「今日も島で発見!あなたと分かち合いたい筒描き物語」

筒描きに描く伝統の彩りと未来への挑戦

いつも紅型(びんがた)にご関心を寄せていただき、誠にありがとうございます。皆さまの好奇心のおかげで、私たちの挑戦が日々支えられていると感じています。紅型を通して琉球の文化が広がっていくことに、日頃から深い感謝の思いでいっぱいです。今回は、紅型の世界でもひときわユニークな伝統技法である「筒描き」にスポットを当て、その歴史や技術、そして私自身のエピソードを交えながら未来への願いを綴りたいと思います。

紅型の語源と伝統技法「筒描き」

「紅型」という言葉は、現在では漢字でこう書きますが、もともとは明治時代にこの漢字があてられました。紅型の「びん」は色彩、色の総称を意味し、「がた」は型染めの「型」、模様のことを指します。

その名のとおり、紅型の中心的な技法は型紙を用いた型染めです。しかし実は、紅型にはもう一つの伝統的な技法、「筒描き」が存在します。筒描きとは、防染糊を入れた細い筒(筒袋)から糊を絞り出し、生地に直接模様の輪郭を“描く”手法です。型紙を使う型染めと異なり、筆や刃物ではなく筒から糊を走らせて自由に線を引けることが最大の魅力で、職人の手の動きそのままに伸びやかな図案が布上に表現されます。いわば生地をキャンバスに見立てて描くような技法であり、紅型の世界において異彩を放つ存在と言えるでしょう。

歴史に見る筒描きの存在感

筒描きの歴史をひもとくと、その存在感の大きさに改めて驚かされます。現存する紅型作品の中で年代が判明している最古のものは、なんと筒描きによる紅型布なのです。沖縄県久米島に伝わるその紅型の大布には「乾隆二十二年」(1757年)の年号が記されており、18世紀中頃にはすでに筒描きの技法が完成されていたことを物語っています。こうした筒描きの紅型布は「うちくい」と呼ばれる飾り風呂敷として用いられることが多く、2メートル四方や130センチ四方もの大きな布に豪華で大胆な絵模様を描き出し、冠婚葬祭など家族や村の晴れやかな行事の場を彩ってきました。色鮮やかな松竹梅や鶴亀などの吉祥文様が大らかに描かれた筒描きの風呂敷は、祝いの席を一層華やかにし、集う人々の心を一つにする力があったと言います。かつて沖縄の家庭では、結婚式の結納や祝宴、あるいは弔事の際にも、このような筒描きの大風呂敷を広げて家の格式を示したり、品物を包んだりする習慣がありました。その伝統は残念ながら時代とともに廃れてしまい、現在ではこうした大布が冠婚葬祭で使われる光景はほとんど見られなくなりました。しかし、大布に描かれた自由闊達な筒描きの文様は、歴史の中で確かに人々の暮らしと心に寄り添い、琉球の文化を支えてきたのです。

年代の分かる紅型で最古の作品 筒描きによる幕

筒描きへの憧れと若き日の挑戦

私自身、筒描きという技法に初めて強く惹かれたのは十代の頃でした。型紙を彫り色を差す型染めとは異なり、自分の手で直接布に線を描いていく筒描きのダイナミックさに、若いながら心を奪われたのを覚えています。見本として残されていた古い筒描きの布を見つめ、その伸びやかな筆跡と力強い文様に「いつか自分もこんな風に描いてみたい」と憧れたものです。そして21歳のとき、思い切って初めて一本の筒を手に取り、大きな布いっぱいに模様を描く作品づくりに挑戦しました。初めての筒描き作品は拙い部分もありましたが、布に糊で線を描く瞬間の緊張感と高揚感は今でも忘れられません。そのとき完成させた作品は、ありがたいことに現在も工房内に大切に飾ってあります。もっとも、当工房は制作に専念するため通常は一般公開をしておらず日常的な見学受け入れは行っていないため、その作品を直接ご覧いただく機会が少ないのは心苦しいところです。しかし私にとっては、若き日の挑戦の証であるその筒描きの布が、今もそばにあること自体が大きな励みになっています。

風呂敷に込めた想い──自身の結婚式の思い出

筒描きの持つ魅力を自分の人生の節目にも刻みたい──そう考えた私は、17年前、自身の結婚式である試みをしました。かつて沖縄で筒描きの大風呂敷が婚礼の場を彩っていた伝統に倣い、私たちの門出にも筒描きの風呂敷を取り入れようと考えたのです。そこで、引き出物の一つとして 手描きの筒描き風呂敷 を自ら制作することにしました。図案に選んだのは、長寿や夫婦円満の象徴である鶴の文様です。真っ白な木綿布に下絵を置き、細い筒から絞り出した糊で2羽の鶴を一気に描いていきます。緊張で手が震えそうになるのを抑えながらも、祝いの気持ちを込めて一羽ひとひらと丁寧に描き進めました。彩色では、紅型らしい華やかな色彩で鶴を彩り、晴れの日にふさわしい明るい風合いに仕上げます。完成した筒描き風呂敷には、私たち夫婦の門出を祝う思いと、支えてくださる方々への感謝の気持ちが込められました。出来上がった風呂敷を結婚式で広げたときの誇らしさと喜びは、今でも心に焼き付いています。何より、幾度も何度も鶴の姿を筆で描き重ねたあの制作体験そのものが、私にとってかけがえのない宝物のような記憶となりました。

