「ひとしずくの出会いが染めるもの」【工房時間】

いつも城間びんがた工房の活動を温かく見守っていただき、心より感謝申し上げます。

私たちは、琉球王朝の時代より紅型(びんがた)という染色技法を守り継ぎ、
この沖縄の地で300年あまり、染めの営みを続けてまいりました。
私は16代目として、日々の制作と記録を通じて、琉球の精神と文化に携わることの重みを感じています。

皆さまの好奇心、そして応援の言葉が、私たちの挑戦を支えてくださっています。
紅型の技術や美しさだけでなく、その奥にある時間や想い、
そしてこの島で育まれてきた感受性を、これからもお伝えしてまいります。

【月桃の花に宿る、島の感受性】

しとやかに咲く月桃の花が、先端に美しい雫をたたえる様子が映し出されています。花びらの先に宿るひとしずくが、まるで言葉を持つかのように静かに存在感を放っており、その姿はどこか気品に満ち、可愛らしさと凛とした空気をあわせ持っています。

「今日の誇らしゃや 何をにぎやなたてる 莟で居る花の 露行逢たごと」

島の朝、静かな空気の中で出会ったこの一瞬の風景は、私の中にある記憶を呼び起こしました。古くから沖縄で歌い継がれている祝いの歌、「座開き」の席で歌われる一節です。

「今日の嬉しさを何にたとえようか。蕾のままの花が、露とめぐり逢ったような気持ちだよ。」

この歌の意味を確認した時、胸の奥が静かに熱くなるような感覚を覚えました。花と露が出会う、その一瞬に喜びを見出す──そんな感受性を持って生きていた昔の人々の感性に、私は深く心を動かされたのです。

自然の小さな変化や、ほんの一瞬の出来事に対して、人生の機微や人との出会いを重ねて見つめる。そんな感性が、この島の中で、工芸文化を育んできたのではないかと思います。

紅入藍型 「月桃とかたばみ」

そしてこの月桃の花にも、今回の投稿に添える理由がありました。月桃は沖縄に暮らす人々にとって、ごく身近な植物です。花が咲くことで季節の訪れを感じ、蕾から開花へ、さらに緑の実が成り、やがて赤く熟して中から種が現れる──この月ごとの変化こそが、私たちにとっての自然そのものなのです。

このような身近な自然の移ろいを、図案に込めるという行為自体が、私にとっては特別な意味を持っています。

実は、びんがたの歴史をたどると、かつて図案は職人が自由に描くことは許されていませんでした。琉球王国時代、びんがたは王府の命により作られ、中国への献上品、または琉球の王族氏族特定の階層のための染め物として発展してきました。

当時、王府の中には図案を作る専門の部署が存在し、現場の職人はそれを忠実に再現する役割に徹していたのです。つまり、びんがたとは政治的、外交的役割を担った“琉球王国の染物”でもありました。

中国の国立博物館には、今も当時のびんがたが新品のまま保存されていると聞きます。それはつまり、びんがたが一部の者だけに許された、きわめて格式高いものであった証でもあります。

だからこそ、今私たちが“身近な自然”を題材にし、自由に図案を描き、染めることができる現代は、本当に豊かで自由な時代だと感じるのです。

目の前の草花に心を寄せ、日々の暮らしの風景をデザインとしてすくい上げる。そういった行為は、かつての職人たちには許されなかった表現のかたちでもあります。

紅型という伝統的な技術の上に、今この時代の空気や自然や感情を重ねて表現する──これは“新しいびんがた”ではなく、びんがたが本来持っていた生命力を、今の時代に再び呼び起こすことだと私は考えています。

今日も月桃の花は、音もなく咲いています。そのそばに、ひとしずく。花と露が出会う一瞬の美しさは、静かに、でも確かに私たちの手仕事の根っこに息づいています。

これからも、そんな感受性を記録し、図案に込め、未来に渡していけたらと思います。

この花に、あなたは何を感じますか?
ひとしずくの出会いに、心が動いたら嬉しいです。

工房の公式Instagramでは、紅型づくりの現場や日々の小さな風景を、写真とともにお届けしています。
職人たちの静かな手仕事や、島の自然に寄り添う感性の記録を、ぜひそちらでもお楽しみください。

