首里城とともに育った文化 — 【イベント】
2026.08.24
皆さん、こんにちは。
紅型を通して、琉球の文化に興味を持っていただけていること。これは本当に、ありがたいことだなと感じています。
今日は少し、これからのことと、少しだけ昔のことをお話しさせてください。
実は今年、2026年の11月22日に、首里城が完成を迎える予定になっています。この数年、街や道路の整備、周辺の環境づくりなど、あちこちで少しずつ準備が進んでいるのを、皆さんも感じているかもしれません。私たち城間びんがた工房も、ありがたいことに、この復興に関わる仕事に少しだけ携わらせていただきました。
工房から首里城まで歩いていける距離に暮らしていると、日々の景色の中に、少しずつ形を整えていく首里城の姿を見ることになります。足場が組まれ、屋根の色が変わり、少しずつ、記憶の中にあった姿へと近づいていく。その過程を、特別なことのように毎日眺めているわけではありませんが、ふとした瞬間に、胸の奥が動くような感覚があります。
そんな今だからこそ、思い出したくなる話があります。
琉球王国の時代、紅型の材料は首里城から支給されていたと言われています。その材料を使いながら、代々の職人たちが、着物や生地を染めていた。そういう流れが、確かにあったのだそうです。
そしてその流れの、ずっと先に、今の私がいます。私は16代目にあたります。
私の祖父は、終戦を迎えたとき、38歳でした。避難生活が続く中、戦後わずか2年目には、もう紅型の仕事を始めていたと聞いています。
正直、この話を知ったとき、少し不思議な気持ちになりました。生きるだけで精一杯だったはずの時代に、なぜそんなに早く、手を動かし始めたのだろうと。
でも、今になって思うんです。それはきっと、生活のためだけではなかったんじゃないかと。
琉球という土地が、長い時間をかけて育んできた美意識。それを、この機会に手放してしまったら、二度と取り戻せないかもしれない。祖父の世代の人たちは、そんな危機感を、心のどこかに抱えていたのかもしれません。
琉球という場所は、決して大きな国ではありませんでした。小さな島々の集まりでありながら、一つの王国として存続し続けた。日本、中国、東南アジア。それぞれの大きな存在との関係を、慎重に、丁寧に保ちながら、自分たちだけの文化を、少しずつ育ててきたのです。
そうやって時間をかけて積み上げてきたものは、一度途切れてしまうと、取り戻すのにとても大きな時間と労力がかかります。おそらく祖父も、そのことを、身をもって感じていたのではないかと思います。
考えてみると、文化というのは、目に見える形として残っているものだけでできているわけではありません。技術や図案そのものはもちろん大切ですが、それ以上に「これを大切にしよう」と思う気持ちの連なりが、途切れずに続いていくことこそが、文化の本体なのかもしれません。
祖父の時代、周りには紅型どころではない現実がいくらでもあったはずです。食べるもの、住む場所、日々の安全。優先すべきことは、他にいくらでもあったと思います。それでも、なぜ祖父は、戦後わずか2年という早さで、染めの仕事に戻ったのか。
私は、これを「経済的な必要性」だけでは説明できないと感じています。もちろん、生活のための収入という側面もあったでしょう。けれど、それだけでは、あの時代にあれほど早く手を動かし始めた理由としては、少し弱い気がするのです。
もしかしたら祖父にとって、紅型を染めるという行為そのものが、「自分たちがどういう人間であったか」を確かめる作業だったのかもしれません。戦争によって、街も、暮らしも、日常も、大きく姿を変えてしまった。それでも、色を選び、型を置き、布に落としていくという手の動きの中には、変わらずに残っているものがある。そのことを、自分自身で確かめたかったのではないかと、勝手ながら想像しています。
だからこそ、戦後の混乱の中でも、手を止めなかった。
そんな時代のことを、今こうして振り返る機会があること自体が、私にとっては大切な意味を持っています。文化をどう伝えていくか。文化をどう循環させていくか。そして、文化をどうやって未来へつないでいくか。そうしたことを、あらためて考えるきっかけになればいいなと思い、今回の企画を思いつきました。
とはいえ、そんなに大げさなことをしようとしているわけではありません。
