かつての暮らしを彩った布—沖縄の「うちくい」と筒描き
2025.02.03
筒描きの魅力と未来への願い──自由な筆さばきが生む紅型の新たな可能性
いつも紅型(びんがた)にご関心を寄せていただき、誠にありがとうございます。皆さまの好奇心のおかげで、私たちの挑戦が日々支えられていると感じています。今回は、紅型の世界でもひときわユニークな「筒描き」という技法にスポットを当て、その歴史や技術、そして未来への展望をたっぷりとご紹介したいと思います。
1. 筒描きとは?──ダイナミックな表現が魅力
1-1. 大きな布に描き出す自由な図案
「筒描き」は、紅型の基本技法の一つとして位置づけられますが、型染めとは異なり、**直接布に図柄を“描く”**点が大きな特徴です。
- 2メートル四方や130センチ四方などの大きな布に、糊を使った筆跡で大胆な絵模様を表現
- 沖縄の伝統的な飾り風呂敷「うちくい」など、家族や村の祭事・冠婚葬祭で使われる布に用いられることが多かった
かつては、6メートル級の大布に筒描きを施し、村芝居の舞台幕や行事の装飾として用いられるなど、ダイナミックな世界観を広げてきました。
1-2. 糊置きによる“描く”技術
筒描きで重要なのが、**「糊置き」**と呼ばれる工程です。もち米と米ぬかを練り合わせた糊を、先端の細い筒から布へ絞り出しながら描いていきます。紅型の“型染め”とは違い、筆や道具を使って自由にラインを引けるのが最大の魅力です。
- “下絵”を大きくとらえながら、一気にラインを引く職人技
- 糊の固さや湿度を見極め、途切れることなく描き上げる集中力が求められる
この自由度が、紅型らしい力強い線や伸びやかな造形を生み出す原動力となっています。
2. 筒描きと沖縄の暮らし──かつての工房と“うちくい”の盛況
2-1. 晴れの日を彩る「うちくい」の役割
沖縄の昔ながらの家や行事では、「うちくい」と呼ばれる飾り風呂敷が大切に扱われてきました。
- 冠婚葬祭、結納など“晴れの日”に家の中を彩る布
- 結婚式やお祝いごとで、親族や来客に披露し、家の格を示す意味合いもあった
この「うちくい」に描かれる筒描きは、家族や地域の誇りを表現するもので、豪華なモチーフや吉祥文様を活かしたダイナミックな図案が特徴的です。
2-2. 戦後20年の筒描き全盛期
私の祖父・栄喜の時代、特に戦後20年ほどは筒描きの仕事が非常に多かったといいます。母の話によれば、祖父の時代には1日に20枚もの大きな布に図柄を描くこともあったとか。
- 復興期の沖縄で、祭りや村芝居などの行事が徐々に戻りつつあった
- 新たに家を建てたり、行事を開いたりする際に、筒描きの技術を求める声が多かった
この背景には、物資や観光がまだ発展していない中で、地元の職人技が地域の文化と結びついていたという事実がうかがえます。



3. 時代の変化と筒描きの未来
3-1. 生活様式の変化と技法の衰退
時代が進むにつれ、沖縄のライフスタイルは大きく変化しました。
- 洋装や使い捨てのインテリアが普及し、大きな布を家に飾る文化が薄れた
- 村芝居や大掛かりな祭事も減少し、筒描きの舞台幕や装飾布の需要が激減
この結果、かつての筒描きブームは収束し、実際にこの技法を披露する機会が激減してしまったのです。
3-2. 祖父・栄喜と戦後の革新
しかし、戦後の混乱期において祖父が見せた“紅型の革新”も見逃せません。
- アメリカ兵向けの紅型ポストカードを染め、海外にその魅力を発信
- 伝統技法を守りつつ、使ってくれる物作りに取り組み、作る→使ってくれるの循環を確立
この経験は、筒描きにも応用できると私は考えています。古い技法だからこそ、独特の表現や味わいが取り入れられる可能性があり、そこに新たな広がりが生まれるかも知れないのです。
4. 現代への応用──着物や帯への筒描き
4-1. 10年前から始まった新しい試み
