笑い声から生まれる、カラフル琉球時間

紅型を通して琉球文化を感じていただけることに、いつも深く感謝しております。皆さまから寄せられる関心や応援が、城間びんがた工房の活動を支える大きな力になっています。作品づくりは、一見華やかに映るかもしれませんが、背後には多くの時間と手間が要ります。それでも、その過程で得られる充実感は何ものにも代えがたく、私は工房の経営者・そして一人の作家として、こうして創作を続けていけることを心から幸せに感じています。


作品づくりが生み出す“時間の重み”

伝統工芸の世界では、一点の作品を仕上げるまでに非常に長い時間がかかります。紅型の場合、イメージの構想から下絵、糊置き、染色、蒸し、洗いといった行程を何度も繰り返し、ようやく一枚の布に命が吹き込まれるのです。新しい表現を試そうとするたびに一から挑戦する必要があり、実際には「これを作ってみたい」という思いは常に山ほどあっても、なかなか追いつけません。

しかし、この一見遠回りな手順こそが、紅型という伝統工芸の真髄ではないでしょうか。もし効率ばかりを重視していたら、紅型特有の深みや奥行きには到達できないと思います。手間ひまを惜しまず注ぎ込むことで、琉球文化独自の色や形、そしてそれを生み出す想いへとじっくり向き合えるのです。


朝の工房2025年2月26日

“技法の実験”という姿勢が生む新しさ

若いころから私は、「技法の実験」を大事にしてきました。紅型という伝統的な枠組みを尊重しつつ、新たな色遣いや道具の活用法を探究し、これまでにない作品世界を拓けないかと考え続けています。きっかけは、母との藍染め体験から得たインスピレーションでした。

藍染めは、還元によって初めて色を授ける“生きもの”のような染色法です。藍甕(あいがめ)の温度やpH、空気との触れ合い方がわずかに変わるだけで、布に宿る青の濃淡や深みは劇的に揺らぎます。びんがた染めが顔料を制御しながら狙いどおりの発色を追求できるのに対し、藍染めでは藍そのものの呼吸を読み取り、その瞬間にしか現れない色を迎え入れる姿勢が欠かせません。

十代の私は、母と並んで藍甕の表面に浮かぶ藍の“華”を観察し、祈るような気持ちで布を浸け、空気にさらし、再び沈める工程を何度も繰り返しました。淡い黄緑が徐々に澄んだ藍へと変わるたび、自然と対話しながら創造する歓びと畏れの両方を学んだのです。

20代半ばには公募展に挑戦して作家活動を本格化し、インドネシアでの染色技術の学びを経て、紅型の無限の可能性を目の当たりにしました。しかし、頭の中にアイデアは山ほどあっても、自分の体は一つ。時間も限られている中で、すべてを同時進行するのは難しいものです。そこで「未完成でも形にしてみる」という意識を持ち続けています。結果的に私自身のイメージから外れた作品が生まれることもありますが、「新しい試みに挑む」姿勢こそが次の可能性を拓く扉だと信じています。


目に見えない“形にならない時間”の大切さ

作品制作では、手を動かす以前の時間—具体的には、イメージをまとめたり、色の組み合わせを頭の中で組み立てたり、失敗経験から改良点を抽出したりするプロセス—がとても重要です。この「形にならない時間」が、紅型のような伝統工芸における深い魅力を支えていると感じます。

紅型の場合、ほんの少し色合いや模様のサイズを変えるだけで、作品全体の雰囲気は大きく変わります。伝統的な柄にあえて個性的なアレンジを加えると、新たな美や発見が生まれるのです。実際に作業してみると、「ここはこうすればよかった」「思いがけず良い効果が出た」といった学びが積み重なり、次の作品へと活かされていきます。


