波の歌が生まれる場所 〜紅型と海の物語〜
2025.01.22
はじめに – 紅型と琉球文化のつながり
こんにちは。いつもご覧いただき、本当にありがとうございます。皆さんの関心と好奇心が、紅型を通して琉球文化を広める大きな力となっていることに、心から感謝しています。
本日は、紅型が生まれる環境、そして私たちがインスピレーションを得る沖縄の自然についてお話ししたいと思います。
沖縄の海とものづくり
沖縄の人々にとって、海は常にそばにある存在です。紅型のデザインにも、波、貝殻、ヤドカリの足跡、浜辺の植物、太陽の下で咲く花々など、沖縄の海辺の風景が数多く取り入れられています。
私たち城間びんがた工房にとっても、海は創作の源であり、作品に多くの刺激を与えてくれる場所です。

特に「釣り」は、沖縄の生活と密接に結びついています。祖父の時代には、紅型の仕事だけでは生計を立てるのが難しく、釣りをしながら暮らしていた時期がありました。父の時代も同じく、日常の一部として海に出ていた記憶があります。
そして、私の世代になっても、海は家族と過ごす特別な場所であり、子どもたちと一緒に海へ行き、砂浜で魚を捕ったり、海の幸を探して食べてみたりすることが、日常の楽しみとなっています。

「波の歌」という作品について

今回ご紹介する 「波の歌」 という作品も、そんな海からのインスピレーションを受けて生まれました。
波を眺めていると、海の向こう側とこちら側が、波のリズムを通じてつながっているように感じることがあります。これは、琉球時代から続く沖縄と東南アジアの文化交流を象徴するようなイメージでもあります。
私は20代の頃、インドネシアに2年間留学していました。現地の友人たちは、どこか昔の沖縄の人たちのような温かさがあり、コミュニケーションの豊かさや包容力を感じる場面が何度もありました。
琉球の人々が何百年も前から海を越えて交流していたように、文化や言葉が波とともに流れ、交わり、新しいものを生み出してきたのかもしれません。
「波の歌」は、そんな “波が文化を運び、言葉が重なり合って歌になる” というイメージを込めてデザインした作品です。インドネシアで感じた沖縄との共通点や、海を越えたつながりを表現しています。
海と紅型 – これからも続くインスピレーション
沖縄の海は、ただ美しいだけでなく、歴史や文化、そして人々の暮らしを支えてきた存在でもあります。
これからも、紅型の制作を通じて、沖縄の自然や文化の魅力を伝えていけたらと思っています。







公式ホームページでは、紅型の歴史や伝統、私自身の制作にかける思いなどを、やや丁寧に、文化的な視点も交えながら発信しています。一方でInstagramでは、職人の日常や工房のちょっとした風景、沖縄の光や緑の中に息づく“暮らしに根ざした紅型”の表情を気軽に紹介しています。たとえば、朝の染料作りの様子や、工房の裏庭で揺れる福木の葉っぱ、時には染めたての布を空にかざした一瞬の写真など、ものづくりの空気感を身近に感じていただける内容を心がけています。
紅型は決して遠い伝統ではなく、今を生きる私たちの日々とともにあるものです。これからも新しい挑戦と日々の積み重ねを大切にしながら、沖縄の染め物文化の魅力を発信し続けていきたいと思います。ぜひInstagramものぞいていただき、工房の日常や沖縄の彩りを一緒に楽しんでいただけたら嬉しいです。

城間栄市 プロフィール昭和52年(1977年)、沖縄県生まれ。
城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育つ。
学歴・海外研修
- 平成15年(2003年)より2年間、インドネシア・ジョグジャカルタ特別州に滞在し、バティック(ろうけつ染)を学ぶ。
- 帰国後は城間びんがた工房にて、琉球びんがたの制作・指導に専念。
受賞・展覧会歴
- 平成24年:西部工芸展 福岡市長賞 受賞
- 平成25年:沖展 正会員に推挙
- 平成26年:西部工芸展 奨励賞 受賞
- 平成27年:日本工芸会 新人賞を受賞し、正会員に推挙
- 令和3年:西部工芸展 沖縄タイムス社賞 受賞
- 令和4年:MOA美術館 岡田茂吉賞 大賞 受賞
- 令和5年:西部工芸展 西部支部長賞 受賞
主な出展
- 「ポケモン工芸展」に出展
- 文化庁主催「日中韓芸術祭」に出展
- 令和6年:文化庁「技を極める」展に出展
現在の役職・活動
- 城間びんがた工房 十六代 代表
- 日本工芸会 正会員
- 沖展(沖縄タイムス社主催公募展)染色部門 審査員
- 沖縄県立芸術大学 非常勤講師
プロフィール概要
はじめまして。城間びんがた工房16代目の城間栄市です。私は1977年、十五代・城間栄順の長男として沖縄に生まれ、幼いころから紅型の仕事に親しみながら育ちました。工房に入った後は父のもとで修行を重ねつつ、沖縄県芸術祭「沖展」に初入選したことをきっかけに本格的に紅型作家として歩み始めました。
これまでの道のりの中で、沖展賞や日本工芸会の新人賞、西部伝統工芸展での沖縄タイムス社賞・西部支部長賞、そしてMOA美術館の岡田茂吉賞大賞など、さまざまな賞をいただくことができました。また、沖展の正会員や日本工芸会の正会員として活動しながら、審査員として後進の作品にも向き合う立場も経験しています。
私自身の制作で特に印象に残っているのは、「波の歌」という紅型着物の作品です。これは沖縄の海を泳ぐ生き物たちの姿を、藍型を基調とした布に躍動感をもって表現したものです。伝統の技法を守りつつ、そこに自分なりの視点や工夫を重ねることで、新しい紅型の可能性を切り拓きたいという思いが込められています。こうした活動を通して、紅型が沖縄の誇る伝統工芸であるだけでなく、日本、そして世界に発信できるアートであると感じています。
20代の頃にはアジア各地を巡り、2003年から2年間はインドネシア・ジョグジャカルタでバティック(ろうけつ染)を学びました。現地での生活や工芸の現場を通して、異文化の技術や感性にふれ、自分自身の紅型への向き合い方にも大きな影響を受けました。伝統を守るだけでなく、常に新しい刺激や発見を大切にしています。
最近では、「ポケモン×工芸展―美とわざの大発見―」など、世界を巡回する企画展にも参加する機会が増えてきました。紅型の技法でポケモンを表現するというチャレンジは、私自身にとっても大きな刺激となりましたし、沖縄の紅型が海外のお客様にも響く可能性を感じています。
メディアにも多く取り上げていただくようになりました。テレビや新聞、ウェブメディアで工房の日常や制作現場が紹介されるたびに、「300年前と変わらない手仕事」に込めた想いを、多くの方に伝えたいと強く思います。