「ガジュマルもセミも見守る300年──島と工房の“マイペース手仕事”日誌」

工房時間 ― 沖縄の「今」と、琉球びんがたのこれから

みなさん、おはようございます。
いつも琉球びんがたを通して、琉球文化の営みやその心に触れてくださり、心から感謝しています。
こうして日々、私たちの工房の発信や作品に目を留めていただけること、その一つひとつが職人たちの挑戦を支える大きな原動力です。
現代というスピード社会のなかで、300年ほとんど変わらない手仕事を守り続ける――それ自体が、実は大きな奇跡の連続なのかもしれません。
そして、その奇跡の一端に立ち会えていることに、今日も深く感謝しながら朝を迎えています。

沖縄6月の特別な時間

沖縄の6月。この島に生きる私たちにとって、とても重みのある月です。
なぜなら、6月23日は「慰霊の日」。沖縄戦が終結したとされるこの日は、命と文化の尊さをあらためて感じ、手仕事を続ける意義を見つめ直す特別な時間となります。

城間びんがた工房のお庭の風景
城間びんがた工房のお庭の風景
城間びんがた工房のお庭の風景
城間びんがた工房のお庭の風景

私たち城間家も、沖縄戦によって祖先伝来の多くの道具や資料、そして住まいや工房のすべてを一度は失いました。
祖父・栄喜が工房を再開したのは、終戦からわずか2年後。焼け野原となった故郷で、いったいどんな気持ちで新たな一歩を踏み出したのでしょうか――。
日常のなかでふと立ち止まり、祖父や父、先人たちの歩みを思い返すこの季節には、ものづくりの本当の意味を考えさせられます。

紅型で使う道具 戦後の物資がない時代のレコードの糊ベラ 薬莢の筒先 は当時からのものです 

沖縄という「小さな国」の誇り

琉球はかつて独立した一つの国でした。
中国、日本、東南アジアという大国・地域に囲まれながら、自由に文化や技術を吸収し、独自の美意識と精神性で「琉球らしさ」を築き上げてきました。
その象徴のひとつが、びんがたの染め物です。

戦前、王族や貴族の衣類を生み出し、庶民にも広がったびんがた。
染料や顔料、和紙や道具も本土や中国から取り寄せることが多く、まさに「多文化共生の賜物」と言える工芸です。
しかし、沖縄戦によってその多くが一度は途絶え、文化も生活も根こそぎ壊されてしまいました。

そんななかでも、祖父や地域の芸能者たちは「琉球の誇りを絶やさない」という一心で、芸能や染色、音楽、舞踊など、あらゆる文化を必死に守り抜きました。
この6月は、その想いを未来へとつなぐ月でもあります。

工房の「工房時間」 ― 何気ない日常を伝える

さて、今回のコラムでは「工房時間」というテーマで、Instagramでも好評いただいている“日常風景”をお届けします。
300年続く伝統の重みも、結局は一枚一枚の布、一つひとつの小さな積み重ねです。
仕事はとてもスローで、まさに“神経と時間の積層”のようなもの。
一朝一夕では生まれない、地道で着実な営みこそ、私たちびんがた工房の本質です。

6月の工房。
庭には梅雨の名残が残り、やがて夏本番を迎え、セミの声が響きはじめます。
この季節は空も海も日ごとに表情を変え、南から吹く湿った風が工房の窓から通り抜けていきます。

工房のなかでは、黙々と糊を練り、型紙を置き、ひと筆ひと筆、心を込めて布に模様を写していく。
外では庭のガジュマルやクワズイモが力強く葉を広げ、小鳥や虫たちの声がBGMのように流れます。
この「何も起こらない、何も変わらない」ように見える時間が、実はものづくりにとって一番豊かな時間なのだと、日々実感します。

祖父 栄喜(14代)の住んでいた家 今は藍染め工房になってます
藍染めした 帯を干しています
糊伏せと浸け染めを切り返します

戦後の復興と、今につながるものづくり

祖父は、戦後まもなく工房を再建しました。
失われた道具や型紙、顔料も一から集め直し、ゼロからの出発でした。
しかし、びんがたを通じて「琉球の誇りをもう一度」と奮起した先人の姿は、今も私たちの背中を押してくれます。

私自身も職人としての歩みを始めたとき、まずは“日々を丁寧に積み重ねること”の意味を教えられました。
型紙を直す、糊を練る、色をつくる。ひとつでも気を抜けば作品にすぐ現れる。
この地道さが、何より大切だと気付かされるのです。

沖縄の自然とともに生きる

工房の周辺では、夏になるとガジュマルの木が南風に揺れ、庭には色とりどりの花や野菜が生い茂ります。
島の暮らしは、自然と切り離せません。
風の匂い、海の色、植物の力強さ――
こうした自然の恵みを感じることが、びんがたの美しさや表現にもそのままつながっています。

特に6月から7月にかけては、空気も湿度も刻々と変わるので、糊や染料の調合も難しくなります。
昔から伝わる「季節とともに仕事をする」知恵が、今も工房の中で息づいています。

伝統と日常、そのあいだにあるもの

私たちが“伝統”と呼ぶものは、けっして遠い過去のものではありません。
目の前の日常、目の前の一作業、一会話、その一つひとつの積み重ねが、伝統となっていくのだと思います。

