈り、
そして暮らしの感覚を受け止める「文化の器」だと捉えています。
布に色を置くという行為の奥には、
自然へのまなざし、人への想い、
そして生き方そのものが静かに重なっています。
その感覚を、できるだけ正直に、今の時代の言葉と形で手渡していくこと。
それが、私が紅型と向き合い続ける理由です。

生い立ちと紅型との距離
1977年、沖縄県生まれ。
城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育ちました。
幼い頃から、工房は日常の延長線上にありました。
染料の匂い、布を干す風景、
職人たちの背中や交わされる何気ない会話。
それらは特別なものというより、生活の一部として、自然に身の回りにありました。
本格的に工房に入り、父のもとで修行を始めたのは、
沖縄県芸術祭「沖展」への初入選をきっかけとしています。
紅型を「受け継ぐもの」としてではなく、
自分自身の人生として引き受ける覚悟が、
そのとき初めて定まったように思います。
外の世界で学んだこと
2003年からの約2年間、
インドネシア・ジョグジャカルタに滞在し、
バティック(ろうけつ染)を学びました。
異なる気候、異なる宗教観、異なる生活のリズム。
その中で工芸がどのように根づき、人々の暮らしと結びついているのかを、
現地での生活を通して体感しました。
この経験は、
「伝統を守ること」と「変化を受け入れること」は、
決して相反するものではない、
という確信を私にもたらしました。
受賞・出展についての考え方
これまで、沖展、日本工芸会、西部伝統工芸展、
MOA美術館岡田茂吉賞など、
いくつかの評価や賞をいただいてきました。
また、文化庁主催の展覧会や、
「ポケモン工芸展」など、国内外に向けた企画展にも参加する機会を得ています。
こうした節目を迎えるたびに、
私自身の評価以上に、
紅型という存在を知ってもらう機会が広がっていくことに、
大きな喜びを感じています。
一つの作品が、
「沖縄にはこういう染め物があるのですね」
という小さな気づきにつながる。
その積み重ねこそが、紅型の未来を静かに支えていくのだと感じています。
制作について
制作では、伝統的な技法を大切にしながらも、
その時代、その感覚にしか生まれない表現を探り続けています。
代表作の一つである紅型着物《波の歌》では、
沖縄の海を泳ぐ生き物たちの姿を、
藍色を基調に、リズムと奥行きを意識して表現しました。
新しさを声高に主張するのではなく、
布に触れた人が、
どこか懐かしさや安心感を覚えるような仕事を目指しています。
今、そしてこれから
現在は、
城間びんがた工房十六代代表として制作を行いながら、
日本工芸会正会員、沖展染色部門審査員、
沖縄県立芸術大学非常勤講師としても活動しています。
これらの役割もまた、
紅型を「閉じた世界」に留めず、
次の世代や、まだ出会っていない人たちへと
静かにつないでいくための一つの手段だと考えています。
これからも、
展覧会やさまざまな協働を通して、
紅型という文化に触れる“入り口”を、少しずつ増やしていきたい。
それは広げるためというより、
必要な場所に、必要なかたちで、そっと灯りを置いていく
そんな感覚に近いものです。
おわりに
公式ホームページでは、
紅型の歴史や背景、制作に込めた考えを、
少し丁寧に言葉にして残しています。
Instagramでは、
職人の日常や工房の空気、
沖縄の光や緑の中で息づく紅型の表情を、
より身近な距離感でお伝えしています。
どちらも、紅型を「特別なもの」にするためではなく、
今を生きる私たちの暮らしと、
静かにつながる存在として感じていただくためのものです。
この場所を訪れてくださったことが、
紅型との、ささやかな出会いとなれば幸いです。

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