島々を巡る風と祖父の記憶

城間栄喜と紅型に込められた自然と意志

おはようございます。いつもブログをご覧いただき、本当にありがとうございます。紅型や城間びんがた工房を知っていただけることが、私たちにとって何よりの応援です。心から感謝しています。

今日は、私の祖父であり城間びんがた工房の14代目、城間栄喜について少しお話ししたいと思います。祖父が亡くなったのは私が中学3年生の頃(平成2年)で、その頃には祖父は隠居しており、仕事をしている姿を直接見ることはできませんでした。しかし、家族の語る祖父のエピソードや残された作品から、彼の強い意志と真剣な仕事ぶりを感じることができます。

終戦後の復興への誓い

祖父は38歳で終戦を迎え、疎開先から首里に戻ってきました。その時、目の当たりにしたのは、地面から上のものがすべて吹き飛んだ壊滅的な光景。首里城ですら土台以外は何も残されていなかったと言われています。その状況に愕然としながらも、祖父は**「文化の復興」**を自らの使命として心に誓ったのです。

当時、紅型の制作は限られた家系にしか許されておらず、伝統を守ることは閉鎖的な状況の中で行われていました。しかし、祖父は紅型の門戸を広げ、「やりたい」と志願する人々を受け入れました。この決断は、琉球王族や貴族のためだけの工芸だった紅型が、時代の変化とともにより広く受け入れられるきっかけになりました。

デザインに込められた祖父の記憶と風景

今回ご紹介する作品、**「石垣に芭蕉と高倉糸干しの段文様」**は、祖父が10歳から20歳にかけて石垣島で年季奉公をしていた頃の風景をモチーフにしています。戦前、城間家で反物50端が盗まれるという事件があり、その損害を埋めるため、祖父は石垣島で奉公に出されました。

石垣島では、漁師の手伝いや理髪店での労働をしながら、生計を立てていたと聞きます。当時の労働環境は非常に厳しく、命の危険を感じることもあったようですが、そうした環境で生き抜く中で、祖父の人間性や感性が育まれました。その経験が、戦後の紅型復興に向けた原動力になったのだと思います。

この作品に描かれているのは、祖父がその時代に見た芭蕉布を干す風景です。ギザギザとしたカラフルな模様は、糸を干している様子を表しています。3つの岩で囲われた場所に木の棒を差し込み、そこに糸を干す風景が、石垣島の日常的な光景として祖父の心に深く刻まれていたのでしょう。その風景が作品に命を吹き込んでいます。

沖縄の自然と伝統工芸の在り方

祖父の残した作品にはどれも、自然の力強さや温かさ、そして過酷な状況でも「美」を求め続ける意志が込められています。紅型は生活必需品ではありません。そのため、豊かな時代にこそ発揮される工芸と思われがちですが、祖父の時代に作られた作品を見ると、過酷な状況でも「これを見てくれる人、身につけてくれる人にとっては関係のないこと」と信じ、最善を尽くしたことが伝わります。

祖父はこんな言葉を残しています。
「紅型は沖縄の自然そのもの。」

その言葉を胸に、私は祖父が見てきた沖縄の風景や自然、そしてその精神を作品に込めていきたいと強く思っています。それは、単なる技術や伝統を守るだけでなく、沖縄の自然や文化を新たな形で未来へと繋いでいく挑戦でもあります。

次世代への想い

昭和、平成、令和と時代が進む中、紅型や道具も進化してきましたが、祖父の時代に根付いた精神は今も変わりません。この作品を見ながら、祖父が石垣島で見た風景や、復興への思いを想像するたびに、改めて自分の使命を感じます。私たちが作り続ける紅型が、どんな時代にも価値を持つものとして、未来の誰かの心に届くことを願っています。

公式ホームページでは、紅型の歴史や伝統、私自身の制作にかける思いなどを、やや丁寧に、文化的な視点も交えながら発信しています。一方でInstagramでは、職人の日常や工房のちょっとした風景、沖縄の光や緑の中に息づく“暮らしに根ざした紅型”の表情を気軽に紹介しています。たとえば、朝の染料作りの様子や、工房の裏庭で揺れる福木の葉っぱ、時には染めたての布を空にかざした一瞬の写真など、ものづくりの空気感を身近に感じていただける内容を心がけています。

