「藍の海と風が染める布—沖縄の季節と伝統」

沖縄では、藍染めを「藍型(イェーガタ)」と呼び、特に夏場だけ染めるのが一般的です。6月から12月が藍のシーズンで、特にこの時期が藍にとって最も良い条件が揃う季節だと考えています。そろそろ11月も終わり、今年の藍の染め作業も締めくくりに差し掛かる頃です。

藍染めの面白さは、昔ながらの琉球藍の泥藍と灰汁と水飴で還元させて染色を行います。それがなかなか自分の思い通りにはならないところです。1年中作業できる紅型とは異なり、藍は気温や天候に大きく左右されます。台風が来ると藍が「風邪をひく」ように元気を失いますし、気温が下がると還元がうまく進まず、ハラハラすることもあります。しかし、そういった条件を乗り越えて美しい布が染め上がる瞬間、その苦労が一気に報われ、「あぁ、なんてきれいなんだろう」と心が動かされるのです。青一色でありながら、こんなにも心が揺さぶられるなんて、不思議で感動的です。この藍の青が、心の奥深くまで染み入るような特別な青であることを改めて感じます。

ちなみに、沖縄の藍は「琉球藍」と呼ばれる独特の品種で、日本のタデ藍、インド藍と並んで3種類の藍植物のひとつです。形や大きさはそれぞれ異なり、見た目も違いますが、どれも青の色素を持つことから「藍」として知られています。沖縄の琉球藍は、台湾やネパールなどで見られる南方系の植物で、比較的温暖な気候に適しています。

毎年6月が近づき夏が訪れると、「あぁ、藍の季節が来たんだな」と心が高まります。

家族で受け継ぐ藍の管理

藍の管理は、私の祖母、母、が引き継いできた大切な役割ででした。でも、それはただ甕(かめ)を扱うだけの作業ではありません。毎日、藍甕をかき混ぜて、底に沈んだ泥部分と上部分の染液を均一に整え、翌日に向けて最良の状態を保つんです。そのために、藍の状態を見極めて、水飴を加えたり、泡盛を注いだりと、細やかな調整が必要になります。

私も10代後半から母の助手としてこの仕事に関わり始め、甕の管理を引き継ぎました。

藍と「5分間」の真剣勝負

紅型の中でも「藍型(イエーガタ)」は特に繊細な技法です。糊(もち米粉とぬか粉を混ぜたもの)は、藍甕に溶け出す前に引き上げなければなりません。その時間はわずか5分間。この短い間に染めを完了させるため、藍甕の状態を完璧に保つことが本当に大切なんです。

6月から11月が藍染めに適したシーズンで、甕の濃度や還元状態が毎日の染め上がりを大きく左右します。だから、まず試し染めをして、その日の藍の「ご機嫌」を確認してから作業に入ります。でも、もし藍甕の状態が仕事に適さないと判断したら、思い切って仕事を中止する勇気も必要です。

母から引き継いだもの、そして直面した壁

母から藍の管理を引き継いだとき、一番驚いたのは「レシピ」が存在しなかったことです。母は長年の感覚で藍を管理していて、「今は藍が疲れているから水飴を入れて」といった曖昧なアドバイスしかくれませんでした。明確な基準が欲しかった私には、正直戸惑いの日々でした。

さらに、「藍のことは誰にも相談するな」と母から厳しく言われていて、家族内の秘密主義が強かったんです。でも、私自身、このままでは藍の状態を思うようにコントロールできない現実に直面していました。

外の世界に手を伸ばして

思い切って、母に内緒で藍の成分を沖縄県内の工業試験場で分析してもらったり、沖縄県立芸大の先生や他の染色家の方々と情報交換を始めました。その中で気づいたのは、藍甕の管理方法が工房や染色家ごとに全く異なるということ。でも、それでも私は城間紅型工房に合った方法を模索しながら、少しずつ自分なりの管理基準を作っていきました。

例えば、水温やアルカリ濃度を測って、一定の基準を探ることを習慣にしました。これは次の世代に藍の管理を引き継ぐための大切なステップでした。でも、失敗もありました。還元を促そうと、にんじんを溶かした20リットルの液を甕に入れたら、400リットルの藍がドロドロのヘドロ状になって、甘い香りを放つ状態にしてしまったんです。そのときは本当に自分の浅はかさにショックを受け、深く反省しました。

伝統を守りながら、未来へ

3年間の試行錯誤を経て、ようやく自分なりの藍の管理方法を確立しました。この経験で強く感じたのは、「家の中だけで解決する」という昔ながらのやり方を変えていく必要があるということ。外部との情報共有や新しいアプローチを取り入れることで、伝統を守りつつも、次の世代にもっと広い可能性を伝えられるんだと実感しました。

