「“地味”の中に光るもの――沖縄びんがた職人が伝えたいこと」

「城間びんがた工房――300年の手しごとが紡ぐ、“沖縄のリズム”と私たちの物語」


皆さま、おはようございます。
こうして朝の空気とともに、私たち城間びんがた工房の営みや思いに目を留めていただき、本当にありがとうございます。工房代表・16代目として、まずはこの場を借りて心からの感謝をお伝えしたいと思います。

私たちの仕事――それは、とても派手なものではありません。日々の作業は、驚くほど地味で素朴なものです。しかしその一つひとつの積み重ねこそが、300年続くびんがたの“命”を守り、次世代に手渡していくことにつながっています。

■ 祖父の時代から受け継ぐ「手しごとの深み」

戦後、沖縄が焼け野原となった時代から、工房には常に20名前後の職人たちが集い、それぞれが自分の役割を全うし、技と心を重ねてきました。私の祖父の代から数えれば、約70年。戦後の厳しい時代にあっても、職人たちは皆、途切れることなく手を動かし、知恵を持ち寄り、励まし合いながら工房を守ってきました。

ありがたいことに、今もベテランの職人が現役で工房にいてくれます。先輩方の中には、「もうちょっと強く」とか「もう少し“色っぽく”」など、一見、曖昧とも思えるニュアンスで色や形を伝えてくれる方もいます。その一言一言には、言葉以上の重みと、琉球の美意識が込められています。

こうした感覚を“感じ取る力”を身につけるのは簡単ではありません。ですが、沖縄という土地の持つゆったりとしたリズム、人と人との距離が近い空気感の中で、先輩から後輩へ、そしてまた次の世代へと、言葉を超えた学びが自然と工房に流れています。この環境そのものが、私たちの何よりの財産だと感じています。

■ 変わらないもの、変わりゆくもの

私たちの工房があるこの場所は、私自身が3歳の頃に建てられました。1階と3階が仕事場、2階が住まいという、家族も職人も一つ屋根の下で暮らすような環境でした。私は「いつから仕事場にいたのか」さえ曖昧になるほど、幼い頃からびんがたの世界に身を置いてきました。

10代の後半、初めて「水洗い」という仕事を与えられたことを今もよく覚えています。水の中で揺れる顔料の美しさ、あの瞬間が、私の中での「原風景」となりました。ベテラン職人の仕事を間近に見ながら、一番色が冴える瞬間を肌で感じたことは、今の自分にとって何よりの宝物です。

糊をふやかすために 水の中につけておきます
水洗い後干している帯
水元をして 洗い立ての 帯 着物
水洗い後に乾かしています

古典柄のびんがたは、何度見ても飽きることがありません。その迫力、美しさ、バランス。型紙一つ、色一つとっても、何世代もの職人たちが工夫と試行錯誤を重ねてきた“知恵の結晶”です。時代が変わっても、その芯の強さ、揺るぎなさは失われません。

■ 作り手としての「誇り」と「問い」

20年前、びんがたの世界では「古典柄を守る」ことが最も重要視されていました。もともと王族や貴族の衣装として伝えられたびんがたは、「変えないこと」に価値がありました。当時は、職人が自分自身のオリジナリティを出すことに、慎重だったように思います。
ですが、時代とともに作家としての個性や自由な発想を表現する風潮も少しずつ生まれてきました。

私自身、今でも「びんがたのどこに自分は心を惹かれるのか」「自分の表現の根っこに何があるのか」を繰り返し問い直しています。過去の職人や、親世代、そしてお客様がびんがたのどんなところに“誇り”や“美”を感じてきたのか。その思いを受けとめながら、私なりの表現を模索する日々です。

スミソニアン博物館蔵
この紅型はワシントン大学博物館へ寄贈しました

実際に、今でも古い柄を何度も見返し、必要ならば一から図案を描き直します。同じ型を見ていても、感じる魅力や“気づき”は人それぞれ違う。だからこそ、「今、この時代の自分にしか出せない表現」がどこかにあるはずだと信じています。

■ 沖縄の「リズム」に生きる

沖縄という土地は、南風がそよぎ、島の人々はみんな“人懐っこい”性格です。小さなコミュニティで暮らしているからこそ、お互いに助け合い、時には言葉を選ばず突っかかってくることもあります。でも、それが沖縄の温かさであり、素朴さであり、地道にものづくりを続ける原動力でもあるのです。

世の中が大きく変化し、沖縄の暮らしもどんどん便利になっていく一方で、「変わらないリズム」を守ることは決して簡単ではありません。それでも、今もこうして皆さんがびんがたに関心を寄せ、応援してくださること――それが私たちの日々の励みとなり、ものづくりを続ける支えになっています。

