「この布の向こうに、誰かの“特別な日”があるから。」【工房時間】

琉球びんがたと水の記憶

〜16代目が語る、沖縄と染色の切っても切れない関係〜


◆ ごあいさつ

皆さん、おはようございます。
いつも紅型(びんがた)を通して、琉球文化に関心を寄せてくださり、心から感謝申し上げます。
皆様の好奇心こそが、私たちの挑戦を支えてくれる何よりの原動力です。

私は、沖縄の小さな島で、300年以上続く染色工房の16代目として日々を過ごしています。
地味で素朴なものづくりですが、その背景には王朝文化と交易の歴史、そして自然との共生という深い物語が刻まれています。


◆ 琉球王朝とびんがたの誕生

かつての琉球王国では、王族や貴族の衣装をつくるための染織技術が発展し、
その制作は王府の援助のもとで行われていました。

貿易国家であった琉球は、中国や日本からさまざまな素材や知恵を取り入れ、
資源に乏しい沖縄という島のなかで、驚くほど精緻で美しい工芸品を生み出してきました。
びんがたもその一つであり、まさに交易と文化が結びついた結晶です。

私たち城間家が代々職人として活動してこられたのは、そうした恵まれた環境と人々の支援があったからに他なりません。


◆ 沖縄と「水」の話

ちょうど今、沖縄は梅雨の季節を迎えています。
47歳になった今でも、雨が降ると「断水がなくなる」という安堵のような気持ちが湧いてくるのは、
沖縄の人々に深く刻まれた記憶のように思えてなりません。

私が子どもの頃も、断水は珍しくなく、各家庭の屋根には400リットルから1トンの貯水タンクが設置されていました。
地図で見るとわかるように、沖縄は細長い島で山も少なく、水不足は深刻な課題だったのです。

そして、染色という仕事は、大量の水を必要とします。
自然と共に生きる私たちにとって、“水”は単なる資源ではなく、日々の暮らしと仕事を支える命の源なのです。


◆ 染色と水資源の関係

日本各地の染色産地は、いずれも水が豊富な場所に発展しています。
新潟、石川、青森、群馬、京都、鹿児島……。どこも水に恵まれた土地ばかりです。

沖縄の首里も例外ではありません。
高台に位置しながらも、地下の地形が水を蓄えやすく、かつては井戸の水面が目視できるほどだったといわれています。

私たちの工房も、戦後に現在の地へ移る前は、首里城近くの「龍潭池」の水を使って染め物をしていました。
現在の場所へ移り住んだのは、ちょうど戦後80年ほど前のこと。

この地はかつて、琉球王朝時代に紙を漉くための「紙漉き場」があった場所でもあり、水が非常に豊富な地域でした。
当時は一帯が芋畑などの田園地帯で、染色を営むには最適な環境だったのです。

強い水圧をあてて 糊を落とします
水の中で見る紅型はよりいっそう 鮮やかに見えます

◆ 私と水洗いの記憶

私が10代で工房の仕事を本格的に手伝い始めたとき、最初に任されたのが「水洗い」の仕事でした。
当時は井戸水がまだ豊富に湧き出ており、工房には1トン以上の水を蓄える四角いタンクが地下にありました。

その井戸水をくみ上げて、染め上がった反物や帯、着物を一枚ずつ丁寧に洗う――。
この経験の中で、私は「水の中で見るびんがたの美しさ」に心を奪われたのです。

顔料が水にゆらめく様子、色が浮かび上がる瞬間。
あの美しさは、職人だけが知る特別な光景かもしれません。

この体験が、後の私の作家活動の原点になりました。
「鮮やかさ」と「静けさ」のコントラスト、光と影のバランス……
びんがたの色をどう生かすかという探究は、この水洗いから始まったのです。