私自身、約10年前から着物や帯のデザインに筒描きを取り入れる実験を始めました。
- 既存の「型染め」では出せない大胆な、新たな柄表現を実現
- 筒描きにしか無いラインや隈取りが目を引くので、モダンなファッションとしても評価される
そうすることで、かつては舞台幕や大風呂敷に描かれていたスケール感を、着物や帯の限られた空間に応用し、独特の存在感を生み出すことに成功しています。
4-2. 女性の装いと紅型の多様化
王族・士族が中心だった時代から、戦後は和装にシフトした紅型。そこに筒描きが加わることで、新しい表現の可能性が広がっています。
- 大胆な図案が、シンプルな着物地に映える
こうした取り組みを続けることで、筒描きが再び多くの人の暮らしに溶け込む未来を描いています。
5. 筒描きが持つ文化的・芸術的意義
5-1. 「描く」喜びと職人の感性
型染めが繰り返しのパターンを型を彫りその”工程で細かい再現性を得やすいのに対し、筒描きは**“描く自由”**を活かせる技法です。
- 職人の筆跡や線の強弱がそのまま布に刻まれる
- 大画面だからこそ、心のままに表現できるダイナミックなラインが生きる
絵を描くように、職人の感情やセンスがダイレクトに作品へ反映されるため、唯一無二のアートとしての価値も見逃せません。
5-2. 沖縄の歴史と人々の暮らしを映す
筒描きは、沖縄の冠婚葬祭や村芝居など、人々の暮らしに深く根ざした技法でした。大きな布に施された鮮やかな柄は、晴れの日をいっそう華やかに盛り上げ、コミュニティの結束を高める役割を果たしていたのです。今、生活様式が変化したとしても、その文化的意義やコミュニティ性を次代に伝える価値は大きいと思います。
6. 未来への願い──筒描きの可能性を再発見する
こうした取り組みを継続することで、筒描きの持つ表現力がより多くの人々に伝わると期待しています。
6-1. 大きな布が再び日常を彩る日を目指して
かつてのように、家の中を彩る大きな風呂敷や舞台幕としての筒描きが、令和の時代に再び脚光を浴びる日は来るのでしょうか。私たちはその可能性を探るべく、
- 職人技術を磨き続ける: 筒描き特有のダイナミックな表現をアップデート
- 現代的なデザインや色使いの工夫:古典がらを現代のモダンな色使いで表現したり 図柄自体を現代の文様として作ってみたりする
を行っていきたいと思っています。これは、祖父・栄喜が戦後に紅型ポストカードをアメリカ兵へ販売した時と同じく、**「新しい場所で技術を発揮する」**という挑戦の精神を受け継ぐものでもあります。

まとめ──筒描きがもたらす“自由な線”と明るい展望
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。皆様の興味・関心が、私たちの活動を支える大きな原動力となっています。本当に感謝しています。
筒描きは、紅型のなかでもひときわ“描く自由”を味わえる技法であり、かつては大きな布を使った華やかな装飾として沖縄の暮らしを彩ってきました。時代の変化に伴い、その大規模な活躍の場は減少したものの、着物や帯への応用を通じて新たな可能性を見つけていきます。
- 大きな布を通じて、コミュニティを一体感で包んだ過去の栄光
- 祖父・栄喜が戦後に革新をもたらしたように、今再び技法を進化させるチャンス
- 自由で大胆な線が描けるからこそ、型染めには無い個性が出せる
これからも私たち城間びんがた工房は、筒描きや他の技法を通じて琉球文化の豊かさを未来へつなぐべく、挑戦を続けたいと思います。どうぞ引き続き見守っていただければ幸いです。









公式ホームページでは、紅型の歴史や伝統、私自身の制作にかける思いなどを、やや丁寧に、文化的な視点も交えながら発信しています。一方でInstagramでは、職人の日常や工房のちょっとした風景、沖縄の光や緑の中に息づく“暮らしに根ざした紅型”の表情を気軽に紹介しています。たとえば、朝の染料作りの様子や、工房の裏庭で揺れる福木の葉っぱ、時には染めたての布を空にかざした一瞬の写真など、ものづくりの空気感を身近に感じていただける内容を心がけています。