自由な表現、筒描きの魅力と未来へ

筒描きという技法は、紅型の中でもひときわ自由で創造性豊かな表現を可能にしてくれます。型紙染めでは再現しづらい太い線やのびやかな構図も、筒描きならではの筆致で布いっぱいに描くことができます。職人の感性や個性がダイレクトに反映される一点ものの芸術とも言え、その唯一無二の魅力は多くの工芸ファンの心を惹きつけることでしょう。とはいえ、時代の変化とともに大型の筒描き作品が活躍する場は少なくなりました。しかし私たちは諦めてはいません。先人たちが培ったこのユニークな技法を現代にどう息づかせるか、日々模索し挑戦を続けています。たとえば筒描きの技術を活かし、着物や帯の意匠に新風を吹き込む試みもその一つです。大きな布を舞台に描いてきた伝統的な図柄を、現代的な配色で小さな帯や衣服に表現してみる。あるいは古典模様のエッセンスを取り入れつつ、新しい図案を筒描きで創作してみる。そうしたアプローチによって、筒描きの持つ表現力は令和の時代にもきっと新たな輝きを放つと信じています。

時を超えて受け継がれてきた筒描きの技法を、なんとか次の世代へ、そして未来へとつないでいきたい──それが紅型宗家の一人として私が抱く切なる願いです。幸いにも、紅型に興味を持ってくださる皆さまの存在が、私たちにとって大きな支えになっています。これからも応援よろしくお願いいたします。皆さまの好奇心が、私たちの挑戦を支える力です。

筒描きの道具(戦後に物資不足の中で鉄砲の弾を使い始めました
両面筒書きの作品「祝」

公式ホームページでは、紅型の歴史や伝統、私自身の制作にかける思いなどを、やや丁寧に、文化的な視点も交えながら発信しています。一方でInstagramでは、職人の日常や工房のちょっとした風景、沖縄の光や緑の中に息づく“暮らしに根ざした紅型”の表情を気軽に紹介しています。たとえば、朝の染料作りの様子や、工房の裏庭で揺れる福木の葉っぱ、時には染めたての布を空にかざした一瞬の写真など、ものづくりの空気感を身近に感じていただける内容を心がけています。

紅型は決して遠い伝統ではなく、今を生きる私たちの日々とともにあるものです。これからも新しい挑戦と日々の積み重ねを大切にしながら、沖縄の染め物文化の魅力を発信し続けていきたいと思います。ぜひInstagramものぞいていただき、工房の日常や沖縄の彩りを一緒に楽しんでいただけたら嬉しいです。

城間栄市 プロフィール昭和52年(1977年)、沖縄県生まれ。

城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育つ。

学歴・海外研修

  • 平成15年(2003年)より2年間、インドネシア・ジョグジャカルタ特別州に滞在し、バティック(ろうけつ染)を学ぶ。
  • 帰国後は城間びんがた工房にて、琉球びんがたの制作・指導に専念。

受賞・展覧会歴

  • 平成24年:西部工芸展 福岡市長賞 受賞
  • 平成25年:沖展 正会員に推挙
  • 平成26年:西部工芸展 奨励賞 受賞
  • 平成27年:日本工芸会 新人賞を受賞し、正会員に推挙
  • 令和3年:西部工芸展 沖縄タイムス社賞 受賞
  • 令和4年:MOA美術館 岡田茂吉賞 大賞 受賞
  • 令和5年:西部工芸展 西部支部長賞 受賞

主な出展

  • 「ポケモン工芸展」に出展
  • 文化庁主催「日中韓芸術祭」に出展
  • 令和6年:文化庁「技を極める」展に出展

現在の役職・活動

  • 城間びんがた工房 十六代 代表
  • 日本工芸会 正会員
  • 沖展(沖縄タイムス社主催公募展)染色部門 審査員
  • 沖縄県立芸術大学 非常勤講師

プロフィール概要

はじめまして。城間びんがた工房16代目の城間栄市です。私は1977年、十五代・城間栄順の長男として沖縄に生まれ、幼いころから紅型の仕事に親しみながら育ちました。工房に入った後は父のもとで修行を重ねつつ、沖縄県芸術祭「沖展」に初入選したことをきっかけに本格的に紅型作家として歩み始めました。

これまでの道のりの中で、沖展賞や日本工芸会の新人賞、西部伝統工芸展での沖縄タイムス社賞・西部支部長賞、そしてMOA美術館の岡田茂吉賞大賞など、さまざまな賞をいただくことができました。また、沖展の正会員や日本工芸会の正会員として活動しながら、審査員として後進の作品にも向き合う立場も経験しています。

私自身の制作で特に印象に残っているのは、「波の歌」という紅型着物の作品です。これは沖縄の海を泳ぐ生き物たちの姿を、藍型を基調とした布に躍動感をもって表現したものです。伝統の技法を守りつつ、そこに自分なりの視点や工夫を重ねることで、新しい紅型の可能性を切り拓きたいという思いが込められています。こうした活動を通して、紅型が沖縄の誇る伝統工芸であるだけでなく、日本、そして世界に発信できるアートであると感じています。

20代の頃にはアジア各地を巡り、2003年から2年間はインドネシア・ジョグジャカルタでバティック(ろうけつ染)を学びました。現地での生活や工芸の現場を通して、異文化の技術や感性にふれ、自分自身の紅型への向き合い方にも大きな影響を受けました。伝統を守るだけでなく、常に新しい刺激や発見を大切にしています。

最近では、「ポケモン×工芸展―美とわざの大発見―」など、世界を巡回する企画展にも参加する機会が増えてきました。紅型の技法でポケモンを表現するというチャレンジは、私自身にとっても大きな刺激となりましたし、沖縄の紅型が海外のお客様にも響く可能性を感じています。

メディアにも多く取り上げていただくようになりました。テレビや新聞、ウェブメディアで工房の日常や制作現場が紹介されるたびに、「300年前と変わらない手仕事」に込めた想いを、多くの方に伝えたいと強く思います。