沖縄の伝統工芸・紅型の手仕事が紡ぐ、感性と時間の豊かさ

おはようございます。まずはいつも温かく見守ってくださり、また好奇心を持って私たちのものづくりを見つめてくださっていることに、心から感謝申し上げます。皆さまの興味や関心こそが、私たちの挑戦を支える原動力になっています。本当にいつもありがとうございます。

受け継がれる沖縄紅型の手仕事と伝統

私たち「城間びんがた工房」では、琉球王朝時代から続く王族や士族の衣を染める技術を、現代に受け継ぎ伝えています。沖縄の伝統工芸である紅型(びんがた)は、鮮やかな色彩と緻密な模様で知られ、かつては琉球王国の宮廷でのみ許された特別な染物でした。現在では和服や壁掛け、飾り物など形を変えながらも、その精神と技術をしっかりと受け継いでいます。時代が変わる中で、使われる材料も限られてきていますが、それでもなお約300年もの間変わらない手仕事のリズムを守り続けています。その一筆一筆、型紙一枚一枚に込める想いは、今も昔も変わりません。

朝の工房 2025年2月26日
紅型にとって大切な 呉汁作り(水でふやかした大豆をすり鉢ですり下ろしています)
すり潰した大豆を濾しています

現代社会との葛藤: 時間と効率を超えて

一見すると、現代の「タイムパフォーマンス」や「合理性」が重視される世の中において、この伝統的なものづくりは非効率に映るかもしれません。手作業ゆえに大量生産もできず、ひとつの作品に多くの時間と手間がかかります。「果たしてそれは効率的なのか?」「もっと今風にアレンジして生産性を上げるべきではないか?」という問いが生まれるのも当然でしょう。実際、私自身もその葛藤を抱えつつ日々模索していますし、周囲から現代的な手法を取り入れてはどうかと助言されることもあって、伝統を守ることと時代に即した変化との狭間で悩む日もあります。それでも、目の前の布と向き合いながら、ゆったりとした沖縄時間の中で染めていく作業には、効率を超えた大切な価値が宿っていると信じています。

表現と時代: 人の思いを伝える色

そんな折、以前にある方がおっしゃっていた「人の思いを伝えるなら黒が良い」という言葉をふと思い出しました。黒という色は人類最古の絵具であり、古代の壁画や書物にも用いられてきた色です。炭や墨の黒は、太古の昔から人の想いを記録し伝達する道具でした。その歴史があるからこそ「思いを伝えるなら黒が良い」と言えるのかもしれません。ですが、不思議なことに「しっくりくる表現」というのは時代とともに変わっていくものでもあります。かつては黒い墨で手紙を書き交わし思いを伝えていた時代も、今では色とりどりの絵具やデジタルの画面を通じて感情を表現する時代です。私たちの紅型の世界でも、何が心に響く色やデザインなのかは、時代と共に変化していくのだと感じます。

若き質問者との対話がもたらした気づき

さて、今から約8年ほど前のことです。ある展示会の席で、当時20代の若い女性からこんな質問を受けました。「城間さんは、これからどんなものを目指して作っていくのですか?」――普段はものづくりに集中している私は、この問いに一瞬言葉に詰まりました。将来について明確なビジョンを用意していたわけではなく、その時はとっさに「他の産地を見ながら、紅型に足りない技術を磨いていきたいですね」と答えるのが精一杯でした。職人として技術の研鑽に努める、それが最も無難な答えに思えたからです。しかし内心では、自分の答えがあまりに技術的な側面に偏っているのではないかという戸惑いも感じていました。

すると、その女性は穏やかな笑みを浮かべながら、丁寧に言葉を選ぶようにこんなふうに返してくれたのです。

「私たちは、沖縄のものづくりや城間さんの仕事に、ただ技術が高度になることを求めているわけではないんです。沖縄のものづくりには、すごく豊かな感覚があります。それこそが魅力なんです。」

私はハッとしました。彼女はさらに続けます。

「東京で生まれ育った私たちは、何もかもが時間通りに進む世界で生きています。電車も分単位で正確に来るし、すべてが計算された時間設計の中で暮らしているからこそ、沖縄のものづくりのように、ゆったりとしたリズムで作られる世界がとても豊かに感じられるんです。」

その言葉に、私は大きな驚きを覚えるとともに深く考えさせられました。都会で暮らす彼女の視点からは、私たちが当たり前と思っていたゆるやかな手仕事のリズムが、かえって新鮮で贅沢な「豊かさ」に映っていたのです。まさに、沖縄の文化に根付いた「沖縄時間」の中で生まれるものづくりの価値を、彼女は教えてくれました。