紅型は決して遠い伝統ではなく、今を生きる私たちの日々とともにあるものです。これからも新しい挑戦と日々の積み重ねを大切にしながら、沖縄の染め物文化の魅力を発信し続けていきたいと思います。ぜひInstagramものぞいていただき、工房の日常や沖縄の彩りを一緒に楽しんでいただけたら嬉しいです。

城間栄市 プロフィール昭和52年(1977年)、沖縄県生まれ。
城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育つ。
学歴・海外研修
- 平成15年(2003年)より2年間、インドネシア・ジョグジャカルタ特別州に滞在し、バティック(ろうけつ染)を学ぶ。
- 帰国後は城間びんがた工房にて、琉球びんがたの制作・指導に専念。
受賞・展覧会歴
- 平成24年:西部工芸展 福岡市長賞 受賞
- 平成25年:沖展 正会員に推挙
- 平成26年:西部工芸展 奨励賞 受賞
- 平成27年:日本工芸会 新人賞を受賞し、正会員に推挙
- 令和3年:西部工芸展 沖縄タイムス社賞 受賞
- 令和4年:MOA美術館 岡田茂吉賞 大賞 受賞
- 令和5年:西部工芸展 西部支部長賞 受賞
主な出展
- 「ポケモン工芸展」に出展
- 文化庁主催「日中韓芸術祭」に出展
- 令和6年:文化庁「技を極める」展に出展
現在の役職・活動
- 城間びんがた工房 十六代 代表
- 日本工芸会 正会員
- 沖展(沖縄タイムス社主催公募展)染色部門 審査員
- 沖縄県立芸術大学 非常勤講師
プロフィール概要
はじめまして。城間びんがた工房16代目の城間栄市です。私は1977年、十五代・城間栄順の長男として沖縄に生まれ、幼いころから紅型の仕事に親しみながら育ちました。工房に入った後は父のもとで修行を重ねつつ、沖縄県芸術祭「沖展」に初入選したことをきっかけに本格的に紅型作家として歩み始めました。
これまでの道のりの中で、沖展賞や日本工芸会の新人賞、西部伝統工芸展での沖縄タイムス社賞・西部支部長賞、そしてMOA美術館の岡田茂吉賞大賞など、さまざまな賞をいただくことができました。また、沖展の正会員や日本工芸会の正会員として活動しながら、審査員として後進の作品にも向き合う立場も経験しています。
私自身の制作で特に印象に残っているのは、「波の歌」という紅型着物の作品です。これは沖縄の海を泳ぐ生き物たちの姿を、藍型を基調とした布に躍動感をもって表現したものです。伝統の技法を守りつつ、そこに自分なりの視点や工夫を重ねることで、新しい紅型の可能性を切り拓きたいという思いが込められています。こうした活動を通して、紅型が沖縄の誇る伝統工芸であるだけでなく、日本、そして世界に発信できるアートであると感じています。
20代の頃にはアジア各地を巡り、2003年から2年間はインドネシア・ジョグジャカルタでバティック(ろうけつ染)を学びました。現地での生活や工芸の現場を通して、異文化の技術や感性にふれ、自分自身の紅型への向き合い方にも大きな影響を受けました。伝統を守るだけでなく、常に新しい刺激や発見を大切にしています。
最近では、「ポケモン×工芸展―美とわざの大発見―」など、世界を巡回する企画展にも参加する機会が増えてきました。紅型の技法でポケモンを表現するというチャレンジは、私自身にとっても大きな刺激となりましたし、沖縄の紅型が海外のお客様にも響く可能性を感じています。
メディアにも多く取り上げていただくようになりました。テレビや新聞、ウェブメディアで工房の日常や制作現場が紹介されるたびに、「300年前と変わらない手仕事」に込めた想いを、多くの方に伝えたいと強く思います。