正直に言うと、私がやったのは「集まるきっかけを作った」ということだけです。特別な仕掛けがあるわけでも、壮大なテーマがあるわけでもありません。ただ、この場所に足を運んでくれた方たちと、少しでも言葉を交わせたら。それだけで、十分意味のあることだと思っています。
今回のギャラリーでの展示について、少しだけ内容にも触れておきますね。
当時、祖父たちは、首里城をモチーフにした図案を、たくさん残しています。中には、長い年月の中で、ほんの少し破れてしまったものもあります。
そうした、完璧ではないものも含めて、今回は展示しようと思っています。きれいに整った作品だけでなく、時間の跡が残ったものにも、それはそれで見てほしい理由があるからです。
紙が破れているということは、それだけ長く、誰かの手元にあったということでもあります。大切にしまわれていただけでなく、実際に使われ、触れられ、時には持ち運ばれた形跡でもあるのだと思います。そういう「使われてきた時間」ごと、皆さんに見ていただけたらと思っています。
きれいな状態で残っている図案からは、当時の技術や色使いを読み取ることができます。一方で、少し傷んだ図案からは、それがどれだけ日常の中で使われてきたか、どれだけ多くの手を経てきたかという、また別の情報が伝わってきます。私たちは普段、完成された美しさばかりに目を向けがちですが、こうした痕跡の中にこそ、その物が歩んできた時間そのものが刻まれているのではないかと思うのです。
今回の展示では、そうした「完璧ではないもの」も含めて、あえて手を加えずに並べようと思っています。修復して美しく見せることも一つの方法ですが、今回はそうせず、時間の経過そのものを、そのままの姿で受け取っていただきたいと考えました。
首里城が完成に近づいていくこのタイミングで、あらためて、焼け野原から紅型を描き起こした祖父の時代のことを振り返る。それは、単なる懐古ではなく、今の私たちが、これから何を残していくべきかを考えるための、一つの手がかりになるのではないかと思っています。
私自身、まだまだ答えを持っているわけではありません。文化をつなぐという行為に、これが正解というものはないのだと思います。ただ、少なくとも、立ち止まって考える時間を持つこと。そして、同じように文化に関心を寄せてくれる方たちと、一緒にその時間を過ごすこと。それ自体に、価値があるのではないかと感じています。
正直なところ、工房を続けていく中で、迷うことは今でもたくさんあります。昔ながらのやり方をどこまで守るべきか。新しい表現に、どこまで挑戦していいのか。効率を優先すべき場面と、時間をかけるべき場面の境目は、いつも簡単には見えてきません。
それでも、こうして立ち止まり、祖父の時代の選択を振り返ることで、少しだけ見えてくるものがあります。答えを急いで出す必要はなくて、迷いながらでも、手を動かし続けることの方が大切なのかもしれない。祖父の背中から、そんなことを教えてもらっている気がしています。
もしよろしければ、今回の展示に足を運んでいただき、当時の図案や、今も受け継がれている染めの仕事を、実際にご覧いただけたら嬉しいです。
説明を聞くだけでなく、実際にその場に立って、紙の質感や、色の重なりを目にすることで、初めて伝わるものもあると思っています。
首里城という場所が、これからまた新しい時間を刻み始めようとしている今、私たちの工房も、次の世代へ何を手渡していけるのか、あらためて考えながら、日々の仕事に向き合っていきたいと思っています。
11月22日という日は、多くの方にとって、首里城が新しい姿を見せる特別な日として記憶されると思います。私にとっても、もちろんそうなのですが、それと同時に、祖父が生きた時代から続く、長い長い時間の一つの節目でもあるように感じています。焼け野原から一枚の紅型を描き起こした時間と、これから新しく生まれ変わる首里城の時間が、どこかで静かに重なり合う。そんな感覚を、勝手ながら抱いています。
だからこそ、この節目の年に、当時の図案をあらためて皆さんにお見せしたいと思ったのだと思います。派手な記念行事ではなく、静かに、当時の時間を今の時間と重ねてみる。そんな機会に、少しでもなれたらいいなと思っています。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