日本伝統工芸展に見る継続と深化

伝統工芸に興味をもつ方には、日本伝統工芸会公式サイトもぜひご覧いただきたいです。全国から集まる多彩な作家たちが、それぞれの技と美意識を作品に託しています。紅型の分野でも、従来の意匠に現代的な感性をかけ合わせ、さまざまな試みがなされています。それを何十年にもわたって続けることこそ、技術の深化や作家自身の成長を促す道と言えるでしょう。

私の作品も、長く見守ってくださる方には「前と雰囲気が違う」「少し揺らいで見える」と言われることがあるかもしれませんが、それこそが私が新しい表現を模索し続ける証です。今の段階では“試行錯誤”に映る部分が、将来的に振り返ったときに大きな進歩に繋がっている—ものづくりの面白さは、まさにそういうところにあるのです。


髪の毛の筆を作っている 父 栄順15代
制作風景 24歳の父(栄順15代)

父の背中から学んだ“紅型”の基礎

子どもの頃、父が紅型の図案を描く姿を横で眺めては、疑問と感嘆を同時に抱いていました。薄紙に迷うことなく線を走らせ、複雑な図柄をすらすらと描き上げる。その傍らには、祖父や父が残した古い型紙や図案が大量に保管されており、世代を経て積み重なってきた意匠の歴史を実感したものです。

私にとってこの工房は、遊び場であり、学びの場であり、そして将来に思いを馳せる原点でもありました。職人たちがまっすぐな表情で布に向かう姿を見続けるうちに、技術は簡単には身につかないし、時に失敗を糧にする必要があることを体得しました。加えて、沖縄特有の環境や日常の暮らしが染色デザインにも表れるのだと感じたのです。


創作への問いかけと自分との対話

作品を作るたびに、新たな発見や学びが芽生えます。大きな失敗で落ち込む日もあれば、意外な成功に手応えを感じる日もある。その繰り返しが、私自身の歴史となってきました。「今は何でもないと思ったことが、10年後に違う意味を持つことがある」という考え方が、私を支えてくれています。私にとって“作る”ことは、自分自身と対話し続ける長いプロセスなのだと思います。

47歳になってから特に、「父や祖父、先輩職人たちは何を目指していたんだろう」と振り返る時間が増えました。単に美しい模様を描くのではなく、琉球の歴史や風土をより深く探ろうとしていたのではないか—そんな想像をめぐらせながら、私も自分の作品を通じて“琉球のこころ”とは何かを探しています。


今後の展望──挑戦を続け、紅型の未来をつなぐ

紅型の図案は、沖縄の自然や風土、人々の暮らしが色濃く反映されています。時代の流れに合わせて変化し続けてきたのは、伝統がずっと生きている証です。先人たちは新しい価値観を少しずつ取り込みながらも、古い技術を守り抜いてきました。私もその流れの中に存在する一人として、「実験的な作品」も大切な一歩だと捉えています。

先人が残した図案には「琉球の色とは何か」「琉球の形とは何か」が問われており、私はそこに「琉球のこころとは何か」という視点を加えようと試みています。明確な答えが得られなくとも、問い続けることこそが未来の可能性を拓く鍵になるのだと信じています。

これからも城間びんがた工房では、古い伝統を守りながら新たな挑戦を続けていきます。失敗や周囲の理解を得にくいような冒険もあるかもしれませんが、それらすべてが、紅型という文化を生き生きとした姿で保つ原動力になるはずです。

皆さまの応援や興味は、作品づくりへの大きな励みです。工房で生まれる“ちいさな発見”や“大きな驚き”を共有し、琉球の風土が育んだ深い文化をこれからも発信してまいります。どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。

公式ホームページでは、紅型の歴史や伝統、私自身の制作にかける思いなどを、やや丁寧に、文化的な視点も交えながら発信しています。一方でInstagramでは、職人の日常や工房のちょっとした風景、沖縄の光や緑の中に息づく“暮らしに根ざした紅型”の表情を気軽に紹介しています。たとえば、朝の染料作りの様子や、工房の裏庭で揺れる福木の葉っぱ、時には染めたての布を空にかざした一瞬の写真など、ものづくりの空気感を身近に感じていただける内容を心がけています。