■ 地味で素朴な日々の「喜び」と「深み」

びんがた作りの日常は、一見すると単調に思えるかもしれません。朝早くから黙々と型を置き、色を重ね、水で洗う。時には失敗し、また一からやり直す。それでも、型紙に染み込んだ先人たちの“知恵”に学び、何百回、何千回と同じ作業を繰り返す中で、はっと息をのむほど美しい瞬間が訪れます。

“派手な達成”や“一発逆転”はありません。けれども、地味でコツコツとした日々の中にこそ、深い喜びと職人としての誇りがあります。
私は、この小さな営みを「すごい」と感じていただけたら、こんなに嬉しいことはありません。

■ 皆さまの好奇心が、私たちの原動力です

ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。
びんがたがここまで続いてこられたのは、皆さま一人ひとりの“好奇心”と“応援”があったからこそです。沖縄の離れ島で続くこの営みが、誰かの心にほんの少しでも響いてくれたなら、これ以上の幸せはありません。

これからも、島のリズムを大切に、コツコツと、そして時に大きな挑戦も忘れずに、びんがたの灯りを次の世代に繋いでいきたいと思います。

どうぞ、これからも温かく見守っていただけましたら幸いです。
そしてびんがたの世界に、ぜひ一度足を運んでいただければ嬉しいです。

城間びんがた工房のお庭の風景

公式ホームページでは、紅型の歴史や伝統、私自身の制作にかける思いなどを、やや丁寧に、文化的な視点も交えながら発信しています。一方でInstagramでは、職人の日常や工房のちょっとした風景、沖縄の光や緑の中に息づく“暮らしに根ざした紅型”の表情を気軽に紹介しています。たとえば、朝の染料作りの様子や、工房の裏庭で揺れる福木の葉っぱ、時には染めたての布を空にかざした一瞬の写真など、ものづくりの空気感を身近に感じていただける内容を心がけています。

紅型は決して遠い伝統ではなく、今を生きる私たちの日々とともにあるものです。これからも新しい挑戦と日々の積み重ねを大切にしながら、沖縄の染め物文化の魅力を発信し続けていきたいと思います。ぜひInstagramものぞいていただき、工房の日常や沖縄の彩りを一緒に楽しんでいただけたら嬉しいです。

城間栄市 プロフィール昭和52年(1977年)、沖縄県生まれ。

城間びんがた工房十五代・城間栄順の長男として育つ。

学歴・海外研修

  • 平成15年(2003年)より2年間、インドネシア・ジョグジャカルタ特別州に滞在し、バティック(ろうけつ染)を学ぶ。
  • 帰国後は城間びんがた工房にて、琉球びんがたの制作・指導に専念。

受賞・展覧会歴

  • 平成24年:西部工芸展 福岡市長賞 受賞
  • 平成25年:沖展 正会員に推挙
  • 平成26年:西部工芸展 奨励賞 受賞
  • 平成27年:日本工芸会 新人賞を受賞し、正会員に推挙
  • 令和3年:西部工芸展 沖縄タイムス社賞 受賞
  • 令和4年:MOA美術館 岡田茂吉賞 大賞 受賞
  • 令和5年:西部工芸展 西部支部長賞 受賞

主な出展

  • 「ポケモン工芸展」に出展
  • 文化庁主催「日中韓芸術祭」に出展
  • 令和6年:文化庁「技を極める」展に出展

現在の役職・活動

  • 城間びんがた工房 十六代 代表
  • 日本工芸会 正会員
  • 沖展(沖縄タイムス社主催公募展)染色部門 審査員
  • 沖縄県立芸術大学 非常勤講師

プロフィール概要

はじめまして。
城間びんがた工房16代目の城間栄市(えいいち)です。

小さい頃から、工房で家族や職人さんたちに囲まれて育ちました。気がつけばいつも布や色や、手の感触にふれていました。

ものづくりの世界は、ずっと昔から同じことのくり返し……じゃなくて、実は小さな発見や驚きの連続です。
「紅型(びんがた)」という沖縄の染め物に向き合いながら、毎日いろんなことを感じています。

もちろん、これまでにいくつか賞をいただいたり、ポケモンを紅型で表現するという面白い企画にも挑戦してきました。アジアを巡ったり、インドネシアでバティックを学んだ時代もありますが、どんなときも「自分らしく、正直に、沖縄と向き合うこと」が大事だなと思っています。

一番大切にしているのは、「今の自分にできることを、今いる場所で、ちゃんとやる」ということ。
伝統や歴史も大事。でも、目の前の一枚の布としっかり向き合って、日々楽しんでいます。

最近は、紅型や工房の様子をSNSやHPでも発信しています。
工房のリアルな日常や、ちょっとした失敗、うまくいった瞬間も、全部「今のびんがた」の一部だと思っています。

たまにしか見られない沖縄の海や空、布の色の変化、職人さんたちの笑い声――
そんな工房の日常を、みなさんにも楽しんで見てもらえたらうれしいです。
「紅型って、ちょっと面白そうだな」と思ってもらえたら、それがいちばんのご褒美です。