紅型に宿る時の記憶——過去が未来を織りなし、今を染める

1958年の琉球文化——写真に刻まれた紅型の記憶

皆さん、こんにちは!
いつも琉球文化に興味を持っていただき、本当にありがとうございます。紅型を通じて、琉球文化が広がっていくことに心から感謝しています。皆様の関心と好奇心が、私たちの大きな励みとなっています。日々、工芸を仕事として生きていけることに、改めて喜びを感じる瞬間です。

かつて琉球時代の職人たちは、王族のための仕事に従事していたため、毎朝水で体を清めてから仕事に向かっていたと言われています。芭蕉布の人間国宝・平良敏子先生も、毎朝鏡に向かい、「今日も嘘のない仕事をさせてください」と祈りを捧げ、ものづくりに向き合っていたそうです。これは、限られた資源の中で、誠実に生きてきた先人たちの「仕事への姿勢」を象徴しているのかもしれません。

1958年の写真から見える父の視点

1958年台の沖縄(撮影 城間栄順)
1958年代 首里の工房(撮影 城間栄順)

最近、家を整理していた際に、戦後10年ほど経った 1958年頃の貴重な写真 が多数見つかりました。このホームページでぜひ皆さんと共有したいと思い、掲載しています。これらの写真は、当時 24歳だった私の父城間栄順 が撮影したものです。

父は カメラが趣味 で、一眼レフカメラを所有していました。1950年代に一眼レフを持つことは、当時の沖縄では相当恵まれた環境だったのではないかと思います。そして、祖父・栄喜が紅型の復興に全力を注いでいた傍らで、その姿や当時の生活の様子を記録し続けることが、父にとっての使命だったのかもしれません

父の視点で撮られた写真の中には、当時の職人たちの生き生きとした表情が収められており、非常にリアルで温かみのあるものばかりです。紅型を支えてきた人々の姿や、その時代ならではの雰囲気が鮮明に伝わってきます。

山下清先生と工房でのワークショップ

さらに驚くべきことに、写真の中には 文化人・山下清先生 が 文化庁の皆様とともに工房を訪れた際の様子 も残っていました。先生は当工房でのワークショップで紅型を体験され、その体験を通して 実際に作品を制作された そうです。

私は山下先生の図録などを通して、この出来事について知っていましたが、こうして リアルな写真として残っていたことは発見でした。先生の視点から見た沖縄の工芸、そして紅型という文化がどのように映っていたのか、その記録を見返すたびに大変勉強になります。

城間びんがた工房に作家の山下清さんが来ました。
工房で「筒描き」のワークショップをして山下清さんが制作した。
山下清さんが筒描きをしています

時を超えて繋がる想い——写真に映る過去と、今を生きる私たち

猫と見つめあってます
制作風景
制作風景
制作風景
制作風景
1958年代の城間栄順当時24歳 (城間家15代)
父(城間栄順)

ここまでご覧いただき、本当にありがとうございます。皆さんと一緒にこの写真を見てきたような気持ちになりました。

私が聞いていた沖縄戦の話は、想像を絶する悲惨なものです。確かに、この地では信じがたいほど過酷な現実があったのでしょう。しかし、写真に映る人々の表情や姿勢には、そんな過去の悲壮感ではなく、むしろ力強さと柔軟な思考を感じます。彼らは、与えられた環境の中でできる限りの努力をし、前を向いて生きていたのではないでしょうか。

正直に言うと、今の時代にこれほど大きな紅型を作っても、誰が買うのだろう?と、冷静な視点で考えてしまうこともあります。しかし、この写真の中の職人たちは、ただ生きるためではなく、誇りを持って染め続けていました。戦後の厳しい時代にあっても、彼らは日々の仕事に誠実に向き合い、未来へと繋ぐために、紅型を染め続けていたのです。

時代が移り変わり、価値観が目まぐるしく変化し、未来が見えにくい現代に生きる私たち。それでも、彼らと同じように、私たちも今できることに誠実に、柔軟に、そして力強く向き合うことが大切なのではないか。この写真は、そんなシンプルで大切なことを私に語りかけているように感じました。

写真に映る人々が、何十年もの時を超えて、私たちに伝えてくれているもの。それは「考えすぎず、現代を憂うことなく、ただコツコツと今できることを続ける」という姿勢なのかもしれません。そう気づかせてくれるこの写真に、私は初心に戻る思いです。

今日もまた、自分との約束を守り、自分が本当にやりたいことに向かって仕事に取り組みます。ここまで見ていただき、本当にありがとうございました。皆様の好奇心が、私たちの何よりの支えです。