祖父の再建から約80年。父が和服の世界に挑戦し、今は私がバトンを受けて、21人の職人たちとともに工房を支えています。
それぞれの時代、それぞれの想いが積み重なり、今の「びんがた」があります。

未来への願い

今こうして、静かな工房の朝に文章を書きながら、あらためて思います。
「当たり前」のように思える日常が、どれほど大切で尊いものか――。
工房時間の一コマ一コマが、島の歴史や人々の願いとつながっていることを、忘れずにいたいのです。

そして、この日常を守り続けるために、今できることを一つひとつ丁寧に続けていきたい。
琉球びんがたの物語は、まだまだ続いていきます。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。
私たちの小さな工房の日常に、これからもぜひお付き合いください。
Instagramでも日々の様子や、工房で感じたことを発信しています。
ご感想やメッセージ、フォローも大歓迎です。
皆さんの好奇心や応援が、私たちの挑戦を支えてくれます。

今日もまた、沖縄の青空の下で、「工房時間」が始まります。

城間びんがた工房のお庭の風景
城間びんがた工房のお庭の風景

公式ホームページでは、紅型の歴史や伝統、私自身の制作にかける思いなどを、やや丁寧に、文化的な視点も交えながら発信しています。一方でInstagramでは、職人の日常や工房のちょっとした風景、沖縄の光や緑の中に息づく“暮らしに根ざした紅型”の表情を気軽に紹介しています。たとえば、朝の染料作りの様子や、工房の裏庭で揺れる福木の葉っぱ、時には染めたての布を空にかざした一瞬の写真など、ものづくりの空気感を身近に感じていただける内容を心がけています。

紅型は決して遠い伝統ではなく、今を生きる私たちの日々とともにあるものです。これからも新しい挑戦と日々の積み重ねを大切にしながら、沖縄の染め物文化の魅力を発信し続けていきたいと思います。ぜひInstagramものぞいていただき、工房の日常や沖縄の彩りを一緒に楽しんでいただけたら嬉しいです。

城間栄市 プロフィール昭和52年(1977年)、沖縄県生まれ。

城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育つ。

学歴・海外研修

  • 平成15年(2003年)より2年間、インドネシア・ジョグジャカルタ特別州に滞在し、バティック(ろうけつ染)を学ぶ。
  • 帰国後は城間びんがた工房にて、琉球びんがたの制作・指導に専念。

受賞・展覧会歴

  • 平成24年:西部工芸展 福岡市長賞 受賞
  • 平成25年:沖展 正会員に推挙
  • 平成26年:西部工芸展 奨励賞 受賞
  • 平成27年:日本工芸会 新人賞を受賞し、正会員に推挙
  • 令和3年:西部工芸展 沖縄タイムス社賞 受賞
  • 令和4年:MOA美術館 岡田茂吉賞 大賞 受賞
  • 令和5年:西部工芸展 西部支部長賞 受賞

主な出展

  • 「ポケモン工芸展」に出展
  • 文化庁主催「日中韓芸術祭」に出展
  • 令和6年:文化庁「技を極める」展に出展

現在の役職・活動

  • 城間びんがた工房 十六代 代表
  • 日本工芸会 正会員
  • 沖展(沖縄タイムス社主催公募展)染色部門 審査員
  • 沖縄県立芸術大学 非常勤講師

プロフィール概要

はじめまして。城間びんがた工房16代目の城間栄市です。私は1977年、十五代・城間栄順の長男として沖縄に生まれ、幼いころから紅型の仕事に親しみながら育ちました。工房に入った後は父のもとで修行を重ねつつ、沖縄県芸術祭「沖展」に初入選したことをきっかけに本格的に紅型作家として歩み始めました。

これまでの道のりの中で、沖展賞や日本工芸会の新人賞、西部伝統工芸展での沖縄タイムス社賞・西部支部長賞、そしてMOA美術館の岡田茂吉賞大賞など、さまざまな賞をいただくことができました。また、沖展の正会員や日本工芸会の正会員として活動しながら、審査員として後進の作品にも向き合う立場も経験しています。

私自身の制作で特に印象に残っているのは、「波の歌」という紅型着物の作品です。これは沖縄の海を泳ぐ生き物たちの姿を、藍型を基調とした布に躍動感をもって表現したものです。伝統の技法を守りつつ、そこに自分なりの視点や工夫を重ねることで、新しい紅型の可能性を切り拓きたいという思いが込められています。こうした活動を通して、紅型が沖縄の誇る伝統工芸であるだけでなく、日本、そして世界に発信できるアートであると感じています。

20代の頃にはアジア各地を巡り、2003年から2年間はインドネシア・ジョグジャカルタでバティック(ろうけつ染)を学びました。現地での生活や工芸の現場を通して、異文化の技術や感性にふれ、自分自身の紅型への向き合い方にも大きな影響を受けました。伝統を守るだけでなく、常に新しい刺激や発見を大切にしています。

最近では、「ポケモン×工芸展―美とわざの大発見―」など、世界を巡回する企画展にも参加する機会が増えてきました。紅型の技法でポケモンを表現するというチャレンジは、私自身にとっても大きな刺激となりましたし、沖縄の紅型が海外のお客様にも響く可能性を感じています。

メディアにも多く取り上げていただくようになりました。テレビや新聞、ウェブメディアで工房の日常や制作現場が紹介されるたびに、「300年前と変わらない手仕事」に込めた想いを、多くの方に伝えたいと強く思います。