オリオンビールが結んだ夜―ゆんたくの灯り
2025.12.04
こんにちは。
いつも紅型を通して琉球の文化に触れてくださる皆さまに、心より感謝申し上げます。
沖縄という土地は、昔からさまざまな文化が入ってくる“入口”のような島です。
風も、人も、色も、自然と混ざり合い、急がず、決めつけず、どこか余白を残す。
私自身も、すぐに白黒つけず「なんでかねぇ」「だからねぇ」と言ってしまうところがあります。
工房の主としては少し頼りなく見えるかもしれませんが(笑)、
こうした“柔らかさ”もまた、沖縄らしさなのだと思っています。
そんな工房の日常で、先日少し心温まる出来事がありました。
今日はそのお話をしたいと思います。
◆
ある日、北部で薬局を営む友人・比嘉さんから突然の連絡がありました。
「同窓会メンバーで工房を見学したいんだけど、大丈夫かな?」
本来、工房は制作の流れがあるため、普段から見学をお受けしているわけではありません。
しかし比嘉さんの話を聞くと、同窓会の仲間たちで“沖縄の文化をめぐる旅”をしているとのこと。
立場も年齢も違う人たちが、島の文化を知ろうと時間をかけて歩いている。
なんだか、その姿勢そのものがとても素敵だと感じました。


本当なら私自身がお迎えしたかったのですが、
その日はどうしても外せない用事があり、工房にいることができませんでした。
代わりに、妻が見学をご案内してくれることになりました。
妻は普段から工房の空気をよく知っており、
紅型の話になると、私以上にやわらかい言葉で伝えられる人です。
見学を終えて帰ってきた妻の表情から、
「みんな喜んでいたよ」と語る声から、
その場に満ちていた温かな風が、しずかに伝わってきました。
そして帰り際、比嘉さんが手渡したというビール1ケース。
「今日は本当にありがとう。みんなで飲んでください」と。
私はその話を後から聞き、胸の奥にふっと火が灯るような感覚がありました。
――工房の“風土”が、またひとつ結ばれた。
◆
とはいえ、その頃の工房は年末進行で慌ただしく、
すぐに皆で集まることはできませんでした。
頂いたビールは、工房の奥で三週間ほど静かに眠っていました。
誰に促されるでもなく、自然と「そろそろ皆で飲もうか」という空気が漂い、
急遽、バーベキューをすることになったのです。
急な知らせだったため参加できない職人も多くいましたが、
集まれる人たちは、それぞれの予定をやりくりして庭に集まってきてくれました。
その日は、夕暮れに冷たい風が混ざって、
「外で火を囲むには今年はこれが最後だろう」と思わせるような季節でした。
◆
工房の庭は、祖父が晩年まで暮らしていた家に隣接しています。
祖父は戦後の焼け野原に戻り、三十八歳で「紅型を絶やしてはいけない」と誓い、
その人生を捧げた人でした。
首里城の再建を見届け、平成二年に亡くなりました。
その祖父の家は、昔から人が自然と集まる場所でした。
職業や立場を超えて、紅型に興味を持つ人、文化に関心を寄せる人が訪れました。
そこには、工芸という枠を越えた「場の引力」がありました。
技術だけではない、祖父が大切に育てた“風土”があったのです。
火を囲みながらふと庭に目を向けると、
そんな祖父の時代の気配が、静かに現在と重なってくる瞬間がありました。
◆
火のそばに座ると、人は肩書きや役割を外し、自然体に戻ります。
若手職人も、ベテランも、普段はあまり話す機会のない人も、
みんながただ“火を囲む仲間”としてそこにいる。
誰かが仕事の合間の話をして、
誰かが将来の挑戦を語り、
誰かは黙って火のゆらぎを眺めている。
紅型の制作は、集中力を必要とする孤独な世界です。
だからこそ、こうした時間が職人たちの“呼吸”になる。
工房は作品を生み出すだけの場所ではなく、
人の心がそっと休まる場所であってほしい――
その思いがふくらんでいきました。
これこそが、工房が育んできた“風土”なのだと感じました。
◆
祖父、父、そして私。
三人は性格も仕事観もまったく違いますが、
それぞれが“場のつくり方”を大切にしてきました。
祖父は強い志で人を惹きつけ、文化を支える大きな柱となった。
父は「持ち場をしっかりやりなさい」と言い続け、職人の専門性を尊重した。
そして私は、工房で過ごした時間がその人の人生の一部として、
「ここにいてよかった」と思える場でありたいと願っています。
この3つの時代を静かに通り抜けているもの――
それが、言葉にはしない「風土」です。
互いを強制せず、
誰かの価値観を否定せず、
親祖先の苦労と好奇心に敬意を払いながら、
また新しい挑戦へ向かっていく。
この風土は、簡単につくれるものではありません。
そして風土がなければ、どれほど新しい取り組みをしても、
それが根を張ることはありません。
私はいつも、この風土に支えられていることに深い感謝を覚えています。
◆
比嘉さんが届けてくれたビール1ケースは、
ただの差し入れではありませんでした。
私が不在の中で妻が受け取り、
工房の仲間が集まり、
火を囲んで語り合う時間へとつながっていった。
そこには祖父の時代から続く「集まる場所」の気配があり、
父が守り続けた工房の姿勢があり、
そして今、私たちが大切にしている“風土”が、たしかに息づいていました。
紅型の伝統は、技だけでは守れません。
人と人が集い、互いをそっと尊重し、
火の灯りの中で心をあたため合う。
その積み重ねこそが文化の根を支えるのです。
比嘉さん、そしてこの夜をともにしてくれた皆さん。
そして当日、私の代わりに工房をあたたかく迎えてくれた妻にも――
風土をつないでくれたことに、心からの感謝を。


