大阪万博行ってきました
2025.10.14
― 未来を見て、過去の手を思う ―
万博が終わりました。
一つの時間が、静かに幕を下ろしたような気がします。
世界中から人が集まり、それぞれの国が自分たちの「未来」を表現したこの祭典。
実際に訪れてみて、あらためてそのスケールと熱量に圧倒されました。
閉幕の少し前、会場を歩く機会を得ました。
入場ゲートの外からすでに、会場全体が一つの「動く都市」のように見えました。
人の波、光の流れ、音のざわめき。
それらが一体となって、まるで生き物のように鼓動している。
普段、静かな島で暮らしていると、あのような“エネルギーの密度”を感じることはあまりありません。
沖縄の時間は、風の流れと太陽の傾きでゆるやかに動く。
しかし、この場所では時間そのものが跳ねるように進んでいました。
人が集まるというだけで、これほどの熱量が生まれるものなのかと驚かされました。
入場まで長い列に並びながら、私は少しずつ周囲の空気に引き込まれていきました。
「この先に何があるのだろう?」
そんな純粋な好奇心が、久しぶりに胸の奥で灯ったのを覚えています。
未来を見る目と、過去を思う手
かつて、ある先輩がこんなことを言っていました。
「伝統的なものと、最先端のものには同じ根がある。」
当時はその言葉の意味がよく分かりませんでした。
しかし、万博の会場でその光景を目にしたとき、ふとその言葉を思い出しました。
そこでは、最新のテクノロジーやAI、サステナブルなエネルギー技術など、
“未来”を象徴する展示が数多くありました。
けれど、よく見ると、どの展示の根底にも「人の手の温度」がありました。
テクノロジーの奥には、誰かが思い描いた夢があり、
その夢を形にするための手仕事や工夫が必ず存在している。
それは、私たちが日々布を染め、色を重ねる仕事とも、実は同じ線上にあるのだと気づいたのです。
どんなに未来が進んでも、すべての“創造”は人の中から始まる。
その原点を、会場全体が静かに語っているように感じました。
空を切り取る大きな輪
会場の中央に立つ巨大な屋根構造――通称「大屋根リング」。
それを目にしたとき、息をのむような感覚がありました。
空を切り取るように広がるその輪は、
圧倒的なスケールでありながら、どこか人の心に寄り添うような柔らかさを持っていました。
素材には自然の木が使われ、
一見すると最新の建築技術の象徴のようでいて、
同時に「森」や「祈り」を感じさせる温もりがあったのです。
その瞬間、「技術」と「心」という二つの言葉が頭に浮かびました。
技術は進化し、形を変えていく。
けれど、そこに心が宿らなければ、人の記憶には残らない。
そして“心を伝える技術”こそが、長く受け継がれるものになるのだと。
私は立ち止まり、しばらく見上げていました。
光が差し込み、風が流れ、人々の声がその中を通り抜けていく。
「世界がひとつの屋根の下に集う」とは、こういうことなのかもしれない。
「これ以上の未来はあるのか」――その問いの先に
会場を訪れる前、心のどこかでこんなことを考えていました。
「人類はもう、やり尽くしてしまったのではないか。」
科学も技術も、表現も、想像も。
この先に“本当に新しい未来”なんてあるのだろうか――と。
しかし、その答えは万博の中にありました。
展示されているのは、機械や装置だけではありませんでした。
どの国のパビリオンにも、必ず「人」がいました。
歌う人、描く人、語る人、触れる人。
人がその場で感じ、考え、つくり続けていたのです。
未来とは、誰かが描いた理想の完成形ではなく、
人が動く限り、つねに更新されていく“今”の連なりなのだと気づきました。
「これ以上の未来はあるのか」
そう思っていた問いは、
「まだ、やることがある」という自分への返答に変わっていました。
ものづくりの原点へ
会場を歩きながら、自然と自分の仕事のことを考えていました。
手で染め、布に模様を写すという、何百年も変わらない行為。
一見すると古い営みのように見えますが、
その中にも無数の“未来”が眠っている。
そんな思いが、次々と湧き上がってきました。
それは、決して焦りではなく、
むしろ「まだ見ぬ未来と出会えるかもしれない」という静かな高揚感でした。
長く続いてきたものを守るということは、
形をそのまま残すことではなく、
そこに込められた精神や思想を、
今の時代に合わせて生き直すことなのだと思います。
そして、その試みこそが、伝統を“未来へ手渡す”という行為になるのだと。
光の中で見つけた、静かな希望
会場の出口に向かう途中、ふと振り返ると、
夕暮れの光が建築群をやわらかく包み込んでいました。
あれほどの人の波も、夕方にはどこか穏やかに流れていく。
その光景を見ながら、なぜか胸の奥が静かに満たされていくのを感じました。
「未来」は特別な場所にあるのではなく、
今、手を動かしているその瞬間に宿るのだと思いました。
人が夢を描き、形をつくる限り、
そこにはいつも新しい光が差し込む。
今回の万博は、
“人が生み出すものの力”と“心がつながることの意味”を
あらためて教えてくれた時間でした。