公式ホームページでは、紅型の歴史や伝統、私自身の制作にかける思いなどを、やや丁寧に、文化的な視点も交えながら発信しています。一方でInstagramでは、職人の日常や工房のちょっとした風景、沖縄の光や緑の中に息づく“暮らしに根ざした紅型”の表情を気軽に紹介しています。たとえば、朝の染料作りの様子や、工房の裏庭で揺れる福木の葉っぱ、時には染めたての布を空にかざした一瞬の写真など、ものづくりの空気感を身近に感じていただける内容を心がけています。

紅型は決して遠い伝統ではなく、今を生きる私たちの日々とともにあるものです。これからも新しい挑戦と日々の積み重ねを大切にしながら、沖縄の染め物文化の魅力を発信し続けていきたいと思います。ぜひInstagramものぞいていただき、工房の日常や沖縄の彩りを一緒に楽しんでいただけたら嬉しいです。

城間栄市 プロフィール昭和52年(1977年)、沖縄県生まれ。

城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育つ。

学歴・海外研修

  • 平成15年(2003年)より2年間、インドネシア・ジョグジャカルタ特別州に滞在し、バティック(ろうけつ染)を学ぶ。
  • 帰国後は城間びんがた工房にて、琉球びんがたの制作・指導に専念。

受賞・展覧会歴

  • 平成24年:西部工芸展 福岡市長賞 受賞
  • 平成25年:沖展 正会員に推挙
  • 平成26年:西部工芸展 奨励賞 受賞
  • 平成27年:日本工芸会 新人賞を受賞し、正会員に推挙
  • 令和3年:西部工芸展 沖縄タイムス社賞 受賞
  • 令和4年:MOA美術館 岡田茂吉賞 大賞 受賞
  • 令和5年:西部工芸展 西部支部長賞 受賞

主な出展

  • 「ポケモン工芸展」に出展
  • 文化庁主催「日中韓芸術祭」に出展
  • 令和6年:文化庁「技を極める」展に出展

現在の役職・活動

  • 城間びんがた工房 十六代 代表
  • 日本工芸会 正会員
  • 沖展(沖縄タイムス社主催公募展)染色部門 審査員
  • 沖縄県立芸術大学 非常勤講師

プロフィール概要

はじめまして。城間びんがた工房16代目の城間栄市です。私は1977年、十五代・城間栄順の長男として沖縄に生まれ、幼いころから紅型の仕事に親しみながら育ちました。工房に入った後は父のもとで修行を重ねつつ、沖縄県芸術祭「沖展」に初入選したことをきっかけに本格的に紅型作家として歩み始めました。

これまでの道のりの中で、沖展賞や日本工芸会の新人賞、西部伝統工芸展での沖縄タイムス社賞・西部支部長賞、そしてMOA美術館の岡田茂吉賞大賞など、さまざまな賞をいただくことができました。また、沖展の正会員や日本工芸会の正会員として活動しながら、審査員として後進の作品にも向き合う立場も経験しています。

私自身の制作で特に印象に残っているのは、「波の歌」という紅型着物の作品です。これは沖縄の海を泳ぐ生き物たちの姿を、藍型を基調とした布に躍動感をもって表現したものです。伝統の技法を守りつつ、そこに自分なりの視点や工夫を重ねることで、新しい紅型の可能性を切り拓きたいという思いが込められています。こうした活動を通して、紅型が沖縄の誇る伝統工芸であるだけでなく、日本、そして世界に発信できるアートであると感じています。

20代の頃にはアジア各地を巡り、2003年から2年間はインドネシア・ジョグジャカルタでバティック(ろうけつ染)を学びました。現地での生活や工芸の現場を通して、異文化の技術や感性にふれ、自分自身の紅型への向き合い方にも大きな影響を受けました。伝統を守るだけでなく、常に新しい刺激や発見を大切にしています。

最近では、「ポケモン×工芸展―美とわざの大発見―」など、世界を巡回する企画展にも参加する機会が増えてきました。紅型の技法でポケモンを表現するというチャレンジは、私自身にとっても大きな刺激となりましたし、沖縄の紅型が海外のお客様にも響く可能性を感じています。

メディアにも多く取り上げていただくようになりました。テレビや新聞、ウェブメディアで工房の日常や制作現場が紹介されるたびに、「300年前と変わらない手仕事」に込めた想いを、多くの方に伝えたいと強く思います。