紅型は決して遠い伝統ではなく、今を生きる私たちの日々とともにあるものです。これからも新しい挑戦と日々の積み重ねを大切にしながら、沖縄の染め物文化の魅力を発信し続けていきたいと思います。ぜひInstagramものぞいていただき、工房の日常や沖縄の彩りを一緒に楽しんでいただけたら嬉しいです。

城間栄市 プロフィール昭和52年(1977年)、沖縄県生まれ。

城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育つ。

学歴・海外研修

  • 平成15年(2003年)より2年間、インドネシア・ジョグジャカルタ特別州に滞在し、バティック(ろうけつ染)を学ぶ。
  • 帰国後は城間びんがた工房にて、琉球びんがたの制作・指導に専念。

受賞・展覧会歴

  • 平成24年:西部工芸展 福岡市長賞 受賞
  • 平成25年:沖展 正会員に推挙
  • 平成26年:西部工芸展 奨励賞 受賞
  • 平成27年:日本工芸会 新人賞を受賞し、正会員に推挙
  • 令和3年:西部工芸展 沖縄タイムス社賞 受賞
  • 令和4年:MOA美術館 岡田茂吉賞 大賞 受賞
  • 令和5年:西部工芸展 西部支部長賞 受賞

主な出展

  • 「ポケモン工芸展」に出展
  • 文化庁主催「日中韓芸術祭」に出展
  • 令和6年:文化庁「技を極める」展に出展

現在の役職・活動

  • 城間びんがた工房 十六代 代表
  • 日本工芸会 正会員
  • 沖展(沖縄タイムス社主催公募展)染色部門 審査員
  • 沖縄県立芸術大学 非常勤講師

プロフィール概要

はじめまして。城間びんがた工房16代目の城間栄市です。私は1977年、十五代・城間栄順の長男として沖縄に生まれ、幼いころから紅型の仕事に親しみながら育ちました。工房に入った後は父のもとで修行を重ねつつ、沖縄県芸術祭「沖展」に初入選したことをきっかけに本格的に紅型作家として歩み始めました。

これまでの道のりの中で、沖展賞や日本工芸会の新人賞、西部伝統工芸展での沖縄タイムス社賞・西部支部長賞、そしてMOA美術館の岡田茂吉賞大賞など、さまざまな賞をいただくことができました。また、沖展の正会員や日本工芸会の正会員として活動しながら、審査員として後進の作品にも向き合う立場も経験しています。

私自身の制作で特に印象に残っているのは、「波の歌」という紅型着物の作品です。これは沖縄の海を泳ぐ生き物たちの姿を、藍型を基調とした布に躍動感をもって表現したものです。伝統の技法を守りつつ、そこに自分なりの視点や工夫を重ねることで、新しい紅型の可能性を切り拓きたいという思いが込められています。こうした活動を通して、紅型が沖縄の誇る伝統工芸であるだけでなく、日本、そして世界に発信できるアートであると感じています。

20代の頃にはアジア各地を巡り、2003年から2年間はインドネシア・ジョグジャカルタでバティック(ろうけつ染)を学びました。現地での生活や工芸の現場を通して、異文化の技術や感性にふれ、自分自身の紅型への向き合い方にも大きな影響を受けました。伝統を守るだけでなく、常に新しい刺激や発見を大切にしています。

最近では、「ポケモン×工芸展―美とわざの大発見―」など、世界を巡回する企画展にも参加する機会が増えてきました。紅型の技法でポケモンを表現するというチャレンジは、私自身にとっても大きな刺激となりましたし、沖縄の紅型が海外のお客様にも響く可能性を感じています。

メディアにも多く取り上げていただくようになりました。テレビや新聞、ウェブメディアで工房の日常や制作現場が紹介されるたびに、「300年前と変わらない手仕事」に込めた想いを、多くの方に伝えたいと強く思います。