紅型は決して遠い伝統ではなく、今を生きる私たちの日々とともにあるものです。これからも新しい挑戦と日々の積み重ねを大切にしながら、沖縄の染め物文化の魅力を発信し続けていきたいと思います。ぜひInstagramものぞいていただき、工房の日常や沖縄の彩りを一緒に楽しんでいただけたら嬉しいです。

城間栄市 プロフィール昭和52年(1977年)、沖縄県生まれ。

城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育つ。

学歴・海外研修

  • 平成15年(2003年)より2年間、インドネシア・ジョグジャカルタ特別州に滞在し、バティック(ろうけつ染)を学ぶ。
  • 帰国後は城間びんがた工房にて、琉球びんがたの制作・指導に専念。

受賞・展覧会歴

  • 平成24年:西部工芸展 福岡市長賞 受賞
  • 平成25年:沖展 正会員に推挙
  • 平成26年:西部工芸展 奨励賞 受賞
  • 平成27年:日本工芸会 新人賞を受賞し、正会員に推挙
  • 令和3年:西部工芸展 沖縄タイムス社賞 受賞
  • 令和4年:MOA美術館 岡田茂吉賞 大賞 受賞
  • 令和5年:西部工芸展 西部支部長賞 受賞

主な出展

  • 「ポケモン工芸展」に出展
  • 文化庁主催「日中韓芸術祭」に出展
  • 令和6年:文化庁「技を極める」展に出展

現在の役職・活動

  • 城間びんがた工房 十六代 代表
  • 日本工芸会 正会員
  • 沖展(沖縄タイムス社主催公募展)染色部門 審査員
  • 沖縄県立芸術大学 非常勤講師

プロフィール概要

はじめまして。城間びんがた工房16代目の城間栄市です。私は1977年、十五代・城間栄順の長男として沖縄に生まれ、幼いころから紅型の仕事に親しみながら育ちました。工房に入った後は父のもとで修行を重ねつつ、沖縄県芸術祭「沖展」に初入選したことをきっかけに本格的に紅型作家として歩み始めました。

これまでの道のりの中で、沖展賞や日本工芸会の新人賞、西部伝統工芸展での沖縄タイムス社賞・西部支部長賞、そしてMOA美術館の岡田茂吉賞大賞など、さまざまな賞をいただくことができました。また、沖展の正会員や日本工芸会の正会員として活動しながら、審査員として後進の作品にも向き合う立場も経験しています。

私自身の制作で特に印象に残っているのは、「波の歌」という紅型着物の作品です。これは沖縄の海を泳ぐ生き物たちの姿を、藍型を基調とした布に躍動感をもって表現したものです。伝統の技法を守りつつ、そこに自分なりの視点や工夫を重ねることで、新しい紅型の可能性を切り拓きたいという思いが込められています。こうした活動を通して、紅型が沖縄の誇る伝統工芸であるだけでなく、日本、そして世界に発信できるアートであると感じています。

20代の頃にはアジア各地を巡り、2003年から2年間はインドネシア・ジョグジャカルタでバティック(ろうけつ染)を学びました。現地での生活や工芸の現場を通して、異文化の技術や感性にふれ、自分自身の紅型への向き合い方にも大きな影響を受けました。伝統を守るだけでなく、常に新しい刺激や発見を大切にしています。

最近では、「ポケモン×工芸展―美とわざの大発見―」など、世界を巡回する企画展にも参加する機会が増えてきました。紅型の技法でポケモンを表現するというチャレンジは、私自身にとっても大きな刺激となりましたし、沖縄の紅型が海外のお客様にも響く可能性を感じています。

メディアにも多く取り上げていただくようになりました。テレビや新聞、ウェブメディアで工房の日常や制作現場が紹介されるたびに、「300年前と変わらない手仕事」に込めた想いを、多くの方に伝えたいと強く思います。