城間栄市プロフィール 

紅型に、時間と祈りを宿す

私は紅型を、単なる染色技法ではなく、
沖縄という土地で積み重ねられてきた時間や祈り、
そして暮らしの感覚を受け止める「文化の器」だと捉えています。

布に色を置くという行為の奥には、
自然へのまなざし、人への想い、
そして生き方そのものが静かに重なっています。
その感覚を、できるだけ正直に、今の時代の言葉と形で手渡していくこと。
それが、私が紅型と向き合い続ける理由です。


生い立ちと紅型との距離

1977年、沖縄県生まれ。
城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育ちました。

幼い頃から、工房は日常の延長線上にありました。
染料の匂い、布を干す風景、
職人たちの背中や交わされる何気ない会話。
それらは特別なものというより、生活の一部として、自然に身の回りにありました。

本格的に工房に入り、父のもとで修行を始めたのは、
沖縄県芸術祭「沖展」への初入選をきっかけとしています。
紅型を「受け継ぐもの」としてではなく、
自分自身の人生として引き受ける覚悟が、
そのとき初めて定まったように思います。


外の世界で学んだこと

2003年からの約2年間、
インドネシア・ジョグジャカルタに滞在し、
バティック(ろうけつ染)を学びました。

異なる気候、異なる宗教観、異なる生活のリズム。
その中で工芸がどのように根づき、人々の暮らしと結びついているのかを、
現地での生活を通して体感しました。

この経験は、
「伝統を守ること」と「変化を受け入れること」は、
決して相反するものではない、
という確信を私にもたらしました。


受賞・出展についての考え方

これまで、沖展、日本工芸会、西部伝統工芸展、
MOA美術館岡田茂吉賞など、
いくつかの評価や賞をいただいてきました。
また、文化庁主催の展覧会や、
「ポケモン工芸展」など、国内外に向けた企画展にも参加する機会を得ています。

こうした節目を迎えるたびに、
私自身の評価以上に、
紅型という存在を知ってもらう機会が広がっていくことに、
大きな喜びを感じています。

一つの作品が、
「沖縄にはこういう染め物があるのですね」
という小さな気づきにつながる。
その積み重ねこそが、紅型の未来を静かに支えていくのだと感じています。


制作について

制作では、伝統的な技法を大切にしながらも、
その時代、その感覚にしか生まれない表現を探り続けています。

代表作の一つである紅型着物《波の歌》では、
沖縄の海を泳ぐ生き物たちの姿を、
藍色を基調に、リズムと奥行きを意識して表現しました。

新しさを声高に主張するのではなく、
布に触れた人が、
どこか懐かしさや安心感を覚えるような仕事を目指しています。


今、そしてこれから

現在は、
城間びんがた工房十六代代表として制作を行いながら、
日本工芸会正会員、沖展染色部門審査員、
沖縄県立芸術大学非常勤講師としても活動しています。

これらの役割もまた、
紅型を「閉じた世界」に留めず、
次の世代や、まだ出会っていない人たちへと
静かにつないでいくための一つの手段だと考えています。

これからも、
展覧会やさまざまな協働を通して、
紅型という文化に触れる“入り口”を、少しずつ増やしていきたい。
それは広げるためというより、
必要な場所に、必要なかたちで、そっと灯りを置いていく
そんな感覚に近いものです。


おわりに

公式ホームページでは、
紅型の歴史や背景、制作に込めた考えを、
少し丁寧に言葉にして残しています。

Instagramでは、
職人の日常や工房の空気、
沖縄の光や緑の中で息づく紅型の表情を、
より身近な距離感でお伝えしています。

どちらも、紅型を「特別なもの」にするためではなく、
今を生きる私たちの暮らしと、
静かにつながる存在として感じていただくためのものです。

この場所を訪れてくださったことが、
紅型との、ささやかな出会いとなれば幸いです。

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