藍の管理には、技術だけじゃなくて、伝統を受け継ぎながらも現代に合わせて進化させる創造性と柔軟性が求められます。この経験を通して得た教訓を、これからも未来に活かしていきたいと思っています。

もしこのお話を通じて、藍の奥深さや管理の大切さ、そして私たちの想いを少しでも感じていただけたら、とても嬉しいです。

公式ホームページでは、紅型の歴史や伝統、私自身の制作にかける思いなどを、やや丁寧に、文化的な視点も交えながら発信しています。一方でInstagramでは、職人の日常や工房のちょっとした風景、沖縄の光や緑の中に息づく“暮らしに根ざした紅型”の表情を気軽に紹介しています。たとえば、朝の染料作りの様子や、工房の裏庭で揺れる福木の葉っぱ、時には染めたての布を空にかざした一瞬の写真など、ものづくりの空気感を身近に感じていただける内容を心がけています。

紅型は決して遠い伝統ではなく、今を生きる私たちの日々とともにあるものです。これからも新しい挑戦と日々の積み重ねを大切にしながら、沖縄の染め物文化の魅力を発信し続けていきたいと思います。ぜひInstagramものぞいていただき、工房の日常や沖縄の彩りを一緒に楽しんでいただけたら嬉しいです。

城間栄市 プロフィール昭和52年(1977年)、沖縄県生まれ。

城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育つ。

学歴・海外研修

  • 平成15年(2003年)より2年間、インドネシア・ジョグジャカルタ特別州に滞在し、バティック(ろうけつ染)を学ぶ。
  • 帰国後は城間びんがた工房にて、琉球びんがたの制作・指導に専念。

受賞・展覧会歴

  • 平成24年:西部工芸展 福岡市長賞 受賞
  • 平成25年:沖展 正会員に推挙
  • 平成26年:西部工芸展 奨励賞 受賞
  • 平成27年:日本工芸会 新人賞を受賞し、正会員に推挙
  • 令和3年:西部工芸展 沖縄タイムス社賞 受賞
  • 令和4年:MOA美術館 岡田茂吉賞 大賞 受賞
  • 令和5年:西部工芸展 西部支部長賞 受賞

主な出展

  • 「ポケモン工芸展」に出展
  • 文化庁主催「日中韓芸術祭」に出展
  • 令和6年:文化庁「技を極める」展に出展

現在の役職・活動

  • 城間びんがた工房 十六代 代表
  • 日本工芸会 正会員
  • 沖展(沖縄タイムス社主催公募展)染色部門 審査員
  • 沖縄県立芸術大学 非常勤講師

プロフィール概要

はじめまして。城間びんがた工房16代目の城間栄市です。私は1977年、十五代・城間栄順の長男として沖縄に生まれ、幼いころから紅型の仕事に親しみながら育ちました。工房に入った後は父のもとで修行を重ねつつ、沖縄県芸術祭「沖展」に初入選したことをきっかけに本格的に紅型作家として歩み始めました。

これまでの道のりの中で、沖展賞や日本工芸会の新人賞、西部伝統工芸展での沖縄タイムス社賞・西部支部長賞、そしてMOA美術館の岡田茂吉賞大賞など、さまざまな賞をいただくことができました。また、沖展の正会員や日本工芸会の正会員として活動しながら、審査員として後進の作品にも向き合う立場も経験しています。

私自身の制作で特に印象に残っているのは、「波の歌」という紅型着物の作品です。これは沖縄の海を泳ぐ生き物たちの姿を、藍型を基調とした布に躍動感をもって表現したものです。伝統の技法を守りつつ、そこに自分なりの視点や工夫を重ねることで、新しい紅型の可能性を切り拓きたいという思いが込められています。こうした活動を通して、紅型が沖縄の誇る伝統工芸であるだけでなく、日本、そして世界に発信できるアートであると感じています。

20代の頃にはアジア各地を巡り、2003年から2年間はインドネシア・ジョグジャカルタでバティック(ろうけつ染)を学びました。現地での生活や工芸の現場を通して、異文化の技術や感性にふれ、自分自身の紅型への向き合い方にも大きな影響を受けました。伝統を守るだけでなく、常に新しい刺激や発見を大切にしています。

最近では、「ポケモン×工芸展―美とわざの大発見―」など、世界を巡回する企画展にも参加する機会が増えてきました。紅型の技法でポケモンを表現するというチャレンジは、私自身にとっても大きな刺激となりましたし、沖縄の紅型が海外のお客様にも響く可能性を感じています。

メディアにも多く取り上げていただくようになりました。テレビや新聞、ウェブメディアで工房の日常や制作現場が紹介されるたびに、「300年前と変わらない手仕事」に込めた想いを、多くの方に伝えたいと強く思います。