これからも、紅型という小さな窓を通して、琉球の文化に触れていただける機会を、少しずつ作っていけたらと思っています。どうぞ、これからもよろしくお願いいたします。


城間栄市プロフィール
紅型に、時間と祈りを宿す
私は紅型を、単なる染色技法ではなく、
沖縄という土地で積み重ねられてきた時間や祈り、
そして暮らしの感覚を受け止める「文化の器」だと捉えています。
布に色を置くという行為の奥には、
自然へのまなざし、人への想い、
そして生き方そのものが静かに重なっています。
その感覚を、できるだけ正直に、今の時代の言葉と形で手渡していくこと。
それが、私が紅型と向き合い続ける理由です。

生い立ちと紅型との距離
1977年、沖縄県生まれ。
城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育ちました。
幼い頃から、工房は日常の延長線上にありました。
染料の匂い、布を干す風景、
職人たちの背中や交わされる何気ない会話。
それらは特別なものというより、生活の一部として、自然に身の回りにありました。
本格的に工房に入り、父のもとで修行を始めたのは、
沖縄県芸術祭「沖展」への初入選をきっかけとしています。
紅型を「受け継ぐもの」としてではなく、
自分自身の人生として引き受ける覚悟が、
そのとき初めて定まったように思います。
外の世界で学んだこと
2003年からの約2年間、
インドネシア・ジョグジャカルタに滞在し、
バティック(ろうけつ染)を学びました。
異なる気候、異なる宗教観、異なる生活のリズム。
その中で工芸がどのように根づき、人々の暮らしと結びついているのかを、
現地での生活を通して体感しました。
この経験は、
「伝統を守ること」と「変化を受け入れること」は、
決して相反するものではない、
という確信を私にもたらしました。
受賞・出展についての考え方
これまで、沖展、日本工芸会、西部伝統工芸展、
MOA美術館岡田茂吉賞など、
いくつかの評価や賞をいただいてきました。
また、文化庁主催の展覧会や、
「ポケモン工芸展」など、国内外に向けた企画展にも参加する機会を得ています。
こうした節目を迎えるたびに、
私自身の評価以上に、
紅型という存在を知ってもらう機会が広がっていくことに、
大きな喜びを感じています。
一つの作品が、
「沖縄にはこういう染め物があるのですね」
という小さな気づきにつながる。
その積み重ねこそが、紅型の未来を静かに支えていくのだと感じています。
制作について
制作では、伝統的な技法を大切にしながらも、
その時代、その感覚にしか生まれない表現を探り続けています。
代表作の一つである紅型着物《波の歌》では、
沖縄の海を泳ぐ生き物たちの姿を、
藍色を基調に、リズムと奥行きを意識して表現しました。
新しさを声高に主張するのではなく、
布に触れた人が、
どこか懐かしさや安心感を覚えるような仕事を目指しています。
今、そしてこれから
現在は、
城間びんがた工房十六代代表として制作を行いながら、
日本工芸会正会員、沖展染色部門審査員、
沖縄県立芸術大学非常勤講師としても活動しています。
これらの役割もまた、
紅型を「閉じた世界」に留めず、
次の世代や、まだ出会っていない人たちへと
静かにつないでいくための一つの手段だと考えています。
これからも、
展覧会やさまざまな協働を通して、
紅型という文化に触れる“入り口”を、少しずつ増やしていきたい。
それは広げるためというより、
必要な場所に、必要なかたちで、そっと灯りを置いていく
そんな感覚に近いものです。
おわりに
公式ホームページでは、
紅型の歴史や背景、制作に込めた考えを、
少し丁寧に言葉にして残しています。
Instagramでは、
職人の日常や工房の空気、
沖縄の光や緑の中で息づく紅型の表情を、
より身近な距離感でお伝えしています。
どちらも、紅型を「特別なもの」にするためではなく、
今を生きる私たちの暮らしと、
静かにつながる存在として感じていただくためのものです。
この場所を訪れてくださったことが、
紅型との、ささやかな出会いとなれば幸いです。

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