「この布の向こうに、誰かの“特別な日”があるから。」
2025.05.30
琉球びんがたと水の記憶
〜16代目が語る、沖縄と染色の切っても切れない関係〜
◆ ごあいさつ
皆さん、おはようございます。
いつも紅型(びんがた)を通して、琉球文化に関心を寄せてくださり、心から感謝申し上げます。
皆様の好奇心こそが、私たちの挑戦を支えてくれる何よりの原動力です。
私は、沖縄の小さな島で、300年以上続く染色工房の16代目として日々を過ごしています。
地味で素朴なものづくりですが、その背景には王朝文化と交易の歴史、そして自然との共生という深い物語が刻まれています。
◆ 琉球王朝とびんがたの誕生
かつての琉球王国では、王族や貴族の衣装をつくるための染織技術が発展し、
その制作は王府の援助のもとで行われていました。
貿易国家であった琉球は、中国や日本からさまざまな素材や知恵を取り入れ、
資源に乏しい沖縄という島のなかで、驚くほど精緻で美しい工芸品を生み出してきました。
びんがたもその一つであり、まさに交易と文化が結びついた結晶です。
私たち城間家が代々職人として活動してこられたのは、そうした恵まれた環境と人々の支援があったからに他なりません。
◆ 沖縄と「水」の話
ちょうど今、沖縄は梅雨の季節を迎えています。
47歳になった今でも、雨が降ると「断水がなくなる」という安堵のような気持ちが湧いてくるのは、
沖縄の人々に深く刻まれた記憶のように思えてなりません。
私が子どもの頃も、断水は珍しくなく、各家庭の屋根には400リットルから1トンの貯水タンクが設置されていました。
地図で見るとわかるように、沖縄は細長い島で山も少なく、水不足は深刻な課題だったのです。
そして、染色という仕事は、大量の水を必要とします。
自然と共に生きる私たちにとって、“水”は単なる資源ではなく、日々の暮らしと仕事を支える命の源なのです。
◆ 染色と水資源の関係
日本各地の染色産地は、いずれも水が豊富な場所に発展しています。
新潟、石川、青森、群馬、京都、鹿児島……。どこも水に恵まれた土地ばかりです。
沖縄の首里も例外ではありません。
高台に位置しながらも、地下の地形が水を蓄えやすく、かつては井戸の水面が目視できるほどだったといわれています。
私たちの工房も、戦後に現在の地へ移る前は、首里城近くの「龍潭池」の水を使って染め物をしていました。
現在の場所へ移り住んだのは、ちょうど戦後80年ほど前のこと。
この地はかつて、琉球王朝時代に紙を漉くための「紙漉き場」があった場所でもあり、水が非常に豊富な地域でした。
当時は一帯が芋畑などの田園地帯で、染色を営むには最適な環境だったのです。


◆ 私と水洗いの記憶
私が10代で工房の仕事を本格的に手伝い始めたとき、最初に任されたのが「水洗い」の仕事でした。
当時は井戸水がまだ豊富に湧き出ており、工房には1トン以上の水を蓄える四角いタンクが地下にありました。
その井戸水をくみ上げて、染め上がった反物や帯、着物を一枚ずつ丁寧に洗う――。
この経験の中で、私は「水の中で見るびんがたの美しさ」に心を奪われたのです。
顔料が水にゆらめく様子、色が浮かび上がる瞬間。
あの美しさは、職人だけが知る特別な光景かもしれません。
この体験が、後の私の作家活動の原点になりました。
「鮮やかさ」と「静けさ」のコントラスト、光と影のバランス……
びんがたの色をどう生かすかという探究は、この水洗いから始まったのです。
そして、仕事の終わりに、陽の光を浴びて干された布がキラキラと輝く姿を見たときの達成感。
その瞬間こそが、職人として歩き始めた私にとっての、最高の報酬でした。
◆ そして今
現在では井戸水ではなく、水道水を使用しています。
残念ながら、井戸の多くは地下水の枯渇や水質の変化によって、実用には適さなくなってしまいました。
それでも、工房の敷地にはいくつもの井戸の跡が残っており、
あの頃の「水とともにあった工房の営み」を、今でも静かに語ってくれています。
10代の頃、何も知らないながらも水洗いという仕事を任され、
その中で出会った感動や気づきが、今も私のものづくりの原点として息づいているのです。
◆ 最後に
びんがたは、沖縄の風土とともにある染色文化です。
風、光、そして“水”という大地の恵みを借りて、布に命を吹き込む仕事。
自然への敬意と、職人の手仕事が織りなす静かな営み。
その一端を、こうしてお届けできることを、心から嬉しく思います。
いつも応援、ありがとうございます。





