『びんがたを支える陰の主役〜糊伏せの技と心』
2025.05.14
おはようございます。 いつも琉球文化に関心を寄せてくださり、本当にありがとうございます。
私は城間びんがた工房の職人として、また工房の代表として、この美しい島で続けられてきた鮮やかなものづくりの魅力を日々お伝えしたいと願っています。皆さまが私たちの伝える琉球文化に興味を持ち続けてくださること、その好奇心こそが、私たちが日々挑戦を続けられる原動力です。心から感謝申し上げます。


さて、本日は琉球びんがたの制作工程(全10工程)の中から「糊伏せ(のりふせ)」という作業についてお話ししたいと思います。
現在、私たちの工房では春と秋に定期的な面談を設けており、私が16代目を継承して以来、8年間継続してきました。面談の目的は、工房の進むべき道を見失わず、先人たちが命をかけて守ってきた大切な技術や想いをしっかりと受け継ぐためです。この面談では、職人一人ひとりが何を大切に仕事と向き合っているのかを深く知る、大変貴重な時間となっています。
そして今回、「糊伏せ」をテーマとして取り上げたのには理由があります。
びんがたはかつて琉球王族を彩った特別な衣装であり、現在では日本の着物として徐々に認知が広がっています。びんがたの美しさは、鮮やかな色彩が沖縄の自然と調和し、個性的で際立った魅力を放つ点にあります。しかし、その美しさの裏側で支えている重要な作業が「糊伏せ」なのです。
糊伏せは、柄に糊を置くことで色を染める際に柄を守る工程です。地染めをするとき、糊伏せをした柄部分だけが色から守られます。この工程はとても繊細で、僅かなミスがあると完成品で目立ってしまいます。そのため職人は非常に高い集中力で柄の縁をきっちりと伏せていきます。混色を防ぐため、際まで正確に糊を置く必要がある柄も多く、13メートルの布であれば、その精密さの差が作業時間を大きく左右します。
実はこの糊伏せの作業は、成功しても表立って賞賛されることは少なく、ミスをしたときだけ目立ってしまうという、責任の大きい仕事でもあります。色を担当する職人は、美しい色合いが完成すると喜びや達成感がありますが、糊伏せを担当する職人は、見えない部分での責任を黙々と背負い続けているのです。
普段はあまり目に触れることのない、けれども大切な工程を担う職人たちの努力と技術に、ぜひ思いを馳せていただけたら嬉しく思います。
こうした琉球びんがたの奥深い魅力をこれからもお伝えし続けてまいります。皆さまの好奇心と温かい応援が、私たちの日々の励みです。
300年の時を経ても変わらぬリズムで続く、ここ沖縄のものづくりに感謝を込めて。
本日も、ありがとうございます。






公式ホームページでは、紅型の歴史や伝統、私自身の制作にかける思いなどを、やや丁寧に、文化的な視点も交えながら発信しています。一方でInstagramでは、職人の日常や工房のちょっとした風景、沖縄の光や緑の中に息づく“暮らしに根ざした紅型”の表情を気軽に紹介しています。たとえば、朝の染料作りの様子や、工房の裏庭で揺れる福木の葉っぱ、時には染めたての布を空にかざした一瞬の写真など、ものづくりの空気感を身近に感じていただける内容を心がけています。
紅型は決して遠い伝統ではなく、今を生きる私たちの日々とともにあるものです。これからも新しい挑戦と日々の積み重ねを大切にしながら、沖縄の染め物文化の魅力を発信し続けていきたいと思います。ぜひInstagramものぞいていただき、工房の日常や沖縄の彩りを一緒に楽しんでいただけたら嬉しいです。

城間栄市 プロフィール昭和52年(1977年)、沖縄県生まれ。
城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育つ。
学歴・海外研修
- 平成15年(2003年)より2年間、インドネシア・ジョグジャカルタ特別州に滞在し、バティック(ろうけつ染)を学ぶ。
- 帰国後は城間びんがた工房にて、琉球びんがたの制作・指導に専念。
受賞・展覧会歴
- 平成24年:西部工芸展 福岡市長賞 受賞
- 平成25年:沖展 正会員に推挙
- 平成26年:西部工芸展 奨励賞 受賞
- 平成27年:日本工芸会 新人賞を受賞し、正会員に推挙
- 令和3年:西部工芸展 沖縄タイムス社賞 受賞
- 令和4年:MOA美術館 岡田茂吉賞 大賞 受賞
- 令和5年:西部工芸展 西部支部長賞 受賞
主な出展
- 「ポケモン工芸展」に出展
- 文化庁主催「日中韓芸術祭」に出展
- 令和6年:文化庁「技を極める」展に出展
現在の役職・活動
- 城間びんがた工房 十六代 代表
- 日本工芸会 正会員
- 沖展(沖縄タイムス社主催公募展)染色部門 審査員
- 沖縄県立芸術大学 非常勤講師
プロフィール概要
はじめまして。城間びんがた工房16代目の城間栄市です。私は1977年、十五代・城間栄順の長男として沖縄に生まれ、幼いころから紅型の仕事に親しみながら育ちました。工房に入った後は父のもとで修行を重ねつつ、沖縄県芸術祭「沖展」に初入選したことをきっかけに本格的に紅型作家として歩み始めました。
これまでの道のりの中で、沖展賞や日本工芸会の新人賞、西部伝統工芸展での沖縄タイムス社賞・西部支部長賞、そしてMOA美術館の岡田茂吉賞大賞など、さまざまな賞をいただくことができました。また、沖展の正会員や日本工芸会の正会員として活動しながら、審査員として後進の作品にも向き合う立場も経験しています。
私自身の制作で特に印象に残っているのは、「波の歌」という紅型着物の作品です。これは沖縄の海を泳ぐ生き物たちの姿を、藍型を基調とした布に躍動感をもって表現したものです。伝統の技法を守りつつ、そこに自分なりの視点や工夫を重ねることで、新しい紅型の可能性を切り拓きたいという思いが込められています。こうした活動を通して、紅型が沖縄の誇る伝統工芸であるだけでなく、日本、そして世界に発信できるアートであると感じています。
20代の頃にはアジア各地を巡り、2003年から2年間はインドネシア・ジョグジャカルタでバティック(ろうけつ染)を学びました。現地での生活や工芸の現場を通して、異文化の技術や感性にふれ、自分自身の紅型への向き合い方にも大きな影響を受けました。伝統を守るだけでなく、常に新しい刺激や発見を大切にしています。
最近では、「ポケモン×工芸展―美とわざの大発見―」など、世界を巡回する企画展にも参加する機会が増えてきました。紅型の技法でポケモンを表現するというチャレンジは、私自身にとっても大きな刺激となりましたし、沖縄の紅型が海外のお客様にも響く可能性を感じています。
メディアにも多く取り上げていただくようになりました。テレビや新聞、ウェブメディアで工房の日常や制作現場が紹介されるたびに、「300年前と変わらない手仕事」に込めた想いを、多くの方に伝えたいと強く思います。