LINE公式 https://line.me/R/ti/p/@275zrjgg

Instagram https://www.instagram.com/shiromabingata16/
公式ホームページでは、紅型の歴史や伝統、私自身の制作にかける思いなどを、やや丁寧に、文化的な視点も交えながら発信しています。一方でInstagramでは、職人の日常や工房のちょっとした風景、沖縄の光や緑の中に息づく“暮らしに根ざした紅型”の表情を気軽に紹介しています。たとえば、朝の染料作りの様子や、工房の裏庭で揺れる福木の葉っぱ、時には染めたての布を空にかざした一瞬の写真など、ものづくりの空気感を身近に感じていただける内容を心がけています。
紅型は決して遠い伝統ではなく、今を生きる私たちの日々とともにあるものです。これからも新しい挑戦と日々の積み重ねを大切にしながら、沖縄の染め物文化の魅力を発信し続けていきたいと思います。ぜひInstagramものぞいていただき、工房の日常や沖縄の彩りを一緒に楽しんでいただけたら嬉しいです。

城間栄市 プロフィール昭和52年(1977年)、沖縄県生まれ。
城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育つ。
学歴・海外研修
- 平成15年(2003年)より2年間、インドネシア・ジョグジャカルタ特別州に滞在し、バティック(ろうけつ染)を学ぶ。
- 帰国後は城間びんがた工房にて、琉球びんがたの制作・指導に専念。
受賞・展覧会歴
- 平成24年:西部工芸展 福岡市長賞 受賞
- 平成25年:沖展 正会員に推挙
- 平成26年:西部工芸展 奨励賞 受賞
- 平成27年:日本工芸会 新人賞を受賞し、正会員に推挙
- 令和3年:西部工芸展 沖縄タイムス社賞 受賞
- 令和4年:MOA美術館 岡田茂吉賞 大賞 受賞
- 令和5年:西部工芸展 西部支部長賞 受賞
主な出展
- 「ポケモン工芸展」に出展
- 文化庁主催「日中韓芸術祭」に出展
- 令和6年:文化庁「技を極める」展に出展
現在の役職・活動
- 城間びんがた工房 十六代 代表
- 日本工芸会 正会員
- 沖展(沖縄タイムス社主催公募展)染色部門 審査員
- 沖縄県立芸術大学 非常勤講師
プロフィール概要
はじめまして。城間びんがた工房16代目の城間栄市です。私は1977年、十五代・城間栄順の長男として沖縄に生まれ、幼いころから紅型の仕事に親しみながら育ちました。工房に入った後は父のもとで修行を重ねつつ、沖縄県芸術祭「沖展」に初入選したことをきっかけに本格的に紅型作家として歩み始めました。
これまでの道のりの中で、沖展賞や日本工芸会の新人賞、西部伝統工芸展での沖縄タイムス社賞・西部支部長賞、そしてMOA美術館の岡田茂吉賞大賞など、さまざまな賞をいただくことができました。また、沖展の正会員や日本工芸会の正会員として活動しながら、審査員として後進の作品にも向き合う立場も経験しています。
私自身の制作で特に印象に残っているのは、「波の歌」という紅型着物の作品です。これは沖縄の海を泳ぐ生き物たちの姿を、藍型を基調とした布に躍動感をもって表現したものです。伝統の技法を守りつつ、そこに自分なりの視点や工夫を重ねることで、新しい紅型の可能性を切り拓きたいという思いが込められています。こうした活動を通して、紅型が沖縄の誇る伝統工芸であるだけでなく、日本、そして世界に発信できるアートであると感じています。
20代の頃にはアジア各地を巡り、2003年から2年間はインドネシア・ジョグジャカルタでバティック(ろうけつ染)を学びました。現地での生活や工芸の現場を通して、異文化の技術や感性にふれ、自分自身の紅型への向き合い方にも大きな影響を受けました。伝統を守るだけでなく、常に新しい刺激や発見を大切にしています。
最近では、「ポケモン×工芸展―美とわざの大発見―」など、世界を巡回する企画展にも参加する機会が増えてきました。紅型の技法でポケモンを表現するというチャレンジは、私自身にとっても大きな刺激となりましたし、沖縄の紅型が海外のお客様にも響く可能性を感じています。
メディアにも多く取り上げていただくようになりました。テレビや新聞、ウェブメディアで工房の日常や制作現場が紹介されるたびに、「300年前と変わらない手仕事」に込めた想いを、多くの方に伝えたいと強く思います。