公式ホームページでは、紅型の歴史や伝統、私自身の制作にかける思いなどを、やや丁寧に、文化的な視点も交えながら発信しています。一方でInstagramでは、職人の日常や工房のちょっとした風景、沖縄の光や緑の中に息づく“暮らしに根ざした紅型”の表情を気軽に紹介しています。たとえば、朝の染料作りの様子や、工房の裏庭で揺れる福木の葉っぱ、時には染めたての布を空にかざした一瞬の写真など、ものづくりの空気感を身近に感じていただける内容を心がけています。
紅型は決して遠い伝統ではなく、今を生きる私たちの日々とともにあるものです。これからも新しい挑戦と日々の積み重ねを大切にしながら、沖縄の染め物文化の魅力を発信し続けていきたいと思います。ぜひInstagramものぞいていただき、工房の日常や沖縄の彩りを一緒に楽しんでいただけたら嬉しいです。

城間栄市 プロフィール昭和52年(1977年)、沖縄県生まれ。
城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育つ。
学歴・海外研修
- 平成15年(2003年)より2年間、インドネシア・ジョグジャカルタ特別州に滞在し、バティック(ろうけつ染)を学ぶ。
- 帰国後は城間びんがた工房にて、琉球びんがたの制作・指導に専念。
受賞・展覧会歴
- 平成24年:西部工芸展 福岡市長賞 受賞
- 平成25年:沖展 正会員に推挙
- 平成26年:西部工芸展 奨励賞 受賞
- 平成27年:日本工芸会 新人賞を受賞し、正会員に推挙
- 令和3年:西部工芸展 沖縄タイムス社賞 受賞
- 令和4年:MOA美術館 岡田茂吉賞 大賞 受賞
- 令和5年:西部工芸展 西部支部長賞 受賞
主な出展
- 「ポケモン工芸展」に出展
- 文化庁主催「日中韓芸術祭」に出展
- 令和6年:文化庁「技を極める」展に出展
現在の役職・活動
- 城間びんがた工房 十六代 代表
- 日本工芸会 正会員
- 沖展(沖縄タイムス社主催公募展)染色部門 審査員
- 沖縄県立芸術大学 非常勤講師
プロフィール概要
はじめまして。城間びんがた工房16代目の城間栄市です。私は1977年、十五代・城間栄順の長男として沖縄に生まれ、幼いころから紅型の仕事に親しみながら育ちました。工房に入った後は父のもとで修行を重ねつつ、沖縄県芸術祭「沖展」に初入選したことをきっかけに本格的に紅型作家として歩み始めました。
これまでの道のりの中で、沖展賞や日本工芸会の新人賞、西部伝統工芸展での沖縄タイムス社賞・西部支部長賞、そしてMOA美術館の岡田茂吉賞大賞など、さまざまな賞をいただくことができました。また、沖展の正会員や日本工芸会の正会員として活動しながら、審査員として後進の作品にも向き合う立場も経験しています。
私自身の制作で特に印象に残っているのは、「波の歌」という紅型着物の作品です。これは沖縄の海を泳ぐ生き物たちの姿を、藍型を基調とした布に躍動感をもって表現したものです。伝統の技法を守りつつ、そこに自分なりの視点や工夫を重ねることで、新しい紅型の可能性を切り拓きたいという思いが込められています。こうした活動を通して、紅型が沖縄の誇る伝統工芸であるだけでなく、日本、そして世界に発信できるアートであると感じています。
20代の頃にはアジア各地を巡り、2003年から2年間はインドネシア・ジョグジャカルタでバティック(ろうけつ染)を学びました。現地での生活や工芸の現場を通して、異文化の技術や感性にふれ、自分自身の紅型への向き合い方にも大きな影響を受けました。伝統を守るだけでなく、常に新しい刺激や発見を大切にしています。
最近では、「ポケモン×工芸展―美とわざの大発見―」など、世界を巡回する企画展にも参加する機会が増えてきました。紅型の技法でポケモンを表現するというチャレンジは、私自身にとっても大きな刺激となりましたし、沖縄の紅型が海外のお客様にも響く可能性を感じています。
メディアにも多く取り上げていただくようになりました。テレビや新聞、ウェブメディアで工房の日常や制作現場が紹介されるたびに、「300年前と変わらない手仕事」に込めた想いを、多くの方に伝えたいと強く思います。