驚き、感動し、学び、そして感謝する。
そんな一つひとつの瞬間が積み重なって、
私たちの未来が形づくられていくのだと思います。
終わりに
ほんの数日の旅でしたが、
この国の「ものづくりの誇り」と「人の力」を
深く感じ取る時間になりました。
そして、当初抱いていた
「これ以上の未来があるのだろうか」という問いは、
今では「まだ、自分たちの手でつくれる未来がある」という確信に変わっています。
この経験を胸に、
私たちの仕事にも静かに重ねていきたいと思います。
伝統を通して未来を想い、
手を通して心を伝える――
その小さな積み重ねの中にこそ、
人が未来へ進む理由があるのだと信じています。







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Instagram https://www.instagram.com/shiromabingata16/
公式ホームページでは、紅型の歴史や伝統、私自身の制作にかける思いなどを、やや丁寧に、文化的な視点も交えながら発信しています。一方でInstagramでは、職人の日常や工房のちょっとした風景、沖縄の光や緑の中に息づく“暮らしに根ざした紅型”の表情を気軽に紹介しています。たとえば、朝の染料作りの様子や、工房の裏庭で揺れる福木の葉っぱ、時には染めたての布を空にかざした一瞬の写真など、ものづくりの空気感を身近に感じていただける内容を心がけています。
紅型は決して遠い伝統ではなく、今を生きる私たちの日々とともにあるものです。これからも新しい挑戦と日々の積み重ねを大切にしながら、沖縄の染め物文化の魅力を発信し続けていきたいと思います。ぜひInstagramものぞいていただき、工房の日常や沖縄の彩りを一緒に楽しんでいただけたら嬉しいです。

城間栄市 プロフィール昭和52年(1977年)、沖縄県生まれ。
城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育つ。
学歴・海外研修
- 平成15年(2003年)より2年間、インドネシア・ジョグジャカルタ特別州に滞在し、バティック(ろうけつ染)を学ぶ。
- 帰国後は城間びんがた工房にて、琉球びんがたの制作・指導に専念。
受賞・展覧会歴
- 平成24年:西部工芸展 福岡市長賞 受賞
- 平成25年:沖展 正会員に推挙
- 平成26年:西部工芸展 奨励賞 受賞
- 平成27年:日本工芸会 新人賞を受賞し、正会員に推挙
- 令和3年:西部工芸展 沖縄タイムス社賞 受賞
- 令和4年:MOA美術館 岡田茂吉賞 大賞 受賞
- 令和5年:西部工芸展 西部支部長賞 受賞
主な出展
- 「ポケモン工芸展」に出展
- 文化庁主催「日中韓芸術祭」に出展
- 令和6年:文化庁「技を極める」展に出展
現在の役職・活動
- 城間びんがた工房 十六代 代表
- 日本工芸会 正会員
- 沖展(沖縄タイムス社主催公募展)染色部門 審査員
- 沖縄県立芸術大学 非常勤講師
プロフィール概要
はじめまして。城間びんがた工房16代目の城間栄市です。私は1977年、十五代・城間栄順の長男として沖縄に生まれ、幼いころから紅型の仕事に親しみながら育ちました。工房に入った後は父のもとで修行を重ねつつ、沖縄県芸術祭「沖展」に初入選したことをきっかけに本格的に紅型作家として歩み始めました。
これまでの道のりの中で、沖展賞や日本工芸会の新人賞、西部伝統工芸展での沖縄タイムス社賞・西部支部長賞、そしてMOA美術館の岡田茂吉賞大賞など、さまざまな賞をいただくことができました。また、沖展の正会員や日本工芸会の正会員として活動しながら、審査員として後進の作品にも向き合う立場も経験しています。
私自身の制作で特に印象に残っているのは、「波の歌」という紅型着物の作品です。これは沖縄の海を泳ぐ生き物たちの姿を、藍型を基調とした布に躍動感をもって表現したものです。伝統の技法を守りつつ、そこに自分なりの視点や工夫を重ねることで、新しい紅型の可能性を切り拓きたいという思いが込められています。こうした活動を通して、紅型が沖縄の誇る伝統工芸であるだけでなく、日本、そして世界に発信できるアートであると感じています。
20代の頃にはアジア各地を巡り、2003年から2年間はインドネシア・ジョグジャカルタでバティック(ろうけつ染)を学びました。現地での生活や工芸の現場を通して、異文化の技術や感性にふれ、自分自身の紅型への向き合い方にも大きな影響を受けました。伝統を守るだけでなく、常に新しい刺激や発見を大切にしています。
最近では、「ポケモン×工芸展―美とわざの大発見―」など、世界を巡回する企画展にも参加する機会が増えてきました。紅型の技法でポケモンを表現するというチャレンジは、私自身にとっても大きな刺激となりましたし、沖縄の紅型が海外のお客様にも響く可能性を感じています。
メディアにも多く取り上げていただくようになりました。テレビや新聞、ウェブメディアで工房の日常や制作現場が紹介されるたびに、「300年前と変わらない手仕事」に込めた想いを、多くの方に伝えたいと強く思います。