言葉にできない豊かさに気づく

確かに私はこれまで紅型という伝統工芸を説明するとき、どう表現していいか悩むことが多々ありました。作品の魅力や制作の奥深さを言葉で伝えようとしても、「何かが違う」ともどかしさを感じることが少なくなかったのです。ときには言葉に詰まり、抽象的な表現しかできない自分にもどかしさを覚えるほどでした。実際、職人の先輩たちも「なかなか上手くならないね」と苦笑いしながら口にすることがあります。それは現代風に言えば「課題は何か」「練習量は足りているか」「どこを改善すべきか」と論理的に分析することもできますが、そうした言語化や数値化のできる領域を超えたところに、この手仕事の本当の豊かさが存在しているのだと思います。

私たちは日々、合理性を超えたところで勝負しています。染料を調合するとき、「もう少し色っぽくならないだろうか」「この緑の発色をもう少し凛と際立たせたい」といった情緒的で感覚的な言葉を交わしながら制作を進めます。一見すると曖昧に聞こえるこれらの感性の言葉こそが、作品に魂を吹き込む大切な鍵になります。数値では計れないニュアンスを大事にし、一筆ごとの筆運びや色彩の重なりに心を配る。そうした手間ひまの中に宿るものが、本当の「豊かさ」なのかもしれない――彼女の言葉をきっかけに、私はそう気づかされたのです。

伝統を守り、時代に問い続ける

この経験以来、「沖縄の人間として、この紅型という伝統工芸をどう守っていくべきか」「どこを守り、どこを変えていくべきか」を、以前にも増して深く考えるようになりました。受け継いだ技術や作法を大切に守り続けるだけでなく、今の時代に合った形で沖縄の文化と感性を伝えていくことも、私たちの使命だと感じています。伝統とは、ただ過去をなぞることではなく、今を生きる私たちが時代に合わせて問い続けながら未来へと紡いでいくものなのでしょう。昔ながらの良さを失わずに新しい風を受け入れ、次の世代へと橋渡ししていく。あの時の気づきが教えてくれたように、変わりゆく時代の中でも揺るがない芯を持ちつつ柔軟に、紅型の手仕事を次の時代へと繋いでいきたいと思っており、それが、沖縄の伝統文化を未来へ継承していく者としての私の決意です。

「天道虫」城間栄市(2025年 沖展)

城間栄市 (しろま・えいいち) プロフィール

生年・出身

昭和52年(1977年)、沖縄県生まれ。
城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育ち、幼少期より琉球びんがたに親しむ。

学歴・海外研修

  • 平成15年(2003年)から2年間、インドネシア・ジョグジャカルタ特別州に滞在し、バティック(ろうけつ染)を学ぶ。
  • 帰国後は城間びんがた工房にて琉球びんがたの制作・指導に専念。

経歴・受賞・展覧会歴

沖展(沖縄タイムス社主催公募展)

  • 2000年(第52回):初入選
  • 2003年(第55回):奨励賞
  • 2008年(第60回):奨励賞(「ゴマアイゴ紋様」)
  • 2010年(第62回):奨励賞(「上昇波(ジョウショウハ)」)
  • 2011年(第63回):沖展賞(「イナズマ ガンガゼ」)、準会員推挙
  • 2012年(第64回):準会員賞(「すくゆい」)
  • 2013年(第65回):準会員賞(「紅型着物『雲を読む』」)、会員推挙

西部工芸展

  • 平成24年(2012年):第47回 西部伝統工芸展 福岡市長賞
  • 平成26年(2014年):第49回 西部伝統工芸展 奨励賞
  • 令和3年(2021年):沖縄タイムス社賞
  • 令和5年(2023年):西部支部長賞

日本伝統工芸会

  • 平成25年(2013年):沖展 正会員に推挙
  • 平成27年(2015年):日本伝統工芸展 新人賞受賞、日本工芸会 正会員に推挙

その他の活動・受賞

  • 令和4年(2022年):MOA美術館 岡田茂吉賞 大賞
  • 「ポケモン工芸展」に出展
  • 文化庁主催「日中韓芸術祭」に出展
  • 令和6年(2024年):文化庁「技を極める」展に出展
  • 2014年:城間びんがた工房 十六代継承

現在の役職・活動

  • 城間びんがた工房 十六代 代表
  • 日本工芸会 正会員
  • 沖展(沖縄タイムス社主催公募展)染色部門 審査員
  • 沖縄県立芸術大学 非常勤講師

プロフィール概要

城間 栄市(しろま・えいいち)は、昭和52年(1977年)生まれの琉球びんがた作家。城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として生まれ育ち、幼少期から伝統工芸の世界に馴染む。
平成15年(2003年)から2年間、インドネシアでバティック(ろうけつ染)を学び、帰国後は琉球びんがたの技法を継承しながら、海外の経験を活かした新しい表現を追求し続けている。

数々の受賞歴を有し、日本工芸会 正会員や沖展染色部門の審査員など、多方面で活躍。文化庁やMOA美術館主催の展覧会にも出展を重ね、琉球びんがたの魅力を国内外へ発信している。現在は城間びんがた工房の十六代代表として制作・指導にあたりつつ、沖縄県立芸術大学の非常勤講師として後進の育成にも努めている。