そして、仕事の終わりに、陽の光を浴びて干された布がキラキラと輝く姿を見たときの達成感。
その瞬間こそが、職人として歩き始めた私にとっての、最高の報酬でした。


◆ そして今

現在では井戸水ではなく、水道水を使用しています。
残念ながら、井戸の多くは地下水の枯渇や水質の変化によって、実用には適さなくなってしまいました。

それでも、工房の敷地にはいくつもの井戸の跡が残っており、
あの頃の「水とともにあった工房の営み」を、今でも静かに語ってくれています。

10代の頃、何も知らないながらも水洗いという仕事を任され、
その中で出会った感動や気づきが、今も私のものづくりの原点として息づいているのです。


◆ 最後に

びんがたは、沖縄の風土とともにある染色文化です。
風、光、そして“水”という大地の恵みを借りて、布に命を吹き込む仕事。

自然への敬意と、職人の手仕事が織りなす静かな営み。
その一端を、こうしてお届けできることを、心から嬉しく思います。

いつも応援、ありがとうございます。

糊をふやかすために 水の中につけておきます
水洗い後に乾かしています
工房の水洗い場です

城間栄市プロフィール 

紅型に、時間と祈りを宿す

私は紅型を、単なる染色技法ではなく、
沖縄という土地で積み重ねられてきた時間や祈り、
そして暮らしの感覚を受け止める「文化の器」だと捉えています。

布に色を置くという行為の奥には、
自然へのまなざし、人への想い、
そして生き方そのものが静かに重なっています。
その感覚を、できるだけ正直に、今の時代の言葉と形で手渡していくこと。
それが、私が紅型と向き合い続ける理由です。


生い立ちと紅型との距離

1977年、沖縄県生まれ。
城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育ちました。

幼い頃から、工房は日常の延長線上にありました。
染料の匂い、布を干す風景、
職人たちの背中や交わされる何気ない会話。
それらは特別なものというより、生活の一部として、自然に身の回りにありました。

本格的に工房に入り、父のもとで修行を始めたのは、
沖縄県芸術祭「沖展」への初入選をきっかけとしています。
紅型を「受け継ぐもの」としてではなく、
自分自身の人生として引き受ける覚悟が、
そのとき初めて定まったように思います。


外の世界で学んだこと

2003年からの約2年間、
インドネシア・ジョグジャカルタに滞在し、
バティック(ろうけつ染)を学びました。

異なる気候、異なる宗教観、異なる生活のリズム。
その中で工芸がどのように根づき、人々の暮らしと結びついているのかを、
現地での生活を通して体感しました。

この経験は、
「伝統を守ること」と「変化を受け入れること」は、
決して相反するものではない、
という確信を私にもたらしました。


受賞・出展についての考え方

これまで、沖展、日本工芸会、西部伝統工芸展、
MOA美術館岡田茂吉賞など、
いくつかの評価や賞をいただいてきました。
また、文化庁主催の展覧会や、
「ポケモン工芸展」など、国内外に向けた企画展にも参加する機会を得ています。

こうした節目を迎えるたびに、
私自身の評価以上に、
紅型という存在を知ってもらう機会が広がっていくことに、
大きな喜びを感じています。

一つの作品が、
「沖縄にはこういう染め物があるのですね」
という小さな気づきにつながる。
その積み重ねこそが、紅型の未来を静かに支えていくのだと感じています。


制作について

制作では、伝統的な技法を大切にしながらも、
その時代、その感覚にしか生まれない表現を探り続けています。

代表作の一つである紅型着物《波の歌》では、
沖縄の海を泳ぐ生き物たちの姿を、
藍色を基調に、リズムと奥行きを意識して表現しました。

新しさを声高に主張するのではなく、
布に触れた人が、
どこか懐かしさや安心感を覚えるような仕事を目指しています。


今、そしてこれから

現在は、
城間びんがた工房十六代代表として制作を行いながら、
日本工芸会正会員、沖展染色部門審査員、
沖縄県立芸術大学非常勤講師としても活動しています。

これらの役割もまた、
紅型を「閉じた世界」に留めず、
次の世代や、まだ出会っていない人たちへと
静かにつないでいくための一つの手段だと考えています。

これからも、
展覧会やさまざまな協働を通して、
紅型という文化に触れる“入り口”を、少しずつ増やしていきたい。
それは広げるためというより、
必要な場所に、必要なかたちで、そっと灯りを置いていく
そんな感覚に近いものです。


おわりに

公式ホームページでは、
紅型の歴史や背景、制作に込めた考えを、
少し丁寧に言葉にして残しています。

Instagramでは、
職人の日常や工房の空気、
沖縄の光や緑の中で息づく紅型の表情を、
より身近な距離感でお伝えしています。

どちらも、紅型を「特別なもの」にするためではなく、
今を生きる私たちの暮らしと、
静かにつながる存在として感じていただくためのものです。

この場所を訪れてくださったことが、
紅型との、ささやかな出会いとなれば幸いです。

LINE公式 https://line.me/R/ti/p/@275zrjgg

Instagram https://www.instagram.co